第37話 エピローグ
私は悪夢で目覚めた。
未だにあの日のことが忘れられない。
深夜、鉄獣の群れに襲われたあの日のことだ。
恐怖に満ちた襲撃を私たちは生き延びた。
混乱の中で壁を越え、逃げて、戦った。要塞市場は総力をあげて鉄獣に立ち向かい、おじさんが群れのボスを討ち取った。しかし、それでは鉄獣の大群は止まらない。あまりの数に耐えきれず、前線が崩壊するのは誰の目にも明らかだった。
持ちこたえたのは鉄狩りたちの練度が高かったからだと思う。残っていた凍土狩場の鉄狩りもホワイトガードもずっと鉄獣と戦い続けてきた精鋭だ。
そんな強い人たちでも勝てないときもある。
もはやこれまでかと思った時、エクシオさんたちが戻ってきた。避難所に詰めていた鉄狩りが凍土狩場に向かった部隊に連絡を飛ばしていたらしい。
一歩間違って入れば私は生きてはいなかっただろう。
あのとき、私は何もできなかった。市役所にたどり着いてからはずっと安全な場所にいて、知り合いが傷つくのを上から眺めるだけだった。
洗面台の鏡に青ざめた顔が映っている。
こんな顔で父さんに会いに行ったら心配させてしまう。
私は振り払うように強く顔を洗った。
いつの間にかサラが私の肩までやってきて、頬を舐めた。ひやっとした。
◇
「ありがとうございます」
家の前に止まった青い乗用車に乗って、頭を下げた。
「あの、これお礼です」
「そんなに気にしなくてもいいのよ。ついでだもの」
彼女は私の差し出した封筒を押し返した。
ハンドルを握る女性は凍土狩場に長く住んでいた頃の知り合いだった。今日は目的地が同じだったので私も乗せていって貰うことになったのだ。
車が走り出す。すぐに要塞市場の大壁を通り過ぎた。
地面に雪はほとんど残っておらず、わずかなそれも道路上からは取り除かれている。
長い冬は終わった。
ホクセンに厚く積もっていた雪は水となって川へと流れ、あらわになった土の中からは眠っていた獣や虫たちが姿を現す。寒いときには見られなかった鉄獣も見かけるようになってきている。
もうずっとあの日のような鉄獣の暴走は起きていない。
嘘みたいに平和な日々が続いている。
要塞市場では絶対と思われた大壁にふたつも穴が開いたことで防衛体制を見直すことになった。
ホワイトガードを常に雇うのは経済的ではないということで鉄狩りの育成を行うことを要塞市場の市長が決めた。指導に当たるのは凍土狩場の鉄狩りだ。今もベテランの鉄狩りが交代で指導にあたり、要塞市場の戦力を底上げを行っている。特にエクシオさんはいつも鉄殻衣を着て忙しそうだ。
エクシオさんが頑張っているおかげで避難民の生活も良くなったとみんなは言う。
交換条件で私たちの待遇を良くするように市長に頼んだからだ。
けれど、暮らしやすくなった理由は他にもある。
それもふたつ。
ひとつは要塞市場の夜襲を乗り越えたこと。
市長は要塞市場の危機を救ったみんなに感謝している。鉄獣と戦ったおじさんやメイズさん、他のたくさんの鉄狩りやホワイトガードの人たちみんなにだ。
夜襲とか鉄獣の暴走とかあまり大きなイメージの言葉では語られないけれど、あの事件はホクセンの危機だった。要塞市場で食い止められたのは奇跡だったとホワイトガードの人も言っていた。
それが人々が団結するきっかけになった。
もうひとつは地下農場が物資を支援をしてくれたこと。
夜襲から日が明けてすぐ、食料をいっぱいに積んだトラックが何台もやってきた。そして、ホクセンファーム代表のザンカさんが避難民にと言ってそれを寄付してくれた。
要塞市場の備蓄だけでは足りなかった食料問題がこれで解決した。
これでは地下農場は丸損じゃないかと思ったら、要塞市場が食料の仕入れをPECからホクセンファームに乗り換えたらしい。これからは遠くの大企業ではなく、地元企業に頼るのだとか。
市町に思うところがあったのか、それともザンカさんのビジネストークが上手かったのか。
大人の事情はわからない。
とにかく、結果としてホクセンの団結力は高まった。
これまではビジネス上のやり取りしかなかった三つの都市が一か所に集って助け合っている。独立志向の強いホクセンの都市がまとまるのは珍しい。
要塞市場の夜襲事件が衝撃的で、それが引き金になったのは間違いない。
けれど、夜襲事件だけではこうはならなかったと思う。凍土狩場は追い込まれていたし、地下農場は静観を決め込んでいた。そして、要塞市場は対応できなかった。
三都市に働きかけた人間がいたのだ。
誰もその人間のことを口にしない。
多くは彼のしたことを見ていないし、想像もできない。
でも、彼はいた。確かに偉業をなした。市長に働きかけ、ザンカさんを動かし、エクシオさんが来るまで要塞市場を守り抜いたのは誰がなんと言おうとあの人だった。
私は、私だけはそれを知っている。
遠くに凍土狩場が見えてきた。
