第4話 芙蓉娘娘

「これは...警邏ケイラを呼ぶしかないね...。」


 三人の前で、腰に手を当て困り顔の女性は、この店『芙蓉娘娘フーローニャンニャン』の女主人である。

 恰幅のいい体つきと、意志の強そうな瞳は、女主人という肩書にふさわしい貫禄を彼女に与えていた。


「そ、それは困るポロ!」


 ポロンクセマは、今にも泣きそうな顔で女主人にすがりつく。

 ケイラという言葉は初めて聞いたが、話の流れから、この街の治安を司る何かであることは容易に想像できた。

 先程、赤い羽織の男たちを追っていった、兵士の呼称なのかもしれない。


「こっちも商売だからねぇ、こういうのを見逃すと収拾がつかなくなっちまう」


 過去に収拾がつかなくなったことがあるのか、彼女の言葉には有無を言わせない雰囲気があった。


「何よりあんた達、よそ者だろう...」


 女主人は、見慣れない漆黒の髪色にこの地方の民族衣装を纏った少女、これまた見慣れない青髪にほとんど上裸・腰巻姿の青年、そして明らかに異質な全身白色の美少年、を順に見やりながら付け加える。


「金がないって...立替えてくれる宛はあるんかね...?」


「そ、それは...」


 ポロンクセマは、押し黙るしかなかった。


「この店に入った時はあったのですが...」


 相変わらず血の気が引いた表情のアロが、うつむいたまま、誰にともなく呟いた。


「今、ここにないんじゃ、あたしにとっては一緒だよ...」


 女主人は、ため息混じりにアロの独り言に応える。


「...。」


 アロは更にうつむき、続く言葉を発することは出来なかった。


「だから、お金は取られたって言ってるじゃない!取り返して必ず持って来るわよ!!」


 美空ミクは、立ち上がり腕を組み、女主人と正対して息巻いている。


「取られたって...一体誰に取られたんだい?」


 女主人は、やけに堂々とした美空の態度に頭を抱えながら質問する。


「知らないわ!店に入る前まではあったんだから、この店の誰かが...」


 美空は、店内を見やりながら言葉を続けようとしたが、



「お黙り!」



 素早く表情を切りかえた女主人の鋭い視線に、美空は押し黙るしかなかった。


「金が無いからって、言うに事欠いて、人の店になんていいががりをつけるんだい。この店にはあんたらの小銭に手をつけるような客も、従業員も、居やしないよ!!」


 女主人を、完全に怒らせてしまったらしいことに気づいた三人は、 押し黙ってしまった。


「飲み食いした代金、5ファフォスと30タイモス!今すぐ払えないなら、出るとこ出てもらうよ!」


 ポロンクセマとアロが両手を頬に当て、悲鳴を上げる。

 悲痛な叫びが店内に響き渡った。




「「へ?」」


 悲鳴を上げたあと、そのままの顔で二人は間抜けな声を出し、固まった。


「5ファフォスと30タイモス?......ポロ?」


 ポロンクセマは、あまりの驚きに自分の語尾を、一瞬失念したようだった。

 鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、問いかけるような視線を女主人に送っている。


「53ファフォスの間違いじゃないのか?」


 アロもポロンクセマと同じ顔で女主人に問いかけた。


「53ファフォス?何言ってんだい!昼間っから三人で、5ファフォス分も飲み食いしたら大したもんだよ!さっさと払いな!」


 女主人の顔に、怒りの他に戸惑いと不信感が追加される。


「ポロ!ファフォスって何よ!?」


 話についていけない美空は、少しイライラしながら、ポロンクセマに問いかけた。


「ファフォスとタイモスはお金の単位ポロ...。100タイモスは1ファフォス...100ファフォスは1マース、ポロ...」


 ポロンクセマは、何やら考え込んでいる。



「格安店ポロ...」


 指で顎をつまみながら、ポロンクセマが呟く。


「なんだって?」


 ポロンクセマの呟きを聞き取れず、女主人が聞き返した。


「こんな美味しい料理を、こんなに沢山、5ファフォスで提供するなんて、ここは飛び抜けて良心的な格安店ポロ!」


「はい!おっしゃる通りです!ポロンクセマ様!!」


 ポロンクセマとアロの顔は、先程の悲観的なものから一転し、今は、二人で顔を見合せながらお互いの認識を共有している。


「5ファフォス30だよ!ちょろまかそうとしてんじゃないよ、全く...」


