23.――十五年経って、考えたんだけどさ。【最終話】

 正式に番った翌日、灯莉が目を覚ましたのは昼少し前だった。

 真横には目をきちんと開けた透麻のそれはそれはもう整ったご尊顔があって一瞬固まった後に堪えきれず吹き出してしまう。


「――見過ぎだろ」


 笑いながら逆方向に寝返りを打とうとすると腰にガッチリと回されていた長い腕が思いっ切り邪魔してくる。

 因みにきちんと番ってから透麻は灯莉に触れる時に指先が震えることは無くなった。


「おはようございます。こっち見てください、俺十五年分取り戻さないといけないので一秒も無駄に出来ないんです」

「おはよ、朝から馬鹿なこと言ってるな。そうだお前仕事は?」


 仕事、と言う単語で透麻の顔が一瞬で曇る。

 灯莉は透麻がたまに弟を通り越して大型犬に見える時があるのだが本人にはまだ言わないでおこうと思い視線だけで回答を求めた。

 するとそれを察した透麻は諦めた様に切り出して来る。


「今日までオフで明日からはドラマが撮了になるまでずーっと仕事です」

「そうか」


 端正な顔立ちに全く似合わないぶーたれた表情で言った透麻の方に灯莉は身体ごと向けてしっかり視線を合わせてから切り出す。

 ずっと確認しなければいけないと思っていた事があるからだ。


「お前の『体調不良』についてちゃんと聞いておきたい」

「……はい。長くなるので何か摘まみますか?」

「いや、水だけ欲しい。お前は?」

「俺も水で良いです」


 灯莉が何かをする前にさっとベッドから降りた透麻が昨日と同じ冷蔵庫から二本の水を取って戻って来る。

 身体を起こしてヘッドボードに凭れた灯莉はやたらと身体を気遣って来る透麻に苦笑しつつ自分の隣をぽんぽんと叩いて早く戻って来るように求めた。

 あれだけ恐れていた透麻との接触だったが、受け入れてしまうと本当に何故今まで離れていられたのかがさっぱりと分からなくなるくらいに心地良い。心地良いからこそ同じ空間に居て距離があると言うことが嫌だった。


「戻って来いよ、離れてるとなんかゾワゾワする」

「はいっ!」


 今まで見た笑顔の中で最上級に無邪気な顔で笑った透麻がすぐ隣に戻って来て、ぴったりとくっついてようやく落ち着く。

 ふわふわと漂う透麻のフェロモンがとても好ましくて首筋に鼻を寄せて嗅ぐと、昨日無事に脱童貞を果たした後雪辱を果たすように過剰なほどに頑張ってくれたアホの身体が少し強張った。


「何もしないぞ? 今から話をするんだ」

「は、はい……でもあのすみません。俺も頑張って話すので色んな意味で触れないでください」

「分かった」


 余りにも素直な言葉にくすくす笑った灯莉を透麻は愛しそうに見詰めて、離れていた十五年間についてぽつぽつと話し始める。

 灯莉が一番気にしていた『体調不良』は……奇しくもΩが本来背負うべきだった『ヒート』と同じサイクルで訪れていたことに何とも言えない感情を抱く。しかし透麻は本当に何てことないように笑った。


「俺にとってこの期間は悪いことばかりじゃ無かったんです」

「――何がだよ。どう考えてもお前、無意味に苦労してたじゃないか」


 自然と繋いでいた手に力を籠めると透麻は「違います」とハッキリと言った。

 そして十五年前のあの日、無理矢理灯莉を噛んだことを病院で知った時に自分が親や医師に対して発言した内容と両親と医師が教えてくれた『Ωの現実』を何一つ隠すことなく告げ、その上で続けた。


「どこまでも自分本位ですみませんが、罰してくれる何かがあった方が正直気持ち的に楽な時もあったんです。悪いことをしたから、今苦しい。でもこの苦しさを頑張って耐えていればいつか許して貰えるかもしれない。……俺はいつも、そればかり考えていました」

「……そうか」


 頭の良いαなんだからもっと綺麗に飾り付けて自分に都合の良いように脚色して良い様に告げる方法なんていくらでもあっただろう。

 でもそれをしない所に灯莉は透麻の誠意を感じた。

 とっくに許しているのに、何処までも誠実であり続けようと努力する姿は素直に嬉しいし、愛しい。

 だから灯莉は今の自分の心の中を素直に伝えることにした。


「もう言っても良いぞ」

「……え?」


 不思議そうに目を瞬かせた透麻に灯莉は笑う。



「もう俺のことを好きなだけ『自分のモノ』だって言って良い。その代わり、お前も『俺のモノ』だからな」



 そう言った瞬間透麻がまた泣き出したから、灯莉は仕方が無いなと笑って頭を撫でてやった。




 ***




 灯莉が生まれて初めて取得したヒート休暇だったが、肝心のヒート自体はかなり呆気なく終わってしまった。

 だから透麻が仕事に戻る段階で自分も出勤しようと考えたのだが、猛烈な反対にあった。

 物凄い圧で「またいつぶり返すか分からない」「初めてなんだから様子を見た方が良い」と初めて見るαっぽさ全開で続く怒涛の理詰めに限りなく近い説得に面倒くさくなった灯莉が「で、本音は?」と返すと答えは簡単。


「ここに居て欲しいです」


 の一言だった。

 αが番のΩを囲い込みたがるのは世間の常識だ。

 だから番った後も灯莉が仕事を限りなく今までに近い形で続けて行く事を了承した透麻はαとしては心が広い部類に入ると思うのでそこは灯莉が折れた。

 初めて一緒に過ごせる一日しかない貴重なオフなのだから! と透麻は灯莉から離れず、灯莉が冷蔵庫の中にある物で簡単に用意した遅めの昼食を「コイツただのアホだな」と心底思う怒涛の勢いで気の済むまで連写した後に「美味しいですッ!」とただ焼いただけのパンを感極まったようにして食べる姿を見て「アホ<可愛い」の感想が勝つようになったあたり灯莉も大分やられているのだと思う。


