オレはタイムリープで出会った義妹に恋をする

沙崎あやし

オレはタイムリープで出会った義妹に恋をする


「———ッ」


 今、オレの眼前に少女が立っている。場所は自宅の洗面所。そうそう、洗濯機が置いてあり、奧は浴室に続いている、ごく普通の洗面所だ。


 浴室がある。つまり入浴の為の更衣室も兼ねているので、服を脱いで下着姿でいるのも、なんら不自然ではない。オレは見てしまった。短く切り揃えた黒髪、スレンダーな身体、薄褐色の肌、そしてグレーのスポーティーな下着を纏った少女を——。


「きゃあああッ」

「なんで義兄おにいが悲鳴を上げるのよ。普通逆でしょ」


 恥じらいもせず、呆れた顔で溜息をつく少女。そう、悲鳴を上げたのはオレだった。オレは顔を真っ赤にして、慌てて洗面所のドアを閉めた。胸がバクバクする。健全な青少年にとって、同年代の女子の下着姿は刺激が強すぎた。それが例え義妹のものであっても……って、義妹? え?


「……お前、誰だ?」

「はあ? ちょっと冗談キツイ。そんなに昨日、義兄おにいのプリン食べちゃったコト怒っているの?」


 ドア越しに会話するオレと、オレを義兄おにいと呼ぶ少女。オレが義理の兄ということは、少女は……義理の妹ということになる。確かにオレに義理の妹はいる。だがしかし、あんなスポーティーな少女ではない。


 黒髪であることは一緒だが、その長さは腰まであり、眼鏡を掛け、教室の片隅で本を読んでいるのが似合い、それなのにちょっと胸の大きいのがオレの義妹だ。名前は柊木リコ。そのはずだ。


 ドアが向こうから開き、義妹だと称する少女が顔を出す。


「どうしたの、義兄おにい?」

「……お前、名前は?」

「え。ホントに怒ってる? ゴメンてば。今度新作ケーキ買ってくるからさー」

「名前は?!」

「……柊木、リイナだけど? あッ」


 オレはすぐさま走り出した。二階に上がり、自室へと飛び込む。そして机の引き出しを開ける。——オレはこの状況に、一つ心当たりがあった。まさか、そんな……でも可能性としてはありえる。


 引き出しの中には、一枚の書類があった。こんな時の為にと、父親にお願いして取り寄せておいた住民票だ。そこには家族の指名が書かれている。


『続柄:長女 リイナ』


 オレはその場にへたり込んだ。なるほど、あのスポーティーな少女——リイナ——の言っていることは正しい。少なくとも、この「世界線」においては。


「まさか、そんな……」


 オレは頭を抱えた。これは——タイムリープ事故だ。実はオレは政府の秘密機関に所属する、特別工作員なのだ。オレはタイムリープ能力を保有する、いわば超能力者だ。その能力を生かし、世界の平和を守る為、日々奮闘している。今朝もちょっと世界の危機を救ってきたばかりだ。


 だが、その副作用が出てしまった様だ。タイムリープは原則、同じ時間軸上を過去に戻る現象だ。だが世界は多くの可能性が複雑に重なり合い、ちょっとずつ歴史が違う平行世界が無数に存在する。


 だからごく稀に、別の歴史の世界線へと飛んでしまうことがある。確かにそういう可能性があるという話だったが——まさか本当に起こってしまうとは。まあ今回の事件は難事件だった……事件解決まで、千回ぐらいやり直したからな……。


 察するに、この世界線は「父親の再婚相手が前とは違う」世界なのだ。だから当然義妹も違う。そういうことなのだ。なんてことだ……。


「どうしたの、顔色悪いよ?」


 振り返るとリイナがこちらを見ていた。心配そうな表情を浮かべている。オレは思わず視線を逸らす。——年頃の娘が、下着姿でうろつくんじゃあない!


 そりゃ本当の妹なら——例え義妹であっても、たぶんオレは無反応だったろう。実際リコの下着姿は腐るほど見てきたが、劣情を感じたことは無い。それが兄というものだ。


 だが。リイナはオレにとっては事実上初対面の女子なのだ。刺激が……生は刺激が強すぎる……ッ!


