第7話 少女の帰る場所

 美空ミクが指さした先、路地の入口から何か小さな丸いものが転がって来る。


 まるでおもちゃのお金だ...。美空は最初そう思った。


 白く無機質なそれは、石畳の上を小さな段差に当たる度、軽い音を立てながらころがってくる...。


 やがて、それは四人のすぐ近くまできてピタリと止まった。


「タイモス...」


 ポロンクセマがポツリとつぶやく。

 その瞬間、それは飛び上がりポロンクセマの掲げた右手に収まった。


「...。」


 美空は改めてそれをまじまじと観察する。


 白く無機質な印象は変わらない。


 だが、美空はそれが全く汚れていないことに気がついた。


 白よりも白く、まるで空間を切り取ったかのようなそれは、最初の安っぽい印象から一転し、非現実的な不気味さを美空に感じさせた。


「それが...この世界のお金なの...?」


 美空はポロンクセマに尋ねる。

 ポロンクセマは、普段の明るい声とは違う、静かな、儚い声で答えた。


「そうポロ、この世界唯一の通貨、その最小単位『タイモス』ポロ...」


「これが100枚で1ファフォス、更に100枚で1マース、だな!」


 アロがポロンクセマの説明を補足する。

 普段と変わらない軽薄な態度から、美空が感じる不気味さを、この青年は感じていないらしい。


「これ...何でできてるの...?」


 美空は、その未知の物質から目を離すことなくポロンクセマに問いかける。


『タイモス』と呼ばれた、その物体は美空が知る硬貨と比べても小さい方だ。


 いくら小さくても、こんなものを100枚単位で持ち歩くのは大変だろうという、あまり関係ない感想を、美空は自分の胸に仕舞いつつ答えを待った。


「これは...」


 ポロンクセマは言葉を続けようとしたが、不意に路地の入口に視線を向ける。


 視線の先から人の気配がした...。


「ーーー!」


 残り三人も一斉にそちらに注目する。

 そこには男が立っていた。


 中肉中背で短髪の、余り特徴の無い男だ...唯一の特徴は彼が着ている真っ赤な羽織ぐらいのものだろう。


「あいつは...」


 アロが、男の服装を見て警戒を強める。


「彼は...先程の料理店で皆さんの隣に座っていた方ですね...」


 ギョウソウの言葉にポロンクセマは目を見開いた。


「爪楊枝咥えてたヤツポロ?」


 ポロンクセマ達は、先程の口論の中、先に席を立った隣の客が丁度あんな背格好だったことを思い出す。


「君がアロの財布を盗んだポロか...?」


 ポロンクセマの緋い瞳が男を見据えると、男はたじろいだ様に後ずさったがすぐに持ち直した。


 その顔には、引き攣ったようなえみが張り付いている。


「...。お、俺は手荒なことはしたくねぇ...大人しく着いてくれば、ひ、酷いことはしねぇよ...」


 卑屈な声色で脅しの言葉を吐く男にアロが食ってかかる。


「ふざけんな!こっちは四人だぞ一人で何が...」


 アロがその言葉を言い終わる前に、男の後ろから、塀の上から、路地の影から、赤い羽織の男がわらわらと身を乗り出した。


 男達は、先程ポロンクセマが絡まれた時の何倍もの人数で、彼らを取り囲んでいたのだ。


「俺たちの目的は、か、金じゃない、そこの、坊やさ...」


 大勢の仲間に囲まれ、少し落ち着きを取り戻したのか、男の引き攣ったような口調は多少和らいでいる。


「くっ...」


 アロは険しい表情で、奥歯を噛む。


 美空やポロンクセマだけならともかく、今はギョウソウがいるのだ、この人数相手に、この僧侶が大立ち回りを演じる姿をアロは想像出来なかった。


「丁度良いポロ...」


 両者の緊張が高まる中、ポロンクセマがつぶやく。


 少年は再度、その腕を頭上に掲げ、その勢いで手に持っていた硬貨も宙を舞った。



「まとめて持ってきてくれて助かったポロ...」



 ポロンクセマがそう言い終わらないうちに、男達の懐という懐から、白い小さな円盤が垂直に飛び出した。


「ーーー!」


 男たちに動揺が拡がる... 自分の懐を仕切りに確認するもの、目の前の光景にたじろぐもの、油断なく少年を見据えるもの...


