第2話 燃焼試験でバーベキューやろう

 八千矛やちほこは定年退職が近いこともあり、本社から社内広報用の原稿の依頼を受けていた。広報からは「内容は何でもよいです。技術論文でも、部昼礼の原稿でも、回顧録でも何でもよいです」と言われていた。しかし、何でもいいですと言われると逆に迷ってしまう。

 懇親会の後、宿舎に戻ると八千矛はPCを開いて、原稿を執筆し始めていた。

 八千矛のロケット技術者としての人生はかなり長い。いったい、どこから書き始めたらいいのかわからない。まあ、書きやすいところから始めて、どんどん筆を進めていけば、そのうち、全体の構成も見えてくるだろうなあ。

 ある程度まで原稿を書き進めた時、あることに気が付いた。日本版のリユース型ロケットの開発責任者の候補者を選定し、宇宙科学省に推薦しなければならなかった。

「まあ、この場合は、こうするしかないな。」

 その日の未明、八千矛のPCから新型ロケットの開発責任者に関するメールが発信された。

 八千矛はまずは、同期入社の剣木つるぎ主任のエピソードをひたすら書いてみることにした。


 平成のある日、岩崎重工業の春牧はるまき製作所の試験課メンバーは、秋田県の大舘試験場でロケットエンジンの燃焼試験を行っていた。今回の日程では、3台の異なるエンジンを2台のテストスタンドを使って、一気にテストすることとなっていた。前日までに1台目のエアロスパイクエンジンのサブスケールモデルの燃焼試験。今日午前中は実機型のベル型ロケットエンジンのテストを行い、午後に3台目のロケットエンジンのテストを行おうとしていた。これは領収試験である。領収試験とは、つまり、実際のフライトに用いるエンジンの最終製品テストである。

 試験開始の準備がひと段落したところで、剣木主任が部下に向かって発言した。

「燃焼試験のあとでバーベキューをしよう」

 ちょっと集中力が切れていたタイミングであったが、若手社員の吉備野が冷静に対応した。

「今日はYAXAの査察官が来てますのでやめた方がいいと思います。それにいつも焼けてないですよ」

「いや大丈夫だ。今日は盛大にやろう」

 剣木は取り合わなかった。しかし、吉備野きびのの想定の範囲内であった。吉備野は思った。仮にばれたところで「肉です」と言い切るしかない。

 査察官というのはYAXAの査察官である。NH2Aロケットの開発は政府直属のYAXAが責任を持つが、量産型ロケットの製造と打ち上げは岩崎重工が担う役割分担となっている。そのため、本来ならばYAXAが立ち会う必要はないのである。

 若手社員たちは上司の指示に忠実に従い、ロース肉を針金にさして所定の位置にぶら下げた。剣木のCFD解析によると、もともと設置してあったフェンスの位置につるすことで、トータルの熱量が最適になるとか。

 YAXAの査察官が来るということは会社側もそれなりの責任者が立ち会うということになる。今回、岩崎重工の責任者は試験課長の志真しまであった。志真の作業着は、洗濯ノリがかけられ、きれいにアイロンがけされていた状態で現場に登場した。

 試験後、その日に限ってYAXA査察官の話が長かった。しかし、本当に長かったのはこれからだった。査察官を見送った後、志真は硬い表情で、剣木の目の前までずかずかとやって来て、フェンスを指さした。

「ここに肉を針金で吊るしたのは誰だ?」

「えっと、ここらへんの野生動物じゃないですか?」

 剣木の顔を凝視する志真の顔は怒りに引きつっているように見えた。

「『ここらへんの野生動物』は、ロケットエンジンの炎で焼いた肉を食べるというのかね?」

「そこらへんは、私からは何とも・・・・」

 その日は水曜日で定時退場日であった。水曜日の残業は課長の許可が必要なのだが、さすがにここで志真課長に「残業付けていいですか?」と聞ける人物はいなかった。だからといって、勝手に帰るわけにもいかず、勘弁してほしいと思いながらも、そのまま待機し続けていた。

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