二十三

「遠慮せんと食べろ」

 岬が言う。

 ルンは頷き、まず大根を頬張った。熱い、いや、あたたかい。あたたかいものを食べるなんていつ以来だろう。ルンは涙を流しながら、あっという間に皿の中身を平らげた。

「すごい食べっぷりやね、もっと食べる?」

「いえ……急にいっぱい食べたら胃がびっくりします」

 涙を拭いながら、ルンは言った。今までのことを話したくなったのだ。

 おでんを食べたせいか、ルンは岬のことも信用していいような気がしていた。不思議だ。

「美味しかったです。ごちそうさまでした」

 店主が笑顔で頷く。

 ルンはポツリポツリと今までのことを話し始めた。

 話していくうち、不意に涙が溢れてきた。話が中断してしまう。と、引き戸が開いた。

「なんや、最近のヤクザは子供を泣かすんかい!」

 大きなガラガラ声が頭の上から降ってくる。

「!」

 振り向いたルンの目に、岬とはまた違うタイプのヤクザの姿が入ってきた。角刈りに口髭、まるで大型冷蔵庫のような体をしている。傍らには、小柄で痩せた男が。細い目は線のようだ。

 岬が舌打ちする。

 フクが説明してくれた。

「違うんよ、立野さん。この子はベトナムからの実習生で……」

 黙って聞いていた立野と呼ばれた男が、ルンの隣に座る。ルンは二人のヤクザに挟まれた。目の細い男は一番端の椅子に座る。

「ワシにも話を聞かせてくれ。これでも一応警察官なんや」

「……」

 冗談を言っているのかとルンは思った。労働者が着るような紺のジャンパーを着、ギョロリとした目は鋭い。岬よりもヤクザっぽい男が警官だなんて信じられなかった。

 ふと、思い直す。警官というのは本当かもしれない。ただし、悪徳警官だ。

「ほんまやで。この人はちゃんとした警察官や。この町を守ってくれてるんや」

 フクが言う。それでもルンは半信半疑だった。警官なのに、ヤクザの岬とは知り合いのようだ。癒着だろうか。来日して、この国では、ヤクザと警察のズブズブの関係は珍しくないのだと学んでいた。

「安心せい。立野はまともな警官や。で、岬もまっとうなヤクザや。ま、一番マシなのは俺やけどな。元ガン患者やけど。あ、俺は玄。よろしくな」

 ルンはなんとなく頭を下げた。

 玄が立野に頭を張られている。

 岬に促され、ルンは続きを話し始めた。いつの間にか、涙は止まっていた。


 サナは夢を見ていた。ルンが助けに来てくれる夢だ。喜ぶサナ。だが、すぐに夢だと自覚していた。ルンが来てくれるわけなどない。実際、何度も幻覚を見たし、ルンの姿が田口のそれに変わったこともある。

 今回もそうなるだろうと思った途端、やはりそのとおりになった。

「おい、臭えな! 風呂くらい行けよ!」

 怒鳴る田口の背後から、別のヤクザが現れた。一度だけ会ったことがある、田口の兄貴分の本城だ。高そうなダブルのスーツに身を包みながら鼻をつまんでいる。どうやら夢の中でも、わたしは臭いようだ。だが、わたしも客もシャブをキメているため、匂いなんて感じない。

 と、また一人ヤクザがやってきた。はじめて見る男だ。長身をロングコートで包んでいる。銀縁眼鏡をかけ、まるでビジネスマンのようだが、隠せない危険な匂いがプンプンする。

 次から次へとヤクザがやってきて、とうとう自分は殺されるのかと思ったサナは、それでも、いつものように田口に薬物をねだる。

「もう、限界やな。捨てるか」

 本城が言う。その言葉に頷きながら振り返る田口。

 と、田口が肩をびくつかせ、固まる。

「な、なんや、おまえ!」

 田口の甲高い叫び声でサナは夢から目覚めた。

「!」

 いや、どうやら夢ではないようだ。なぜなら、今までずっと淀み続けていた空気が、少しだけ動き始めた気がしたからだ。


 ルンが話し終えると、玄が言った。

「それ、あの当たり屋が住んでるアパートやろ」

 立野が頷く。

「なんや、それ」

 訊く岬に、玄が説明する。

「酒屋の半田のオッサンが車で配達中に、急に目の前に飛び出してきた女がおってな。半田はギリギリでよけたから当たらんかったんやけど、半田が怒鳴ったら逃げていったらしい。で、その数日後、また同じ女が飛び出してきたんや。今度は軽く当たった。女は大袈裟に痛がった。当たり屋とわかった半田は、知り合いの警官呼んで事故証明もらおって言うたら、女は大丈夫やって言うて逃げていった。半田が後を尾行たら、女はそのアパートの一室に入っていったんや」

 立野が引き継ぐ。

「調べたら、やっぱり当たり屋でな。相当儲けとる。まあ、ほとんどヤマト会に搾取されてるやろうけどな」

「ヤマト会?」

「そや。あの民泊は、実質ヤマト会の経営や」

「くそっ」

 岬が顔をしかめる。

「この町で好き勝手しやがって」

 岬が立ち上がり、店を出ていく。

「ちょっと待って!」

 フクが岬を追いかけていく。

 つられて立ち上がろうとしたルンの体を立野が押さえる。

「あんたはここで、玄と一緒に留守番しといてくれ。玄、たのむぞ」

 玄が頷く。

「あ、そうや。パケ預かるわ。ヤマト会を追い込む証拠品やからな」

 ルンは素直に立野にパケを渡した。

 立野が出ていく。

 ルンは胸が熱くなった。さっきはじめて会った人たちが、ルンの話を聞き、すぐに動いてくれる。もちろん、自分たちの町を汚す奴らを許せないという気持ちからだろうが、会ったばかりのルンの言葉を信じてくれたことが嬉しかった。

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通天閣のネオンがギリギリ届くおでん屋【番外編】 登美丘 丈 @tommyjoe

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