「まさか、妹に欲情してるんじゃないでしょうねえ?」

「そ、そんなワケあるか!?」

「……え、マジ? ちょいキモ」


 最初は悪戯っぽく言っていたリイナも、どうやらオレの反応を見てマジくさいと思ったらしい。肩を抱き、オレの心を傷つける言葉を残して去っていった。ぐぬぬ……事実なので反論しようがない!



 —— ※ —— ※ ——



「……困った……」


 オレは見慣れた天井を見つめながら、溜息をついた。自室のベッドの上に寝転がっている。疲れているが、眠気は一向に訪れない。


 あれからタイムリープを百回ほど試したが、元の世界線には戻れなかった。義妹の部屋のドアを開く度に現れるのはリコでは無く、寝間着姿のリイナだった。ノックぐらいしろと怒られた。まあ最初のウチはノックしてたけど、その内面倒になってな……。


「……マジ、困った……」


 オレは再び呟く。……いや、本当にそうなのか? 確かに義妹は入れ替わったが、それ以外は大凡元の世界と変わりはない。ずっとテレビのニュースを見ていたが世界状況は同一だし、秘密機関とも連絡がついた。そりゃそうだ。本来タイムリープで飛べるのは同一世界の過去へ、なのだ。事故とはいえ、そう遠い世界に飛べるものではない。たぶん。


 少なくともこれから生きていく上で、問題になることは何も無いのだ。変わったのは義妹だけ……。


 リコがどうしているかは、ちょっと気になるな。そうは言ってもリコが死んだりとかいなくなったりとか、そういうことにはなっていない。元の世界、リコのいる世界は今も存在し、きっと別のオレが入れ替わる形で存在している……はずだ。


「……だから、困った……」


 そう。だから困っている。今オレは、一つの可能性を懸念している。それは、入れ替わりで存在するであろう「別のオレ」だ。そいつが、リコに、手を出す可能性を大変憂慮している。具体的に言うと、歯軋りせんばかりに心配している。


 「オレ」だったら、リコに手を出すなんてことはあり得ない。義妹といっても妹なのだ。愛で庇護することはあっても、劣情対象になどなり得ない。もしそんな兄が存在するのなら——オレは今からソイツを駆除しに行くことも何ら厭わない。兄の尊厳にかけて。


 しかし「別のオレ」はどうだろう? 恐らく「別のオレ」には義妹が存在するが、それはリコではないはずだ。つまり「別のオレ」にとってリコは、初対面の女子ということになる。


「ぐぬぬ……」


 心配だ。非常に心配だ。身内贔屓かもしれないが、リコはとても魅力的な女性だ。清楚という言葉は彼女の為にあると言っていい。今まで何人もの不届き者を駆除してきた。だから、オレですら義妹というフィルターが無かったら惚れてしまう可能性を……排除しきれない!


「くそ……まさか、自分が敵になろうとは……」


 一刻も早く、元の世界に戻る必要がある。リコを守る為も……オレは親指の爪を噛む。くそ、明日はタイムリープノック千本だ!


 こんこん。


 その時、自室のドアがノックされた。こんな深夜に……親父か?


義兄おにい、起きてる?」

「お、おう」


 リイナだった。何も言わずにいると、リイナは薄暗い室内に入ってきた。かちゃりと音がする。彼女は照明も付けずに、そのままベッドの横に座った。……ん? 何かいい匂いがする。


「……どうしたんだ?」

「はい、ケーキ」

「は?」


 オレはベッドの上で上体を起こし、リイナの方を見た。彼女の手には小さな紙箱があった。駅前のケーキ屋ショートニングの箱だ。ぱかりと開けると、中にショートケーキが二つ入っていた。なるほど、匂いはケーキのものだったか。


「どうしたんだ、これ?」

「……なんか義兄おにい怒ってたから……さっき買ってきた」


 ああ。そういえば洗面所の時に、プリンがどうのこうの言ってたな。あれを気にしていたのか? なおオレは全く身に覚えが無い。


「何もわざわざこんな夜中に買いに行かなくっても……」

「だって、よそよそしいんだもん」


 リイナはすこし頬を膨らませて、ケーキを切り分けた。その一欠片をフォークで刺し、オレの方に向けてくる。


「はい、あーん」

「子供か」

「はい、食べる。食べて機嫌直せ」


 半端強引にケーキを口の中につっこまれる。仕方ないのでもぐもぐと咀嚼するが……美味いな。さてはワンランク上のケーキを買ってきたな? 再びケーキが差し出されたので、今度は大人しく食べる。うん、美味い。


