それが魔女生
「ほら、見てくれハルトヴィヒ!懐かしくないか?」
「そーですねー……はぁ」
あれから一ヶ月が経ち俺とヒルデブラントを含む一行はノースフロンティアを目指して旅をしていた。
陸路で一番近い港街のラソフィカまで行き、王家専用の船でノースフロンティアへ向かうらしい。金持ちは時間も買えるんだな、なんて遠い目をしていたのが昨日のことのようだ。
近いとは言えラソフィカまでは険しい山々を越えなければならず、実際俺たちは一月かけて山を越えた。道中ヒルデブラントの計らいで薬草採取ができたのは幸運だった。おかげで船酔い用の薬の材料がたくさん手に入ったのだ。
あの日の昼、大勢の兵士が押し寄せてきた時は驚いた。彼らは有無を言わさず牢を開け放ち事態が飲み込めずキョドりまくりの俺を五年住んだ部屋から連れ出した。おかげで薬草や調合薬などの多くを置いてきてしまったのだが彼らにとっては相変わらず俺の事情などどうでもいいらしい。事情といえばヒルデブラントとの約束があったため少し心配していたのが当の本人は馬車の中ですやすやと寝息を立てていたのだから気に入らない。
————頬を掴むくらいは許されるだろう、と手を伸ばしたところでパチリと開いた深緑の瞳に捉えられ俺は大人しく手を引っ込めた。そして彼から離れるようにして正面に腰を落ち着ける。馬車だと言うのに座り心地が俺のベッドよりも良くて経済格差に虚しくなる。ふと視線を感じて顔を上げれば王子サマがまっすぐに俺を見つめていた。寝ぼけているのか目はトロンとしていて何を考えているのか読めない。ただ全てを見透かすような視線がこそばゆくて俺は視線を振り切るように顔を逸らした。
「ハルトヴィヒ」
目を逸らすなど許さない、そう言っているようだった。ヒルデブラントの声はそれほど甘く切なくて、俺は意地になって窓の外を見つめる。どれほどそうしていたのか視線を感じなくなってそっと盗み見ればヒルデブラントは再び穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「呑気な呪いだよなー、本当」
「……」
一瞬ヒルデブラントが起きた気配がしたけれど相変わらず馬車に響くのは悪路でガタつく車輪の音と馬の蹄、それからヒルデブラントの寝息だけだった。
その日はそのまま野営地を目指し夜は火を囲んでの夕食、それから大きなテントで眠った。寝る前見上げた満点の星空はまるで降り注ぐようでちょっと怖かった。けれど突然手を握ってきたヒルデブラントの方が怖かったおかげで少し落ち着いた。
――――ひと月も経つと慣れてくるものだと空を見上げていると隣に誰かが腰掛ける。
「今日も一緒に寝るか?」
そう言って王子手ずからコップを差し出す。ほんのり湯気が立っていて夜の山に丁度よさそうだ。
「一緒に寝たいのはそっちだろ。俺は別にもう怖くないさ」
「それは残念だな」
大人しく引き下がるヒルデブラントを見送って俺はコップに口を付けた。
翌朝、ようやくラソフィカの街が見えてきた。
オレンジの屋根に白い外壁、その向こうに広がる真っ青な海。昔テレビで見たヨーロッパの街並みを思わせる景色に自然と胸が高鳴る。
「ラソフィカは初めてか?」
「ああ」
「そうか、飯も美味いし美術館や大学などそれなりに栄えている街だからな。出発は明後日だしゆっくり観光しよう」
「うーん、そうだな……」
観光地と言えば人が多い。想像しただけでも人酔いしそうだ。現に関所に近付くにつれて人の波ができておりその数は入る者も出る者も相当な数だ。まるで入園待ちのテーマパークを彷彿とさせる。
「……貸し切るか?」
「……ほんとそう言うとこだぞ」
金持ちはちげーわ。いや、そもそも一国の王子が変装もせず人がたくさんいる場所に行けるわけないのか。金色の髪も深緑の瞳も端正な顔立ちも鍛え抜かれた体も頭一つ分飛び出た身長もどれをとっても華がある。
「ヒルデブラント、お前目立つだろ」
「どうしてもと言うなら変装するが、そもそも俺が出歩けば兵達のストレスになるからな。街では自由行動にしよう」
「はいはーい!それなら俺が魔女様を案内します!」
いつのまにか馬車が止まっていたようでひょっこりと現れた兵士の一人が話に割って入ってきた。彼は新米君で、一日目の夜に紹介された護衛の一人だ。なんでもハンクさんの知り合いらしくそれで俺に対しても先入観なく接してくれる。
「俺、この辺りの出身なのでラソフィカにも詳しいんです!」
「じ、じゃあお願いしようかな……」
圧に押されてお願いすればヒルデブラントからの刺さるような視線が飛んでくる。仕方ないだろ、純粋な善意なんだから。
「栄えているとは言っても危険な街だ。暗くなる前には帰ってくるように」
腕を組んで不貞腐れたような顔をする王子サマにお子ちゃまだなと苦笑して馬車の外に視線を向けた。
「すっご……!」