いつも人通りが絶えなかったのに誰もいない大通り。見覚えはあるが崩れた商店。積もった瓦礫をどかす人々。あの日と変わらないまま静かな私たちの家。
まだ夜襲の爪痕の残る故郷がそこにはあった。
私はまたここで暮らす。
ほんの少し涙がこぼれた。
◇
凍土狩場の栄えた場所からいくらか離れたところに墓地がある。
森に近くて人通りの少ない静かな場所。等間隔で並ぶ金属の直方体は墓標だ。
新しいは鈍く光って見えるが、古いものは錆が浮いている。特に手入れされていないものはそうだ。母のものもすっかり赤茶けていた。後で錆を落としておこう。
墓地の奥に行くと真新しい墓標が増えていた。
その中には私の父さんのものもある。きっと、凍土狩場に戻ってきた鉄狩りの人たちが作ってくれたんだろう。父さんは多くの鉄狩りと付き合いがあった。
本当はここまで私が父さんを運びたかった。いや、あのときは気が動転していたからそこまで考えが回っていなかった。ただ、ひたすらどうにかしなきゃと思った。じっくり思い返すまでもなく、あの人の言ったことのが正しくて私が間違っていたのだとわかる。
『貴様も来ていたのか』
電子音声に振り返る。
彼がフードを脱ぐと見慣れたイヌ科に近い金属の顔が現れた。以前見たときから改造されている部分もあるが見ればすぐわかる。額にバツ印の傷跡があるのは他にいない。
間違いなく彼はおじさん、ガウ・ガルムだ。
「お久しぶりです。もう携帯端末がなくても会話できるんですね」
『いちいち持つのが面倒でな。埋め込んでやった』
人差し指で喉を叩く。
ちょっと髪型を変えたみたいな気軽さだった。
怪我しても一晩寝れば修復されるのに機械を埋め込むのはできるんだ。不思議。
それからガウはコートのポケットから黒パンと安酒の瓶を取り出して、父さんの墓に供えた。
どちらも生前父さんがよく口にしていたものだ。家で食べることは少なかったが、鉄狩りの仕事で出かけるときは必ず荷物にそのふたつが入っていた。
それからしばらく、五分ほどだっただろうか。
私たちは黙ってただただ父さんについて思いを馳せていた。
『この後すぐに南へ向かう』
沈黙を破ったのはガウだった。
『市場事変、ああ例の夜襲事件の通称なのだがその原因となった人型鉄獣について未知数な部分が多くてな。奴の持っていた武器や壁を破壊するために使われた爆薬をみるに今の人類とは違う技術体系を持っている可能性が高い。どちらかというと旧時代の技術に……とにかく、一度、直接最前線に乗り込んで調査したいのだ。奴の連れていた鉄獣を見るに南西から北上してきたのは確実だ』
「危険じゃないですか?」
『危険だろうな』
南の最前線の戦況はどこも一進一退と聞く。
富と名声に目のくらんだ鉄狩りと各国から送り込まれた開拓者が過酷な環境で戦い続け、その命を消費することで前線を維持している。歴戦の鉄狩りでさえ命を落としかねない危険な環境だ。
最前線の端、凍土狩場が平和だったが寒冷地だったために鉄獣すら寄り付かないのと優秀な鉄狩りがいたおかげだ。
それも今は安全といえるかは怪しい。
『先日の戦いで私に戦闘の適性がないことは痛感した。およそ戦闘技術と呼べるものを持たない鉄獣を倒すのにも精一杯。エクシオに助けられなければ死んでいただろう』
「それなら」
『しかし、また同じことを起こさせないためには誰かが真実を明かさなければならん。私が行く他あるまい。メイズとゴーズには手伝わせるつもりだが、他に信用できるものはもういないのでな』
視線が墓標へと落ちる。
その姿は少し寂しげに見えた。
『貴様はこれからどうする?』
「私は……」
ほんの少し考えてから答える。
「凍土狩場の復興も手伝いたいんですが、私はまだ子供だから何もできないかもしれません。だから、今は勉強ですね。学問だったり、料理を習ったり、鉄狩りのことも知りたいです。そして、いつかこの都市のためになることをやりたいと思います」
『行儀のいい答えだ』
あごが少し上ずった。
鼻で笑われたような気がした。
『ここでできることは少ないぞ』
「いずれ栄光都市に行きます」
回答がお気に召したのだろうか。
ガウはゆっくりと頷いた。
『なるほどな』
私たちはほんの少しだけ似ている。
私は弱く無力だ。かつてのガウも同じだったかもしれない。
だから、いろんな方法で力を手に入れようとしていたんじゃないかって。
『せいぜい頑張れ、ネイロ』
「生きて帰ってきてくださいね、ガウさん」
『当然』
ガウが歩き出す。
灰色のコートが小さくなっていく。
私はその後姿がすっかり見えなくなるまで見送っていた。
そのうち世界平和を実現させるマッドサイエンティストおじさん 竜田スペア @kuraudo
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