第5話 許してくれとは言いません。

 いつだったか。

 僕はを打ち明けようとした。

 僕も年頃の男子だ。

 優しくされればころっといく。


「ダメです」

「まだ何も言ってないよ」

「顔を見れば分かります」

 

 芽生えた淡い気持ちを否定されて、僕はしおれる。


「司くんが悪いわけではありません」


 私が、私では駄目なんです。


「何で、なの?」

「理由は今は教えられませんが、分かる時が来ます」


 解決編です。


「何だそれ」


 それ以上は何も、彼女はがんとして答えてくれなかった。


「司くんには、もっといい人が見つかります」


 君はにはもったいない人です。


                 *



 思い当たることはあった。

 思い当たることしかなかった。


 僕と静音は、二人でいられる場所で会話をするのが好きだった。

 図書館の端の机、駅前公園のベンチ。

 一番多くを語らったのはもちろん僕の部屋だ。

 高卒認定試験の会場でも、僕が人込みをあまり得意でないのを配慮してくれて、離れた所で待っていてくれた。


 静音も僕と二人でいられる場所で会話をするのが好きだった。

 そう、思っていた。


 彼女が僕と二人でいる状況でしか、100%の確率で不可思議にも会話をしてないなんて、思い起こすまで考えもしなかった。


 解決編、の時が来た。


                   *


 アスレチックパークの太い縄の網が沈まないのは、彼女が羽根のように軽いからじゃない。

 そこに重さがなかったからだ。


 違う。


 駅前公園の昼食で、彼女が物を食べないのはダイエットじゃなくて、そこに誰もいなかったからだ。


 違う違う。


 僕が自分の部屋を開け放していたのは、両親を安心させるためじゃなく、彼女が扉を開けて入ってこられないと、頭の片隅で理解していたからだ。


 違う違う違う。


 否定したくても、穴の開いたパズルは簡単に、ピースが埋まっていく。

 僕と彼女の危うすぎるバランスの思い出の、目を逸らしていた欠落を見せ付けられる。


 違う違う違う、違う!


 しず姉は二宮静音は、ずっと僕といた。

 ずっと一緒だった。


 彼女は、


 幻なんかじゃない。


                   *


 僕は呆気に取られるを置き去りして、図書館に文字通り飛び込んだ。

 彼女が読んでいた本の作家名は数人覚えている。

 題名も短かったのでいくつか頭に入っている。

 でもどれだけ棚を探しても、が親しんでいた紙束は存在しなかった。


 彼女がいた痕跡は、証拠はなかった。

 彼女は、ここに、いなかった。


                 *


 最後のあがきで、僕はうまく動かない体を、うまく動かない頭で操作しながら、プラネタリウムを訪れた。

 ここで彼女は確かに料金を支払った。

 僕は目の前でそれを見ていた。

 だから、だから……!


 プラネタリウムは潰れていて、閉鎖の張り紙が入口に貼ってあった。

 料金もの80円から、120円に値上がっていて、その文字でさえかすれていて、もう長いこと客が訪れていないことを表わしていた。


 券売機のお釣り口には硬貨があった。

 80円。

 たった「一人分」の入場料金。


 でも入口の扉に鍵はかかっていなかった。

 そうだ、使われていないなら施錠せじょうされているし、中はほこりまみれだ。

 いくら何でも気づく。

 もうやってないなんて嘘だ。

 だって僕たちが座った座席は清潔で、人の気配がしていた。


「おや、何だい君。ここはずいぶん前から営業していないよ?」


 初老の男性が掃除用具を手に、怪訝けげんな顔をして中から出てきた。


「え、でも、掃除……」

「ああ、これは私の仕事だよ。数カ月前から開始して、もうぴかぴかさ。来年の春にリニューアルオープンするからね。準備中なんだ」


 いやあ嬉しいねえ、おじさんは感慨深げにうなっていたが、僕は呆然ぼうぜんと立ち尽くした。


                 *


 つまりはこういうことなのだろう。

 僕が親しんだしず姉は、実はこの世には存在しなくて、僕の頭の中にしか存在しない空想のヒロインだった。


 と過ごすのが楽しすぎて、すっかり忘れていた。

 僕は、病気だった。


                *


 僕は新たに「統合失調症」の称号を得て、入院することとなった。


「彼女は……そこにいるかい?」


 主治医が診察室で尋ねてくる。


「……います」


 いつの間にか、彼女は僕の隣に戻ってきていて、心配そうな申し訳なさそうな表情で僕を見ている。

 閉鎖病棟には関係者以外は入ってこられないのに。


「薬を飲めば彼女は消えますか?」


 彼女は泣きそうな顔をする。


「無視を決め込んで、反応しなければ、だんだん幻覚は遠ざかっていく。そしたら完解かんかいと言えるよ」

「そうなんですね」


 なるほど。


                   *


 自分の病室に戻る。

 彼女は後ろをついてくる。

 ベッドに横になる。


 するとぽつりぽつりと彼女は語る。


「許してくれとは言いません」


 僕は無視する。


「でも司くんの力になりたかったんです」


 それだけです。


「ごめんなさい」


 偽物のヒロインで。


「ごめんなさい」


 僕は無視する。

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