眼前に広がるラソフィカの街は王都に引けを取らないほどにぎわっていた。風船売りのピエロに色とりどりの花が並ぶ生花店、大通りに沿って並ぶブティックや雑貨屋、飲食店に家具屋に文房具屋。まるで平面に並べたデパートのようで一軒一軒見て回りたい衝動に駆られる。
「ここはメインストリートなんだ。でも、その前に宿に移動しよう。ここだといささか目立ってしまう」
ヒルデブラントの言葉に視線を感じて外を見れば道ゆく人々がこちらを見てなにやら囁きあっている。そうだ、今回は公的な目的での旅だから馬車も王室の紋が入っている。俺は顔を引っ込めるように座りなおすと宿までの道中できる限り中央に座って人々の視線を避けようと悪あがきをした。
「ようこそおいでくださいました!私達セントラルポルトソフィホテルの従業員一同ヒルデブラント殿下のご宿泊を歓迎いたします」
街一番のホテルというのは思った以上に華美で同じ港町でもノースフロンティア側にあるクララノルトの町とは大きく違った。クララノルトは元々漁港だったせいか宿と言えば元漁師の営む個人住宅の二階部分をリフォームした安宿くらいで、飯を食えるのも酒場のみと質素な町だ。それに海ももっと黒くて空だって灰色がかっている。
それでも俺にとってはここよりずっと落ち着くのだ。
冬の匂いに頬に触れる冷気、赤ら顔の住人とのたわいない世間話、時折軋む床板。あの町へ近づいていると思うと不思議と懐かしくてたまらなくなった。
「殿下のためにVIPルームをご用意しております」
サービスはいいのかもしれないがどうにも胡散臭い笑顔だ。階級制度が薄れゆく日本で生まれ育ったせいかこういうのは鼻につく。時折俺を見ては不愉快そうに顰める顔。気に入らない。まさに二流の仕事じゃないか。大体なんだあの垂れ下がった一束は。オールバックなめてんのか。
「おい、お前今何と言った?」
突然地を這うような低い声がしてあまりにも突然だったため俺は最初それがヒルデブラントの口から出たとは思えなかった。こいつの声はいつだって砂糖菓子のように甘ったるくて無垢な天使のように優しかったから――――。
ふと顔を上げれば青ざめた様子のホテルマンの顔が見えた。どうやらヒルデブラントに怯えているらしい。
「ヒルデブラント、どうし――――」
「卑しい魔女風情が殿下の名前を口にするな‼」
「――――え?」
――――今の俺に言ったよな?
俺が理解するよりも早く、ヒルデブラントは剣を抜きホテルマンに突き付けた。
「ひ、ひぃっ」
突然のことに怯えて手を上げるホテルマン。彼が手にしていたであろうペンが滑り落ち静まり返るロビーにその音が響いた。
「殿下!」
慌てて止めに入ろうとした兵士の皆さんだったが切り裂くような「動くな」という命令に全員が動きを止める。
「俺の言ったことを聞いていなかったのか?先ほどから黙って聞いていればお前は何の権限があって俺の賓客を貶めるような発言を繰り返す?」
「は、はひ……い、いやしかしこいつは魔女では」
次の瞬間、ヒルデブラントが剣を一払いしホテルマンの一束の前髪と睫毛が消えた。それが目に入ったようで痛いと転げまわる。その姿に一旦剣を納めると踵を返して歩き始めた。慌てる兵士に「ほかの宿を探せ」と命じると俺の手を取り「すまなかった」と泣きそうな顔で下唇を噛み俯く。別に悪いのは王子サマじゃないのに。
「魔女として生きてりゃああんな奴らいくらでもいる。今更だ。でもヒルデブラントが俺の尊厳を守ってくれたからもういいよ」
だからそんな顔をしないでくれ。
「これは一体なんの騒ぎだ‼」
上階から降りてきた初老の男はいつもと様子の違うロビーに血相を変えてやってくる。ヒルデブラントは俺の前に立つと男に声をかけた。
「久しぶりだな、オーギュスト」
「殿下!ようこそおいでくださいました。」
オーギュストと呼ばれた男はヒルデブラントを見止めると満面の笑みで近づいてくる。オールバックだからかさっきのいけ好かないホテルマンと似たような顔に見えて仕方ない。こちらは人をおちょくるような変な一束のない純然たるオールバックだが。
「お部屋の準備はできております。本日はお客様をお連れとのことなので、続きの部屋でご用意しております」
そう言って深々と頭を下げるオーギュストさんに誰か現状を教えてあげてほしい。先ほどの流れを知ったら俺のことを恨むんじゃないかというほど幸せそうにヒルデブラントとの出会いを語りだしてしまった。
「すまないオーギュスト。先ほどあそこにいる男に俺の大切な客人を愚弄されてな。悪いが他を当たらせてもらう」
――――流れぶった切りやがった‼
人の心とか無いのかこいつは。オーギュストさんと目が合い愛想笑いを浮かべる。次の瞬間オーギュストさんの顔は閻魔様のように険しくなり先ほどの好々爺然とした話し方では無く雷のような声を張り上げた。
