22

 何かひとつでも中途半端な状態から抜け出したかった。


 背表紙に大学の名前が記された赤色の本、企業の名前が書かれたファイルに囲まれて、様々な学部や学科が大学の名前とともに説明された分厚い進路の本をめくる。端から読んでみても、これと決められるものがない。

 頭が痛くなってきて意識を別のことに逸らそうとしても、思い浮かぶのは小泉先輩のこと。


 きれいな顔で想いを踏みにじる姿が苦手だった。

 赤い花畑の絵を見てから、その姿と踏まれて汚れた糸を目で追うようになった。

 色鉛筆を拾ったきっかけで話すようになった数ヶ月、ゆっくりと毒が体を周るようだった。

 小泉先輩は私に嫌われたくないから好きにならないでと言った。つまりそれは、あの人が私を好きになることも欠片もないってこと。


 窓の外では線を引いて雨が降っている。今朝から1日中雨が降り止まないでいた。

 白のテーブルに置いていた左手を持ち上げて、小指に結ばれたほの暗い赤を見つめる。

 途中から逃げる理由がわからなくなっていた。

 はじめは小泉先輩に謝られたくなくて、平気な顔で会えるようになるまではと思っていた。でも最近は――。


(私のために泣いてくれないかな)


 自分の気持ちが叶わないなら、何も残らないなら、小さな傷でも残してやりたい。

 現実は掠り傷もなく、飽きられて終わりだろうけれど。


 進路指導室と資料室の間のドアが開く。現れたのは高橋君で、部活のウェアを着ていた。髪が汗で少し濡れている。


「部活中?」

「終わって先生に言いに来たら、こっちに結城が見えたから。何してんの?」


 本をテーブルに立てて、高橋君に表紙を見せる。


「学部の説明を全部読んでもぴんとくるものがない」

「全部はきついだろ。考え過ぎてよけいわかんなくなるぞ」


 自分は進路決まっているからって。つい高橋君に愚痴っぽくなってしまう。


「だって4年間だよ。選ぶのに失敗して何も残らなかったら、怖い」


 だから踏み出せない。

 そんな心の声に返されたのは、真っ直ぐな眼差しだった。


「結城がそれを言うんだ」


 いつもの明るいものではない、真剣な響き。


「俺が田中をふったくせに今さら好きだとか言えないってひるんでたら、今度は伝えなかったことを後悔しそうだって、結城が言ったんだろう」


 ――高橋君の言う通りだ。

 赤い糸で結ばれているのに、過去を気にして友だちでいようとするのに焦れて、弱音を吐く高橋君の背中を突き飛ばした。


「結城もヘタレだな」


 自分が言ったことそのままをドヤ顔で返される。まさにブーメランだ。

 私は頭で考えるだけで怖がって、結局踏み込んでいない。

 小泉先輩にもまだ何も伝えていない。


「高橋君と話さなかったら、もっと自分が嫌になるところだった。止めてくれてありがとう」

「よくわかんないけど、どういたしまして」


 性格を映したような明るい笑顔につられて、久しぶりに肩の力を抜いて笑うことができた。

 おしゃべりの続きというように、高橋君は自然体で聞いた。


「俊から結城にフラれたって聞いた」

「……好きな人がいて。でも、そっちがうまくいく見込みはないし、今でも雑賀君を断るなんてばかなことしたと何度も思うけど」

「ふはっ。俺ももったいないとは思うけどさ。でも、譲れなかったんだろう?」

「うん」


 この気持ちを忘れられなかった。忘れたくなかった。

 たとえ結ばれなくても、この感情が、あの日伸ばした腕が、私の答えだった。

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