第5話 次期部長職を狙う末永 人事の駆け引きも活発に

 八千矛やちほこはここまで執筆した原稿を読み返した後、一旦、社内便が届く受付箱を確認していた。その中に一通の投書が届いていた。それは、剣木が種子島でお手製のロケットを飛ばしているという内容だった。休日にお手製のロケットを飛ばすことは、別にコンプライアンスに接しているわけでもなかったが、こういった投書が飛び交うのが岩崎重工である。

 だが、八千矛は内線電話を手にして、剣木を呼び出した。

 設計フロアの自席にいた剣木は無言で席を立ち、部長室に向かい「失礼します。剣木です」と、声をかけて入室した。

「何でしょうか?」

「ちょっと、しょうもない用事なんだけど、実は、大学の月面旅行研究会の同窓会、今年、私が幹事なんだが、どうしようかと思ってね」

「なんだ、そんな話か」

 剣木は急にくだけた様子で話し始めた。

「お前は部長まで出世したんだ。好きにしたらいい。俺は主任だぞ。主任に意見を求めるなよ」

「そんなことはない。君と私は紙一重だった。本当は君があの時、試験場に行くはずだったんだよ」

「それを言うなら、俺なら半身不随で済まなかっただろう」

 剣木は燃焼試験の燃焼ガスで肉を焼いていたが、八千矛は燃焼ガスで卵焼きを調理したことがある。八千矛は剣木に、燃焼ガスをブリードして須恵器を作ろうとしたことは誰にも言うなよと念を押した。

「まあ、余談はともかく。他に本題がある。今年の同期会なんだが、稲葉君と兎山とやま君を呼びたい。彼らはEHIを辞めた後、一度も同窓会に来ていないだろう。君から声をかけてくれないか?」

「お安い御用だ」

「また、種子島の出張が続くと思う。すまないが、よろしく頼む」

「楽しくやってるよ。今度、種子島一周駅伝をやろうと思う。もちろん、優勝はこの試験課メンバーが取りに行く」

「楽しみにしてるよ」


 部長室から出た剣木は急に後ろを振り返った。そこには末永次長が立っていた。

「いま、部長と何を話していた?」

「仕事の話ですよ」

 剣木は立ち去ろうとしたが、末永はしつこく呼び止めた。

「ちょっと待ってくれるかな?僕は次長だよ。僕を飛び越えて部長と話さないでくれるかな?君が部長と同期だからって、たかが主任が直接、部長と話するだなんて、おかしいからねえ」

「焼き物の話だ」

「え?」

「部長とは焼き物の話をしてた。部長は須恵器に興味があるようだが、このことは絶対に誰にも言うなよ」

 ちょうどそこで、安全体操の放送がかかった。安全体操は、岩崎重工の名古屋地区にしか流れないラジオ体操のような曲である。剣木は安全体操が流れた隙をみてそのまま立ち去っていった。

 その日、末永は自宅に帰ると、ネットで焼き物や須恵器に関する書籍を一気に5冊注文した。ゴルフもやらない八千矛部長と少しでも世間話を合わせてゴマをするためであった。八千矛の次に部長の座を狙う末永はやたらと神経質になっていた。

 そんな八千矛には最近、妙な噂が立っていた。安全体操の時、部長室からまるで体操をするような足音が聞こえるというものであった。


 NH2Aロケットの最終号機打ち上げが迫る中、新会社設立の準備も進められていた。新会社設立は宇宙科学省が主導しており、まず、YAXAを政府が株式の大半を所有する株式会社として分離。いままでロケットの開発製造を分担してきた岩崎重工、EHIと瓦崎かわらさき重工の宇宙部門がここに合流するという形となる。

 拠点は東京のお台場の南側にある新海面しんかいめんである。いくら宇宙開発に人生を捧げてきたとはいえ、愛着のある地元を離れ、東京の埋立地行きには拒否感を持つ者も少なくない。NH2Aロケットの最終号機が近づくにつれ、人事の駆け引きも活発になっていった。

 そして、NH2Aロケット第60号機の打ち上げがやってきた。

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