第2話 夜行列車

 施設に入ってから2、3年は車椅子から離れられない生活だったけど、まだまともな方だった。

 3年を過ぎると背骨を痛めて病院にかかるようになった。

 私は母を一度、病院に連れて行ったことがある。車椅子から診察台に移す時も、痛い痛いと何度も言っていた。

 やがて母も衰弱してゆき、早く死にたいと溢すようになった。


 父は足も弱くなり歩くのもままならなくなったが、何とか一人で生活できていた。

 妹は週に3日、父の世話をしに実家に通っていた。

 ある日、妹が実家に行った時、父はベッドに寝ていたのだが、不自然な姿をしていた。下半身がベッドからずり落ちた形で横になっていた。

 妹は父を起こそうとしたら、もうすでに死んでいた。

 変死だったので警察を呼んで検証してもらった。警察が呼んだかかりつけ医師によると、死因は肺炎ということだった。


 母に父が死んだことを告げなければならない。私が岡山に帰った時、そのことを母に言いに行った。

 さぞ母は悲しむだろうと思い、言い淀んでいると、お父さん死んだんと、母が言ってきた。

 私は、うんと返事をすると母は、そうと言って涙を溢すことはなかった。


 その後、母は益々衰弱していき、父の死から1年経った時、病院に運び込まれた。

 そして、今日母が危篤だと妹から連絡があったのだ。


 母の事を考えながら廊下を歩いているとガタンと足元が揺れた。

 気がつくと見た事がない場所を歩いている。

 廊下の両サイドに4人がけのいすが板の衝立で仕切られ、ずらっと並んでいる。

 天井には電球が埋め込まれていて、赤味を帯びた光が灯っている。

 床は、板張りで油を塗ったのか焦げ茶に光っている。

 窓と反対側は壁のはずなのに窓になっている。

 明らかにおかしい、まるで古くさい列車の中にいるみたいだ。いやこれは列車の中だ。

 窓の外はいつの間にか真っ暗になっている。その下を見てギョッとした。人が座っていた。うつむいままじっとして動かない。顔は見えなかった。


 前をみると奥にドアがあるので、そこまで行ってノブに手をかけて回そうとしたら、固くて回らない。

 ドアに付いてるガラス窓から向こうが見える。同じ様に4人がけの椅子が、板で仕切られ並んでいる。

 3番目の椅子に誰か座っている。顔が見えた。

 ドキッとした。母が座っていた。

 わけが分からず見ていると、母は笑って向かいの人と話しをしているようだ。

 向かいの人は仕切りの板に隠れてよく見えないが、ふいに横顔が見えた。


(お父さん)


 母の向かいには父が座っていた。母は父と楽しそうに話しをしているのだ。


 すると奥の扉がガラッと開いて4人の人が入って来た。母と同じ歳ぐらいの男二人と女二人。

 彼らが母の横に立つと、母は顔をあげて笑いかけている。

 そしてふたつ、みっつ言葉を交わすと母は立ち上がり、そのあとで父が立ち上がった。

 母は両足で立っていた。半身不随のはずなのに。

 母は彼らについて奥の方へ歩き出した。

 私は手のひらで窓を何回も叩いた。

 すると、母は気が付いたのかこちらを見た。そして、右手のひらを肩まであげて笑った。

 父も、ちらっと私を見て笑った。

 私は、今母と話さないともう話しをすることは出来ないと思って、ドアノブを何とか回そうと躍起になった。

 するとドアノブが回ってドアが開いた。私は、中に飛び込んだ。


 そこは、何時もの白い壁の廊下だった。

 床は、ワックスでピカピカに光っている。天井にはプラスチックのカバーの照明が等間隔に並んでいる。

 後ろを振り向いても白い壁の廊下が延びている。

 私は茫然と立ちつくした。

 窓の外は赤暗く、もう日が落ちようとしていた。

 すると耳元でブンと音がした。飛んでいく一匹の羽虫が視界をかすめる。

 

 私は、スマホを取り出すと妹に電話をした。

 呼び出し音が鳴り続けて、やっと妹が出た。


「お母さん、今息をひきとったよ」

 妹の声がスマホから聞こえた。

 そうか、と応えると今見た事を話そうかとも思ったが、どう話せばいいのかわからず、直ぐに帰るとだけ言って電話を切った。


 あまり悲しくはなかった。 

 あれが何だったのか分からないが、半身不随で苦しむ前の母は、よく笑う人だったと久しぶりに思い出した。



 

 

 

 

 


 

 

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 夜行列車(やぎょうれっしゃ) 九文里 @kokonotumori

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