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 2月に入り、3年生は自宅学習になった。校舎、電車、駅から高校までの道のり、いたるところで人が少なくなったように感じる。去年は電車がすいたと思うだけだったのに、今年少し寂しく感じるのは、知り合いの先輩ができたからだ。


 生物の先生がインフルエンザにかかり、その授業が自習になった。プリント1枚を完成した後は、静かに過ごすなら自由になった。英単語を開いたり、宿題をしたり、各々何かに取り組む。私も図書室で借りた本をしおりの挟んだページから読み進めた。


「何読んでるの?」


 休み時間になって郁が席にやって来た。表紙を見せると、おお、と目を丸くする。


「心理学って難しそう」

「一度でわからなくて読み返すこともある。でも、読んでて楽しい」

「円は聞き上手だし、向いてそう」


 進路選択に向けて、興味のあることを順番に触れてみることにした。心理学が最初にあがったのは、赤い糸が見える能力によるところが大きい。

 実は明日香さんも大学で心理学を専攻していた。最近福泉堂のお菓子を手みやげに家に来たときに、大学でどんな勉強をしたか詳しく聞かせてもらった。それとは別にによによと笑っていたのが気になる。


 郁が体操服を持っていて、次は体育だったと思い出して本を閉じる。背表紙にのせた左手の小指には赤い糸が結ばれている。


(卒業式に会う)


 そう決めた。決めないと私は動けないから。

 少しずつ、前に進めたらいい。




 今日はバレンタイデーで、昼休みの教室ではあちこちでもお菓子を広げていた。私も昨日作ったブラウニーを郁に送った。


「このブラウニー、バナナ入ってる!」

「クルミ買い忘れて、バナナが家にあったからごまかした」

「バナナもおいしいよ」

「ありがとう。郁のチョコタルトは安定のおいしさだなあ。部活終わってからよく作れると思う」

「円はいつもほめてくれるからうれしい」

「チョコタルトは高橋君が食べたいって言ったの?」

「そうだけど……。によによしない!」

「仲良しだね」


 高橋君は友だちと話している。郁の照れた顔を見られなくてもったいない。


「円は小泉先輩に渡さないの?」

「渡さない。学校にも来てないし」


 私からもらわなくても、どうせ色々もらうのだろう。

 小泉先輩からの連絡はすっかり止んだ。違う学年にさえ噂が聞こえるほど、途切れることなく女子といた人だ。変わっている後輩にこだわる必要もない。

 私だけが赤い糸をひきずったまま。


「でも、告白する」


 郁はびっくりした顔をしてから明るく笑った。


「がんばれ!」

「卒業式に」

「まだ半月あるー」


 ふられるとわかっていて告白するなんて、周りからみたら滑稽かもしれない。でも、いつ過去として懐かしめるかわからないのに、小指の赤い糸を見る度にまだ残っているとがっかりするなら、本人にすっぱり断ち切ってもらいたい。

 教室の後ろのドアから、雑賀君がラッピングされたお菓子を持って入ってきた。


「雑賀君は今日で血糖値上がりそう」


 郁が感心した声を出す。朝教室に入って来たときにはすでにお菓子をもらっていて、男子たちにねたまれていた。


「いつもお世話になってるので」

「たくさんもらっているだろうけど、私からも」

「たくさんもらってないよ。ありがとう」


 雑賀君がななめ前の席に着く前に透明の袋に入れたブラウニーを差し出し、郁もチョコタルトを渡すと、雑賀君は受け取ってくれた。


「小泉先輩には渡す?」

「雑賀君まで……」

「私もさっき聞いたけど、渡さないんだって」

「渡さないの? なんで?」

「今、気まずくて会えない状況なので」


 飄々と、いや、おもしろがって聞いてくる。

 雑賀君は告白を断った後も変わらずに仲良くしてくれる。こんなできた人よりどうしようもない人を選ぶなんて自分でもばかだと思うけれど、今は後悔していない。


 廊下からバスケットボール部の友だちに呼ばれ、郁は席を立った¥¥

 雑賀君は周囲を見渡してから私に視線を戻し、声を落とす。


「小泉先輩に縋られでもした?」


 とっさに思い浮かべたのはお見舞いの日の出来事だ。雑賀君には頭の中まで筒抜けなのだろうか。

 ともかく固まる私の沈黙は肯定と言っているものだった。雑賀君は眉をひそめる。

 

「あの人のこと元々気に食わなかったけど、今嫌いになった」

えっ!?」

「まあ俺に関しては自業自得なんだけど。でも、付き合うんじゃなくて、気まずくなるってどういうこと?」


 私を置き去りにしてぶつぶつと考え込む。誤解のないように補足だけしておく。


「気まずいのは私だけで、あっちはきっと気にもかけてないと思う」

「結城の方が疑っているわけだ。あの人も身から出たさびだな」ひとり納得して口角をあげる。「お詫びとお菓子のお礼を兼ねて、結城の背中を押すよ」


『背中を押す』というフレーズに、嫌な予感がすることはめったにない。反射的に耳を塞ごうとして、けれど手にチョコタルトを手に持っていたから間に合わなかった。


「素直になったときは、もう逃げないように」


 頭が鈍く痛む。

 目を半分にしてにらむと、余裕の笑顔を返された。

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あかのいと 森野苳 @f_morino

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