第5話 封手の行僧①

「とんだ茶番だったわ...」


 美空ミクはそういうと、石畳の上で正座している男二人に侮蔑の眼差しを向けた。


 料理店『芙蓉娘娘フーローニャンニャン』での騒動の後、僧侶と共に店を後にした三人は、店から少し離れた場所で、美空主催による強制反省会を開催していた。


「なぜ、僕たちは怒られているポロ...」


「私に分かるわけありません...」


 二人は口を一文字にして、ブツブツと不毛な意見交換をしている。


「とりあえず、保証人が見つかったから良かったけど、次から不用意に騒ぐんじゃないわよ」


 虫を見る目、その視線の先にいるのは、節操のない子供か、女の敵か...

 そんな事は、視線を向ける本人にも分からなかった。


「...それにしてもありがとね、助かったわ」


 美空はそう言いながら、虫を見る目から一転し、柔らかい表情を隣の男に向ける。


「いえいえ、拙僧の微力が皆様のお力になれたのなら...」


 深い紫色の袈裟を纏った男は、そう言うと微笑みながら軽く一礼した。


「...。」


 美空は、眼前の僧侶を頭の先からジロジロと観察する。


 若い男だ、歳はアロとそう変わらないだろう。


 頭髪は綺麗にり上げられ、形のいい頭が陽の光を反射している。


 顔には見る者の心に涼風を誘うような、さわやかな笑みをたたえ、紫紺の袈裟から覗く肩の肉付きは、アロとは違う意味でこの僧侶が日々、自堕落な生活を送っている訳では無いことを物語っていた。


 何よりも、美空の目を引いたのは袈裟の左腕部分だ...