 女主人は、目の前の二人を気味悪げに見やりながら、しかし、端数を切り捨てられたのを見逃さなかった。


「そうだったポロ!30タイモス!この値段であの料理を提供するには相当の苦労があるはずポロ...」


「おっしゃる通りです、ポロンクセマ様...食材を揃えるだけでも一苦労でしょう...」


 ポロンクセマとアロは、女主人の前で2人揃って腕を組みながら、うんうんとうなずいている。


「な、なんだい、あんた達...突然...」


 女主人は、引き続き気味悪そうに二人を見ながら、少し身を引き、距離を取っていた。


「この店はきっと、本当の意味で、お客さんのことを考えているんだポロ...お客さんが何も気にせず料理を堪能できるように...これが、人情ポロ...」


 ポロンクセマは、女主人の漢気に感銘を受けたような顔で、口角を片方上げながら、鼻の下を指でこすっている


「全くです、今どき珍しい素敵ななお店ですね...!」


 アロも、見よう見まねで、ポロンクセマの表情と仕草を模倣する。


「あんた達、さっきから何を...」


 女主人は完全に戸惑った声で、男二人に問いかけた。


「女将...いや、ここは姐さんと呼ばせて欲しいポロ!」


 勢いよく首をもたげたポロンクセマの顔が、女主人の顔に勢いよく近ずく。

あまりの美貌に、さすがの女主人もたじろぐ。


「姐さんの料理...凄く美味しかったポロ...」


 女主人を上目遣いに見つめるその表情は、そこらの子女であれば一瞬で恋に落ちたであろう。


 いたずらに揺れる白髪はくはつ、小動物のような口元、ほんのり赤みを帯びた頬、丸い目は少し潤んでいる。


 思わず視線を外し、後ずさった女主人を誰が責められるだろう。


「そ、そんなお世辞言ったって...」


 後ずさりながら、思わず顔を隠そうと反射的に動いたその手を、アロが握る。


「綺麗な手だ...」


 アロはただそう言うと、女主人をじっと見つめた。

 今度は、女主人が見上げる形になり、改めてこの青年の顔を間近で見る。


 青みを帯びた髪は雑に撫でつけられ、逞しい首元へと垂れている、がっしりとした精悍な顔つきには、子供っぽい笑みを浮かべ、その口元からは犬歯が覗いている。


「そ、そんな事ないよ、荒れた手さ...」


 女主人は、掴まれた手を振りほどこうとするが、思いのほか強く握られた手は、離れることはなく。


 結局、女主人は手を掴まれたまま、一歩一歩、後退するしか無く、おのずと店の壁際まで追い込まれる形となった。


「いいかげん...は、なしな...」


 女主人は最後のあがきと、精一杯、手を左右に振ったが、青年の片手の腕力にとても歯がたたなかった。

 顔の横にもう片方の手を、トンと置かれ、女主人は静かになってしまった。


「あんなに旨い料理を作れるんだ、これ以上ない綺麗な手さ...」


 青年の囁くような声に、日頃の苦労が呼び起こされ、溢れるものを見られまいと視線を伏せる。


「そうポロ、すっごく美味しかったポロ?」


 伏せた視線の先、女主人と青年との間にはいつの間にか白髪の少年が収まっていた。


「ーーーー!」


 上も天国...下も天国...という、存りもしない言葉を思い浮かべながら、女主人は目を閉じた。


 目を閉じながら、女主人は今までの自分の人生を思い返す。うら若き日の恋、幸せな結婚生活、愛する人との死別、そして、そこから今日までの苦悩の日々。


⋯私にも、こんな幸せがあってもいいんじゃないか...。そんな思いが、女主人の頭の中を駆け巡った。

 意を決して、目を開ける。


「「へ?」」


 その瞳に写ったのは、アロとポロンクセマが疑問を発するマヌケな顔の残像であった。


「いい加減にしろ!!」


 店の石壁と平行に吹き飛ばされた、ポロンクセマとアロのいた場所には、黒髪の少女が立っていた。

 どうやら、この少女が二人を蹴り飛ばしたらしい。


 女主人は、小柄な少女が男二人をまとめて蹴り飛ばしたことが信じられず、目をぱちくりしている。


「ばっかじゃないの?」


 美空ミクは、垂れた長髪を指で弾きながら、店の隅で絡まっている男達に罵声を浴びせると、今度は女主人の方に向き直った。


「要するに、私たちに保証人が居ればいいんでしょ?」


 美空がそういうと、彼女の後ろから紫紺の袈裟をまとった僧侶が、苦笑いしながら顔を出したのだった。




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