「どういうことか今すぐ説明しろマクシミリア‼」
そういうとオーギュストさんはギュインとカウンターの方を向いてツカツカと歩いていく。その背中はどう見ても熊だ。俺と変わらないくらい細いのに。
マクシミリアと呼ばれたのは先ほどのホテルマンでオーギュストさんの気迫に完全に負けている。いっそかわいそうなほどだとヒルデブラントを見上げれば「ざまあみろ」と笑みをこぼしていた。そういうとこだぞ。
そのあとこちらには聞こえないがガン詰めしている様子だけは伝わってきてハラハラ見守っているとようやく話し終えたオーギュストさんがマクシミリアの首根っこを掴んでこちらへやってきた。ぺしょりと投げ捨てられたマクシミリアは足元でめそめそしてる。
「ヒルデブラント殿下、そしてハルトヴィヒ様先ほどは愚息が大変失礼いたしました。本日のキャンセルは尤もでございます。三日後の祭りに合わせて今はどこのホテルも混雑しておりますので代わりのホテルにつきましては私共の方で手配致します」
自分の親より年が上の相手からの丁寧な謝罪ほど胃に来るものはない。
「ハルトヴィヒ様、本日は大変ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした」
「……した」
「マクシミリア!」
「申し訳ございませんでした!」
漫才かよ。小さくなって謝罪するオーギュストさんを見ているのはすごくつらい。本当に何してくれてるんだよマクシミリア。
「あの、俺はもういいですよ。職業柄そういう扱いには慣れてますし。でも、オーギュストさんのようにしっかり謝罪してくれる人の方が稀で大抵は唾を飛ばしてくるか、バツが悪そうにそそくさと逃げるだけなんで」
「ハルトヴィヒ……」
「ヒルデブラントさえよければ俺はここがいいよ。オーギュストさんが作っているホテルならきっと大丈夫だから」
「……ハルトヴィヒがそう言うなら、俺もかまわない。オーギュストが言うように今から代わりの宿を手配するのも骨が折れそうだしな」
ヒルデブラントの言葉に兵士の皆さんが小さくガッツポーズをしたのを俺は見逃さないぜ。
「それでは早速ご案内させていただきます」
部屋は三階にありヒルデブラントの部屋と俺の部屋の二室だけだった。街を見下ろす向きの部屋は夜でも賑やかそうで西の塔よりずっと人の生活に近い。窓を開けて風を感じてから俺は持ってきた荷物の整理を始めた。大した荷物も無いので酔い止めの調合でもするかと広げていると誰かが部屋の扉をノックする。
「はーい」
音がしたのは入り口ではなくヒルデブラントの部屋の方。それに気づいて少し警戒しながら開けた。
「今少しいいか?」
「……少しだけなら」
本来ならすぐにでも調合を始めたかったが仕方ない。睡眠時間を削れば当日までには航海中の分を作れるだろう。
「本当にここでよかったか?」
部屋に備え付けられた椅子に腰を下ろすとヒルデブラントが俺の顔を窺うように聞いてくる。
「ああ。見晴らしもいいし十分すぎるくらいだよ」
「貴方がいいなら……良かった」
「話はそれだけか?」
「いや……夕食を共にと話していたが急な仕事が入ってしまってね。俺は部屋で適当にとるからもしよかったらガラックと行ってくるといい」
ガラックは今朝のラソフィカ出身の兵士だ。確かにあいつといればいいお店を知ってるかもしれない。
「それも悪くないな」
「それじゃあ伝えておこう」
「なあ、俺も一緒に食べたいって言ったら邪魔かな?」
「え?」
ここまでの約一か月、せっかくこの街で食べる最初の食事はヒルデブラントと一緒がいいとつい欲が出てしまった。突然の申し出に困ったような顔をする彼に申し訳なくなって慌てて言い直す。
「邪魔だよな。気にしないでくれ」
別に明日出発というわけでもないのだ。困らせるほどの強い気持ちじゃない。
「邪魔じゃない」
「え」
「食べよう!一緒に!」
はじけんばかりの笑顔で俺の手を取るヒルデブラントは彗星のような美しさでキラキラ輝く深緑の瞳にうれしそうに顔を綻ばせる俺が映った。
こんな筈じゃなかったのに。
「じゃあ夕食の時間に呼んでくれ。それまで薬の調合をしたいんだ」
冷静なふりをしてヒルデブラントを追い出し顔の熱を冷まそうと窓辺に近付く。潮風が心地よい。先ほど輝いて見えた街はずっとずっと美しく見えて泣きたくなった。だめなのに。この気持ちはダメなのに。
「ゔっ……」
突然視界がゆがむほどの頭痛がしてその場に座り込む。目の前の景色とは別に誰かの声が聞こえた。女の人と――――ヒルデブラント?俺はそれを知っている。いやだ、いやだ。まだ何も思い出したくない。せめて今だけは。
遠くで母さんの子守唄が響いた。
眠り王子と魔女♂ 彩亜也 @irodoll
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