「...いかがなさいましたか?」


 男は、目をぱちくりさせて、美空のぶしつけな視線に応えた。


「ううん、なんてほんとに言う人初めて見たわ」


 美空は、自分の視線が失礼にあたると初めて自覚し、視線と共に話も逸らせないかと、思いついた話題を口にした。


「北方世界の行僧に会うのは初めてですかな?」


 僧侶はそういうと、右手で左の袖を掴み、美空にも見えるように体の前に持ってきた。


 僧侶の衣服は、一枚布をそのまままとったような構造をしていたが、左腕、特に本来左手が出てくるはずの袖口が特殊な構造をしており、まるで袋のようになっていた。


 僧侶の行動を『観察することの許可』と受け取った美空は、先程よりもにその袖口を注視した。


「...上手いもんね、縫ってあるってパッと見て気付かないもの...」


 袖口は、内側から綺麗に縫われており。

 その縫い跡は、多数のシワやたるみと同化している。


 まるで、本来この衣服はこういうものであるかのような、自然な仕上がりだ。


 美空は、一通り縫い口を観察し終わると、なぜそのような構造になっているかに思い至り、バツが悪そうに再度視線を外した。


「いかがされましたか?」


 僧侶は、美空の浮かない顔を心配そうに見つめる。


「いや、なんて言うか...」


 美空は、僧侶から更に視線を外し、少し上の方を見つめている。


「あぁ、腕のことでしたらお気になさらず...ちゃんと付いておりますし、このようにしているのは、拙僧のゆえですので」


 僧侶は慣れた態度で、気まずそうにしている美空を気遣うように笑った。


?」


 美空は、疑問の声をあげたが、同時に先程の僧侶の発言を思い出す。

 とは、要するに、異国の修行僧のことなのだと勝手に納得した。


 僧侶も、美空の様子からそれ以上の説明は必要無いと判断したのか、についてそれ以上話すことはなく、穏やかな表情で美空を見つめている。


「ふーん、ところで、あなたの名前は?」


 当座の疑問を解消した美空は、まだ聞いていなかった恩人の名前を尋ねた。


「拙僧は、ギョウソウと申します」


 ギョウソウは、その表情のように、落ち着いた、穏やかな声で答える。


「行僧のギョウソウって...それ不便じゃないの?」


 怪訝な表情で、美空が尋ねる。


を務めるものは皆、この名を名乗ります。初めて赴いた街でも自分が名が知られているというのは大変に便利ですよ」


 ギョウソウは微笑み、子供の素朴な質問に優しく答えるように返答した。


 美空も、子供のように声を上げながら納得している。


「じゃあ、字は?書き方も一緒なの?」


 美空は、そういうとさっきまで自分たちのいた店の方向を指さす。


 美空達三人に、食い逃げの嫌疑をかけた店の軒先には、店名を表す看板が掲げられている。


 看板には暗い色の布が貼られ、その上から『芙蓉娘娘』と金文字で装飾が施されていた。


 この街の文字は美空が慣れ親しんだものと比べるといささか以上に変質しているようだったが、読み方を聞けば納得出来る程度には類似性が見られる。


 ポロンクセマのスフィアとの違いだ、スフィア間で話す言葉は同じなのに、使用する文字や文化が異なるというのはなんともおかしな感じがした。


 どちらにしても、肝心の意味と読み方については、ポロンクセマに教えてもらわなければ、理解不能ではあるが...。


 不思議と自分に馴染む異界の文字に、美空の学習意欲は大いに高まっていた。


「字?でございますか?」


 ギョウソウは、美空の質問の意味が理解出来ないようで、人の良さそうな顔で首を傾げている。


「そう!あなたの名前!なんて書くの?」


 眼前の僧侶は、相変わらず質問が理解できないようだった。

 二人の間に、沈黙が流れる。


 どうにも、話が噛み合っていないと感じた美空は言葉を続けようとしたが、その言葉はポロンクセマに遮られた。


「ところで...ギョウソウはなんで僕たちを助けてくれたポロ?」


 ポロンクセマは、正座したまま美空の腰あたりの高さからひょっこり顔を出し、疑問を投げかける。


「そうそう、突然現れたからビックリしたぜ」


 アロも、美空の肩口辺りからギョウソウを伺うように顔を出した。


「...。」


 美空は腕を組みながら、二人を交互に見やり、まあいいかというように息を吐きながらギョウソウに視線を移した。


 ギョウソウは、三人から同時に向けられる視線を受け止め、丁寧な口調で質問に答える。


「お恥ずかしながら、先程の飯場での皆様の会話が聞こえてしまいまして...途中から聞き耳を立てておりました...皆様の見慣れぬ風体に思わず注目してしまったことは否めません...」


 ギョウソウは、少し申し訳なさそうに眉を寄せる。


〝やっぱりあんたたち怪しいのよ!〟〝美空だって大ジャンプしてたポロ!〟〝そうだ!美空が悪い!〟と小声で言い合う三人に構わずギョウソウは続ける。


「皆様のお話にムルマ様のお名前が挙がり、更にはこの街でムルマ様を探すと言うではありませんか...。この方達は何者かと思ううちに、あの様な騒ぎとなっていしまい...。」


「ムルマのことを知ってるポロ!?」


 申し訳なさそうなギョウソウと対照的に、喜色満面のポロンクセマが食い気味に問いかける...。


 その飛び出した頭を元の位置に押さえつけながら、美空が重ねて問いかけた。


「それで、私たちの事を知りたくて名乗り出てくれたってわけね...」


「え、えぇ」


 押さえつけられる、ポロンクセマを気にしながら、ギョウソウは続ける。


「ムルマ様は、我々のとなられる御方ですので...。拙僧共は、ムルマ様がお隠れになってから千年...そのお姿を探し求めているのです...」


「1000年!?」


 ポロンクセマは驚きの声を上げ、美空の手を振り払う。


「1000年間、ムルマは何してたポロ!?」


 ポロンクセマは立ち上がり、ギョウソウに詰め寄った。


「さ、さぁ、遥か昔の伝説のようなものですので...拙僧共はムルマ様にあやかりを怠らず、ムルマ様の教えを広めながら、その帰りを待っているのでございます...」


 ギョウソウは、ポロンクセマの勢いに押されながらも説明を続ける。


「ムルマ様と拙僧共についてのお話は、少し長くなります...」


 ギョウソウの落ち着いた声に、ポロンクセマ他二人も耳を傾けた。

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