僕たちが選択するミライ 〜神様の末裔たち〜
ヒガシユウ
〜大地の一族〜
第1話 湖の主
「よし、行くか!」
黒い手袋をキュッとしめて、屈伸を2回。
「じゃ、母さん、兄さん、行ってきます!」
写真の中の2人はいつも僕に微笑んでくれる。
今日こそは…。今日こそは絶対に…。
ガチャリと飛び出すと、いつもと変わらない曇り空が、ずっと向こうまで広がっている。
「忘れ物するなよ。」
父さんがちらりとこちらを向いた。左右斜めに一回ずつ。豆腐でも切るみたいに果物ナイフを通している。
「うん、大丈夫!」
「そうか、いってらっしゃい。」
まだ半分は残っていそうな薪の山を背に、左手をゆったりと上げて、微笑んだ。
「行ってくる!」
そう言いながら、僕はキンモクセイの香りと一緒に駆け出していく。この瞬間がたまらない。
速度を上げて、木の枝へと飛びついた。地面を走るよりも、枝間を移動する方が遥かに楽だ。何より頬をなでる風の心地よさったらない。
木を三本ほど飛び越えると、もう村の入り口だ。この門だけは、くぐる以外に通り抜ける方法が見つからないから、仕方なく地面を走る。
「おや、ソラくん。今日も早いね。」
「ジェイさん、おはようございます。」
毎朝、欠かさずに村の門前を掃除してくれている獣人のおじさん。垂れたお腹と大きなお目めが、柔和な雰囲気を醸し出している。タヌキ族だったか、アライグマ族だったか。
「はい。いってらっしゃい。」
「ありがとうございます!」
そう言って、大きなバチをぐるんと回すと、景気付けに遠鳴りの鐘を思い切りついてくれた。
カラァーン。
カラァーン。
なぜだか知らないが、村から出る時は、必ず二回鳴らしてくれる。
まだ夜と朝が追っかけっこしている時間帯。門灯を背に村を飛び出すと、一直線にトライ湖へ向かった。木を蹴り、枝を掴み、空中を駆け抜けていく。前髪が後ろへと流れたまま帰ってこない。
「おー。ソラ、がんばれよー。」
「ファイトー!」
駆け抜け様に、励ましの声が背中からやってくる。
「ありがとぉー。」
スピードを緩めることなく、大きめの声だけ置いていった。
◇ ◇ ◇
湖が近づくにつれて、雲越しのお日様が現れてくる。頬をなでる風も、薄らいだ日光も、朝は全てがご機嫌だ。いつもの枝をしならせて、ぐるりと勢いよく空中へ飛び出す。重力から解き放たれる一瞬。眼下には、楕円状の湖が広がっている。きれいに濁った深緑の水面は、天候に関わらず出迎えてくれる。
前髪が戻ってきた、と同時に、今度は高台めがけて落ちていく。体がグイと地面に引っ張られる。落下速度が早くなりはじめた瞬間、周囲の空気が揺れはじめた。ほんのり暖かくなったかと思うと、突如、僕の右横で蒼い火球が旋回し始めた。
「おはよう、ゲイン。」
「やぁ、おはよッ。」
炎の中から現れたフサフサの尻尾をした小さな九尾は、やがて背高の好青年へと変化した。
「気候条件と星向きがぴたりッ。今日あたり、出会えそうだネ。」
「そうなんだよ。楽しみだよな。あっ、でも、あいつ、ややこしいからさ、生き物払い、お願いできるか。」
「任せなさいナ。最近、新しい結界を覚えたところなんだヨ。」
右手で何かの印を切ったかと思うと、湖が薄紫のピラミッドに囲まれた。
「どう?」
「……遅かったみたいだネ。」
そう言って、ゲインはひきつった笑みをはりつけながら首を振った。フサフサだった尻尾は見る影もないほど固まっている。
着地と同時に、その言葉の意味を理解した。
「おはよう、ソラ。今日もいい天気ね。」
驚く僕を尻目に何食わぬ顔で、どこからともなくユンナが現れていた。通りざまに肩をポンっとたたかれる。
「ユンナ!?いつから…。」
向かいに住んでいる幼馴染。一緒に育ったきょうだいも同然だ。
「ゲイン。あんた、次、私を出し抜こうとしたら……消すわよ。」
「まさか!お嬢を置いていくつもりなんてなかったんだヨ!」
ゲインの冷や汗と苦笑いが全てを物語っている。わかる。わかるぞ。そのおっかなさ。
「まぁ、いいわ。無事に間に合ったし。行きましょう。きっと今日は会えるでしょうね。楽しみ。」
いつもの岩場に腰を下ろして、釣竿をビュウと振りかぶる。キミダケの木でできた竿がぐぐぅっとしなる。湖の真ん中まで浅黒いおもりが気持ちよく飛んでいった。さすが、父さんがちょうど良い具合に結んだだけのことはある。
釣竿に電気を流して、竿先から微弱に放電させ続ける。
「ちょっと、お散歩してくるわ。」
ユンナはそう言うと、どこかへ行ってしまった。
「なぁ、ゲイン。朝っぱらから何をしたんだ?」
「んー、実はマスターから、ここにお嬢を連れてこないように言われてたから…寝てる間に結界に閉じ込めてみたんだヨ。」
あー、確かに言い出しそう。クーさんもたいがいむちゃくちゃだからなぁ。
「親の心子知らずってやつか。」
ちょっと過保護な気もするけど、ってかユンナ相手に誰がそんな芸当できるんだ。閉じ込めるとか絶対に無理だ。
平和でくだらない会話をしながら待つことしばし。突如、湖の中心から波紋が広がりはじめた。と同時に釣竿がグワシッと引っ張られる。まずい、体ごと持っていかれる。
くそっ!今日に限って地面が滑る。
「固定するヨ。」
「助かる!」と言い終わらないうちに、僕の体はぴたりと地面にくっついた。
「あら、ゲインったら。キューブの結界、上手になったじゃないの。」
足元の地面にはタイルが張り巡らされている。滑り止めの要領か。
「しっかし、相変わらず、ソラはヒョロヒョロね。足元もおぼつかない。」
悔しいけど、ユンナの言う通りだ。気を抜くと湖に引きずり込まれそうになる。湖中の巨大な影は右へ左へ力一杯、竿を食っている。
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