 大人二人が一緒に食事をする時、テーブルを挟んで向かい合って食べるのが普通だと思って生きて来たが透麻はそれを嫌がってわざわざ椅子を引き摺って真横にやって来た。

 大き目のテーブルだから問題無いが、会話がしにくいと思うけれど結局仕方が無いなで許してしまう灯莉は「有名人」と番ったと言うことについても確認しておきたいと考えていたことを思い出す。


「なあ」

「はい!」


 透麻が無意味にちびちび食べている食パンを見て呆れた溜息が出るが、そこに引っ掛かっていては会話が進まないので横に置いて気を取り直す。


「お前芸能人だろ?」

「一応そうですね」


 灯莉が真剣に話そうとしているのを察した透麻は表情だけで「断腸の思い!」をこれでもかと表現してパンを皿に戻して手を膝の上に置く。

 思わず子供か、と笑いそうになったのを堪えて灯莉は出来るだけ自然な口調を心掛けて質問した。


「俺達の関係って、事務所的にはどうなんだ?」


 さらっと言えたと思いたいが、灯莉は少し不安だった。

 β同士の同性カップルは今でも少数派だがαとΩの組み合わせの場合男女性でどうこう言われることは少ない。しかしいくらアイドルなどでは無いと言っても人気商売の透麻のことを思うと可能な限り秘密にするように振舞うのが正解なのかもしれない。

 透麻が灯莉の仕事への気持ちを理解して配慮してくれるなら灯莉も同じだけの配慮をしたかったから出た言葉だったのだが、透麻から返って来た言葉はとてもアッサリしたものだった。


「今すぐにでも結婚したいです! あ、駄目です待ってください! プロポーズくらいはちゃんとしたいのでもう少し待って欲しいです」

「……お前話聞いてたか? お前の意向じゃなくて、事務所の方針を聞いてるんだよ」


 はあ、と溜息が自然と出た灯莉を見る透麻の瞳はとても冷静だった。


「事務所的には灯莉さんと番って貰えれば俺が安定することは分かり切っていたので、元から大賛成です」

「……そうなのか?」

「はい。俺は元々演じる役柄も最初から恋愛描写NGで一貫してやって来てますし、デビュー当初から『心に決めた相手がいる』ってずっと折に触れて答えているので妙なファンもいません」


 ――居た所で度を越した段階で排除して来ましたのでもう数年そう言ったトラブルは無いですよ。


 さらっと言った言葉に今までで一番のαっぽさを感じて灯莉はちょっと引いたが、もう一度視線を合わせた透麻は先ほどまでと何一つ変わらない表情で笑っていた。


 確かに自分達は番った。

 今まで電話だったけれど、コミュニケーションはそれなりには重ねて来た。

 それでも直接会ったのは昨日がはじめてみたいな物だから、色々と話し合ったり考え方の相違を擦り合わせたりして双方が関係性を深める為に努力していく必要があることには何一つ変わりがない。

 生活習慣や日常の何気ない行動、価値観の相違等から喧嘩に発展する可能性だって大いにある。寧ろ無い筈が無い。

 全く別の環境でそれなりの年齢まで育って生きて来た人間がこれから先の人生を一緒に歩いて行くことは想像するより遥かに大変だろう。

 でも灯莉は透麻とならその苦労をしても良いと思っている。


 そして昨日灯莉が体験したヒートは恐らく軽い部類の物だと思う。海外の論文を参考にすれば、階段を一つ上がった範疇なのかもしれない。

 普通のΩが十代中頃から体験することになる理性や正常な判断力を失うほどの強烈な性衝動を伴うヒートを迎えた時、三十歳まで疑似βとして生きて来た自分の心は何を感じるのだろうか。

 考えるときりがないことばかりだが、それは言い換えれば全て本当なら十五年前から自分が本来背負うべきだった『正常な反応』なのだ。

 だから考えても分からないことを考えて、勝手に怯えるのはやめよう。

 だって自分には透麻ツガイがいる。

 昨日トラウマごと脱童貞したばかりだから色々まだ不慣れな所もあるが、伸びしろしかないのは分かり切っているからきっとその内頼もしいと感じる事だって増えてくるはずだ。


「灯莉さん?」


 知らず知らずの間に考え込んでいた灯莉の顔を透麻は心配そうに覗き込んで来る。

 思えば透麻はいつも一貫してこうだった。

 電話だけの関係の時も、昨日の夜も常に灯莉の反応に気を配り不安や不満を徹底的に洗い出して丁寧に取り除こうとして来る。それはとても言葉には出せないが灯莉が今まで付き合っていた彼女たちにしてきた配慮から頭一つどころでは無いほど飛び抜けて、また細部まで行き届いてもいる。

 今の灯莉にはそれだけで十分だった。


「なあ透麻」

「はい!」


 ぴしっと背筋を伸ばしてすぐに忠犬の如く返事をする世間一般が彼に対して抱いているイメージの真逆を最速で走り続ける自分だけの『α』に、灯莉は心の底から微笑んで告げる。




 ――十五年経ったらさ、俺お前の事すごく好きになったよ。



「……待っててくれて、ありがとう」







 透麻はすぐ泣くから灯莉にもそれがうつってしまった。

 でも自分達はお互いが唯一無二の『番』同士だから――これは仕方が無いことだと、思うんだ。

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十五年後に、会いましょう。 一片澪 @Mio_H_X1231BL

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