夜行列車(やぎょうれっしゃ)
九文里
第1話 妹からの電話
会社の廊下の窓の外は、夕映えでビル群がオレンジ色に染まっている。
廊下の白い壁も白いビニールタイルの床も赤味がかっている。
しかし、私には夕焼けをじっくり味わっている余裕は無かった。
株が暴落して顧客の対応に追い立てられてビルの中を走り回っていた。
廊下を急いでいると電話の着信音が鳴った。岡山の妹からだった。母が危篤と言う知らせだ。
私は東京の証券会社で、中堅どころとして責任をもたされている。
直ぐには帰れない、何とか近々都合をつけるとしか返事ができなかった。
電話を切った後も、頭から母の事が離れなかった。
母は20年前、私が高校生の時に脳出血をおこして右半身が不随になった。
右手も右足も動かなくなり、体を支えて立つこともできない。右ききなのでたいへんな苦労をした。
幸い言葉は何とか喋れたし、食べることも出来た。
発症後は一年ほど病院を転々として、療養とリハビリを行った。
私もお見舞いに行っては、母の車椅子を押して海岸沿いを歩いた。母は、歩道の手すりに掴まって立つ練習をしていた。あの頃は、母はまだ歩く希望を失くしてはいなかった。
やがて、実家に戻ってくると父と私と2つ下の妹で母の介護をした。それと、週に3日のデイサービスと。
私が初めて母をトイレに連れて行った時はたいへんだった。
母を抱えて車椅子から便座に移さなければならないのに、へっぴり腰でバランスを崩してしまい、トイレの床に母を落としてしまった。
母もどう動けばいいのか分からずに、床の上で半笑いの何とも言えない顔をしていた。
何とか起こして便座の上に乗せてズボンとパンツを下ろした。
母が用をしている間、トイレの外で待っていて、終わると中に入り水洗レバーを回して水を流した。
そして、パンツとズボンを上にあげて車椅子に乗せ替えた。
母は、紙で拭くことは何とか自分でしていたけれど、拭いてる間体を支えることが出来ないので、満足に拭けてないのが臭いで分かった。
その後、度々トイレに連れていったが、たまに便座に座るのがずれてる事があって、そんなときは便器と床を汚してしまっていた。そんな時は、汚れた便器と床を掃除しなければならなかった。そのためバケツと雑巾はすぐ届く所に置いてあった。
高校を卒業すると私は、東京の大学に入った。
母の介護を父と妹に押し付るようになってしまったが、正直ほっとした。
そしてそのまま東京で就職をした。
妹は高校を卒業した後、自営業だった父の仕事を手伝いながら母の介護をしてくれた。
何年かすると、妹は結婚して隣の市に引っ越した。
父は、仕事をやめて一人で母の介護をするようになる。
その父も次第に緑内障が酷くなって、目が見えなくなっていった。
視力が落ちているのに病院には行かずに放っていたので、病院に行った時は手遅れだった。
その上生来、肺が弱く始終咳をしていて、痰もよく出していた。
父も段々体が弱ってきて母の介護も出来なくなり、妹は母が入れる特別養護施設を探してきて、母を施設に入れた。
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