 薄暗い室内で、オレはもぐもぐとケーキを食べる。その様子を見てか、リイナがちょっとホッとした表情を浮かべる。


「何かあったの?」

「……いや、別に」

「嘘」

「なんでウソだって分かるんだよ?」

「何年妹やってると思ってんですかね、この朴念仁は」


 ふっと、リイナの指が伸びてきた。オレは一瞬身構えた。リイナの指はオレの口元に触れ、そして付着していたクリームを拭った。


「!?」


 オレは思わずドキンとする。その拭ったクリームを、リイナは舐めた。その仕草は、とても心臓に悪かった。……今、周りが暗くて良かった。今の恐らく紅潮しているであろう顔を、リイナには見られたくなかった。恥ずかしい。


「まあ話せるようになったら言ってよ。これでも妹ですから。義理ですが」

「お、おう」


 リイナはふっと微笑むと、ゆっくりと立ち上がってオレの部屋から出て行った。——結局オレは、その晩眠ることは出来なかった。



 —— ※ —— ※ ——



「……義兄さん、いつまで寝ているんですか? 起きてください」


 オレははっと目を覚ました。気がつけば、リビングのソファーに横たわっている。そのオレを、眼鏡を掛けた見慣れた顔が覗き込んでいる。


「……リコ! リコじゃないか!」

「はいはい、おはようからおやすみまで。あなたの妹、リコですよ」


 思わず抱きついてきたオレを、リコは軽くいなすようにぽんぽんと頭を撫でる。ああ、間違い無い。この実家のような安心感——間違い無くリコだ。


 ——どうやら、元の世界線に戻ることに成功した様だ。やれやれ……あれから何度タイムリープを試したことか……もう一生、タイムリープはしなくていいかな……。


「どうしたんですか? 何か悪夢でも見ていたんですか?」


 オレから離れたリコは、キッチンで夕食の準備をしながら聞いてくる。まあ、そうね……悪夢といえば、悪夢といえるのかな。


「何か、変わったこと無かったか?」

「変わったこと?」

「うん。ここ最近で」

「んー、ちょっと義兄さんの様子がおかしかったぐらいですかね。あ、いつものことでしたか。失礼失礼」


 うんうん、いつのもリコだ。思わず涙が出そうになる。


「オレの様子がおかしいって、具体的には?」

「私の下着姿で欲情してました」

「ぶっ」


 思わず噴き出した。別のオレぇ……なにしてんだよ……。つか、マジで手を出していないだろうなあ。


「な、なにかあったりしてないよな?」

「? それはまあ……手を握られたりしたぐらいですかね」


 おおう……何てこった。今すぐ制裁しに行かねば……だがしかし! 平行世界の仕組み上、別の自分自身に出会うことは出来ない。口惜しい……世界が、世界が貴様を守っているというのか……。


「でもほっとしました。なんだか元気になられたみたいで」

「お、おう。そうだな」


 同じ自分自身と入れ替わっていたはずだが、どうやらリコは何となく異変には気づいていたみたいだな。身内の直感は侮れん。まあそれだけ、オレとリコの絆が深い証拠だといえるかな。わはははは。


 リコが食事の用意をする音を聞きながら、オレは窓の外を見る。もうすっかり日は暮れている。薄暗い夜空が見える。




「——ああ」




 オレは思い出す。もう一人の義妹のことを、そう、リイナのことだ。




「参ったな、全く……」




 オレはリコに聞かれないような小さな声で呟く。まったくもって遺憾なことながら——仮にも兄だというのに——オレは、またあの世界線に行きたいと思っていた。痛切に。


 ——そうだな。別のオレがリコに手を出しかねないということは、その逆もまたしかり、ということだ。


 オレは親指で、口元を拭う。それはレイナが触れた感触を反芻するかのように。







  ——オレはたぶん、リイナに恋をしてしまっていたのだ。





【完】



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