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◆◆(1)

 意識したきっかけは、シロクマのキーホルダー。

 アルバイト先のカラオケに来る女子高のグループ。そのひとりがかばんにつけているキーホルダーは、自分も好きなロックバンドのツアーグッズだった。


 客が帰った後の部屋を掃除していたら、隣の部屋からそのバンドの曲が聞こえてきたことがあった。あの女子を通した部屋だ。キーをあげて歌っていて、本当に好きなんだと思った。



 ○



 料理をトレーにのせてキッチンを出ると、偶然その女子が廊下の前を歩いていた。

 天井に取り付けられたスピーカーから好きなバンドの新曲が流れていて、小さな声で歌っている。かと思ったら、「ええ!」と突然叫んだ。


「もう帰りたい! 恭くんに会いたい!」


 吹き出しそうになったのを我慢する。今日は俺の学校のやつらと合コンみたいだけど、どれだけ嫌なんだ。

 話しかけるのは今だと思った。


「あの」


 肩より長い黒髪を揺らして振り返る。カウンター越しじゃない近距離で、大きな目と合う。


「すみません、ドア開けてもいいですか」


 気づけば違うことを言っていた。ちょうど相手が立っていたそばのドアが、料理を運ぶ部屋だった。

「ごめんなさい」と女子は横に移動する。俺は頭を下げてドアを開けた。


 自分は物怖ものおじしないタイプと思っていたのに。話す機会を逃して落ち込んだものの、しばらくして友だちのいる部屋から料理の注文を受けた。




「俺らの学校、果乃ちゃんみたいなおしとやかな子いないよな」


 料理を置きながら友だちから話しかけられるのを適当に返事していたら、そんなせりふが聞こえた。輝の隣に座るあの女子と目が合う。


(さっき帰りたいって叫んでたぞ)


 思い出し笑いを抑えて肯定したものの、向こうはむっとした顔になる。でもすぐに愛想を戻し、「私も歌おうかな」とリモコンを触りはじめた。


 友だちのグループが帰った後、部屋の清掃に入るとソファーの下に深緑の生徒手帳を見つけた。拾って裏表紙を開くと透明のポケットにスーツを着た男の証明写真が、表紙の裏のポケットには写真付きの生徒証明書が入れられていた。


長谷川はせがわ果乃かの


 明日もバイトが入っている。生徒手帳を取りに来たら今度こそ話しかけると決めて、カウンターに手帳を届けた。






 翌日、店より先に駅で長谷川果乃を見つけて、緊張しながら声をかけた。

 好きなロックバンドの話で盛り上がった。それ以上に、恭くんは、と写真の人のことを話すうれしそうな表情が、一途な感情を向けられるその人をうらやましく思うほど印象に残った。


 だからこそ、金曜日に友だちと遊んだ帰り、混雑する駅で「恭くん」を見つけて思わず足を止めた。

 写真ではわからなかったけれど、実物は背が高い。スーツを着ていて、当たり前だけど自分よりもずっと大人だった。

 テレビで見ていた芸能人に会ったような気分で眺めていると、改札から出てきた女子が恭くんに話しかける。恭くんは手を差し出し、その女子の旅行バッグを持ってやる。カップルにしては年の差がある。それでも、兄妹には見えなかった。


(長谷川果乃が見たらやばいんじゃ……)


 嫌な予感は当たった。

 恭くんが誰かに手を振る。顔の向きをたどった先に長谷川果乃が立っていた。ふたりと向かい合っている長谷川果乃を見て、俺まで心臓が痛くなる。

 

 断られたらそれまでだ。近づいて、名前を呼んだ。


「果乃」


 こちらに振り返った表情が、安堵あんどに変わるのを見た。

「こんばんは」と一応恭くんたちにも声をかける。近くで見ても写真どおりのイケメンで、なんだか悔しくなる。


「果乃もう帰る?」


 この人たちと帰るのか。それとも、俺とここから離れるか。先ほど聞こえてきた会話から果乃がどうしたいかを聞く。


「ううん。恭くん、もうちょっと友だちと遊んでいくね」

「遅くならないうちに帰るんだよ」

「うん。また明日」

 

 とりあえずさっき入ってきた出口に向かって歩き出した。目的地はまだ決めてないけれど、できるだけ早くふたりの前から果乃を連れ出したかった。


「ありがとう」


 背後で聞こえた泣きだしそうな声に、今は振り返るのをやめた。

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