 そんな男達の頭上で小さな円盤は静止を続けている。


 ポロンクセマは、男達を気にする素振りもなく、静かに集中していた。


少年の指がわずかに動く...。


 その小さな動きに対して、空中に静止した円盤の反応は大きなものだった。


 それらは、ポロンクセマの頭上で静止する『タイモス』めがけて飛翔し、その目標を中心に旋回を始めたのだ。


「...。」


 男達は、目の前の光景を処理しきれずただその場に立ちすくむしか無かった。


 やがて、いくつもの円盤の集合体は、空間を隙間なく埋めつくし、さながら小さな白い星のように少年の頭上に浮遊した。


 旋回する球体が起こすそよ風が、男達の頬を撫でる。


「僕も手荒なことはしたくないポロ...大人しくアロの財布を返してくれれば、酷いことはしないポロ...」


 少年のあかい瞳が男達を見つめる。


 その視線に男達が想定していた怒りは感じられず、見つめられたものから我に返っていく。


 いつの間にか発光を始めた球体は、その光で辺りを照らした。


 日が沈みかけた薄暗い路地で、その光はことさら輝いて見える。


 あまりの異様な光景に男達は皆、ジリジリと後ずさった。


 今、白い球体は少年の背後に鎮座し、その光は後光のように少年の体を包み込んでいる。


「財布...置いてくポロ...」


 光の中から声が響く。


「う、うゎぁぁぁ」


 男達の最後尾にいた、若い、小さな男が一人、大きな声を上げながら、その場から走り出した。


 その小男につられ、大半の男達はその場から逃げるように走り出し、数秒後に残っているのは、卑屈な声色の男の他は数える程しかいなかった。


「.........」


 男は残った自分の手勢を見渡し、最後に光の中に立つ少年を恐ろしそうに見やると、少しずつ後ずさり、大通りの方へと消えていった。


「おい!待ちやがれ!」


 アロが後を追おうと身を乗り出す。


「アロ!待つポロ!」


 ポロンクセマは掲げていた腕を下げながら、アロを制止する。

 背後の光源も、いつの間にか光を失っていた。


「ですが...ポロンクセマ様...」


 アロは、男が消えていった大通りの方とポロンクセマを交互に見ながら食い下がる。


「いいポロ...子供のイタズラにいちいち怒る僕じゃないポロ」


 路地に静寂がもどり、彼ら以外に人の気配はない。


 ポロンクセマが、今度は掌を差し出すように前に出すと、背後の球体から一枚、また一枚と球体を構成していた硬貨が吸い寄せられていく。


 美空は、一枚づつ少年の掌に収まっていく硬貨がのが見えた。


「......?」


 自分の目がおかしくなったのかと目を擦る。


 一枚の硬貨の上に、もう一枚硬貨が載ったかと思うと、いつの間にかそれらは重なり、1つになったのだ。


 そうして少年の掌で、どんどんその数を減らしていった硬貨は、いつの間にか数えられる程の枚数になっていた。


「...。マースがないポロ...」



 ポロンクセマは、その中の一枚を摘みながらそう言った。

少年の掌には、小ぶりな硬貨と一回り大きな硬貨が混在している。


「...。」


 美空の何か言いたげな表情を見ると、ポロンクセマは説明を始めた。


「このお金は、僕たち管理者の身体と同じものでできてるポロ」


 ポロンクセマはそういうと、摘んだ硬貨を上下に振った。


「『RT-No.5』はフェルミ粒子に干渉して、物質の重ね合わせを実現しているポロ...」


 ポロンクセマが硬貨を振るたび、同じ硬貨が滑るように少年の掌に落ちる。


「...?」


 よく分からない単語に、美空の頭は余計に混乱した。


「要するに、100枚まで場所を取らない不思議なお金ポロ!」


 ポロンクセマは、不可解な顔の美空と対照的に明るい表情で硬貨を振り続ける。


 みるみる内に、ポロンクセマの小さな手に小銭の山ができていく...。


 ポロンクセマは、手を振る度に新しい硬貨を持ち上げ、無限に硬貨の山を増やしていった...。


 ポロンクセマの見開かれた目が美空を見つめる...


「...。」


 掌の硬貨は、増える...増える...増える...





「っ...もういいわ!!!」


 美空は、しばらく固まっていたが我に返り、なんとも言えない顔をしたポロンクセマに上段蹴りを放つ。


 掌いっぱいの硬貨が地面に落ちる。やはり地球の硬貨とは何もかも違うのか、地面に当たっても乾いた音しかしなかった。


 美空の足はくうを蹴り、身を逸らしたポロンクセマは先程とは違う自然な笑顔で美空に問いかけた。


「美空、さっきから元気ないポロ、何かあったポロ?」


 美空は、面食らうように少し目を見開いたが、すぐにいつもの表情を取り戻す。


 美空は、自分が落ち込んでいることを、少年に指摘されるまで気づけないでいたのだ。


 先程の謎の行動は、ポロンクセマなりに美空を励まそうとしていたのだろうか?だったとしたら...



「…ガキかよ...」


 美空は思わずゲンナリしながら独りごちた。


 元気づけるとしても、もっと他にやりようがあっただろうに...。


 美空は、自分が落ち込んでいたと悟られたことが、急に腹立たしくなってきた。


「なんでもないわ、ムルマが1000年サボってるって聞いて、凄く時間が経ってるって実感しただけ...私の家族も、友達ももういないんだなぁーって実感してただけよ」


 美空は、オレンジ色にぼやけた空を眺めるふりをして視線を外す。


「美空殿...」


 ギョウソウが悲しそうな顔でつぶやく。


「っ、もう大丈夫よっ...!わかってたことだもん...」


 眼前の男三人の気遣うような視線が美空には耐えられず、少し怒ったように話を切り上げた。


「そんなことより、マースってのがないんでしょ?どういうこと?」


 話を変えようと、先程のポロンクセマの発言を問いただす。


 ポロンクセマはしばらく言い淀んでいたが、美空の様子を見ると、小さく息を吐き質問に答え始めた。

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