第8話「再子の脳芯」
博文は奥の部屋の寝台に再子を寝かせる。
「ずいぶん派手にえぐられてるな。ステラ、脂肪部を六ケースと骨部一ケース持ってきてくれ。あと表皮セット一箱に血管ロールと、胃と肝臓、腸も頼む」
博文が誰かに向かって言うと、奥から「かしこまりました」と女性の声が聞こえてくる。
少しして、上部にモニターのついた透明なガラスケースの機械がいくつか浮遊して出てきた。
ガラスケースの中には臓物の入った瓶や箱やらがあり、上部のモニターにはそれぞれ何かのデータが映されている。
「すまないステラ。しばらくそのままで頼む」
「かしこまりました」
博文は手袋をはめ、ステラと呼ぶ機械から臓物を取った。ステラは、どうやら機工医師の助手のようである。
手足がある方が医療行為には適しているため、普通は非人型機械種を助手につける者はいない。
正生も非人型が医療行為の場にいるのは初めて見た。
離れて見ていた正生は、博文を邪魔するわけにはいかないのでチャシャに視線をやる。
「もしかしてあれ助手なのか」
「うん。あの子は〈アストラル七・八型〉。名前はステラちゃん」
「アストラルって……」
「三十年前に造られた無足型機械種だ」
だいぶ昔の話のため正生は機種の名前しか知らず、証がステラの機種について説明した。
アストラルシリーズは人間が開発している機種であり、星の流れるような動きをテーマにした非人型で足のない機械の一つである。
七・八型は、三十年前のアストラルシリーズの最新機種だった。
ガラスケースに物を入れて動かせる利便性の高さから、当時は宅配や小型物運送で重宝されていた。
博文の親戚が経営していたレストランでも活用されていたが、それらの機体がいくつか機械進化して意思を持った。
その一つが、ステラである。
チャシャがステラと博文の関係性を補足する。
「ステラっていう名前は、当時十歳だった黒岩さんが付けたものなの。進化した機体は個人として扱われて、店に残って働くか、離れるかの選択を与えられた。その時ステラちゃんは名付けの縁から、博文さんの家で過ごすようになったんだって」
機械進化後の機体には、生活に支障が出ないように補助制度がある。
ステラはそれを活用して博文と同じ学校に通い、その時からずっと彼と生活を共にしているという。
「黒岩さんが十八で特務零課に入った時、彼女も一緒に試験を受けて合格して入隊してたの」
「いわゆる、長年の相棒ってヤツだな。あの二人、相性よくて当時は特務零課で誰も勝てないバディだったらしい」
証は少し羨ましげな目で、治療する博文を見つめた。
博文はステラが運んできた臓物を、再子の損傷部にあてがっていき紐で固定していった。
機械種の肉体は人間とほぼ同じであるが自然治癒能力はなく、機体に修復コードを読み込まなければ傷は直らない。
修復するために必要なものを揃え、機体にある「脳芯」と呼ばれる部分に修復コードを読み込ませれば自動で肉体を再構築していく。
一見すると、機工医師など必要なさそうにも見えるが、修復する機体の脳芯を探し出すところからまず難しいのである。
脳芯とは、機械種の体内に複数点在するデータの結晶のことである。
脳芯一つ一つに、一個人を形成するデータが保管されている。
その脳芯にコードを送り込むとそのコードに付随した反応が返ってくるのである。
機械種が唯一、脱離できない機械性能とも呼ばれていた。
脳芯は平均して二十個ほどで、全てが血液のように体内を流れまわっている。
機械種の要となる「核データ」が無事であれば、脳芯はいくらでも再生する。
しかし脳芯が全て破壊されてしまうと、機体は動かなくなってしまう。
動けなくなるリスクを減らすために、内部構造が精密な機体ほど脳芯の個数は多くなっていた。
機械種の修復医療行為では、それらの流れる脳芯を全て探し出して同じコードを読み込ませなけらばならない。
博文は再子の手首を軽く親指で押さえた。
彼の視界に〈核芯の信号を検知〉と文字が表示される。ピピと電子音が鳴り、ステラの箱の上のモニターにデータが表示された。
「全ての脳芯の検出しました。脳芯は計三十八個です」
「思ったより多いな。D#54の体内の精密さにはいつも驚かされているが、ここまで脳芯が多い奴は見たことがない。それにおそらく、本来ならもっと脳芯があるんだろうな」
今の再子は大きく身体を損傷していて、脳芯もかなり破壊されているはずである。
(通常状態の脳芯の全数は五十……いや、もしかしたら八十あたりまでいくかもしれんな)
博文の目に白い数字コードが浮かび、伝達プログラムが起動する。
サイエネルギーを使って遠隔で機械種にコードを送信できるものである。
「そこの少年、名前なんつったか」
博文は視線を再子に向けたまま、脳芯の位置を確認しながら正生に尋ねた。
「特務零課の取締官の細川正生です。そっちは俺とバディを組んでる起動再子です」
「やはり零課か……こんな怪我すんのそこしかねえからな」
博文は苦虫を噛み潰したような表情をしてつぶやく。
一つ二つと再子の脳芯を見つけ出し、再子の手首を親指で少し押し込むと脳芯の流動が一時的に停止した。
止まった脳芯に修復コードを送信していく。
「お前はこの嬢ちゃんと組んで長いか」
「年数で言えば四年程度っすけど、機関に入った時からのバディです」
「そうか、なら何度も共闘したことがあるな。こいつの修復治療はいつも誰がしてるんだ」
博文に問われるが、正生はすぐに答えられなかった。
チャシャと証は不思議そうに彼を見る。
正生は困ったように眉を寄せた。
「実は再子が機工医師に診てもらったの、今回が初めてなんすよ」
え、とチャシャと証の声が重なり、博文は勢いよく正生の方へ目を向けた。
彼の目に映っていた伝達プログラムの白いコードが消え、その赤い目には驚きの色が見える。
「博文さん、伝達プログラムの急停止は危険です」
「わ、悪い……」
ステラにお叱りを受けて博文は顔をひきつらせて謝る。
正生は三人の反応が予想外で、怪訝そうにしていた。
「どうかしたんすか」
「どうもこうも、特務零課の機械種で機工医師の治療を受けてない奴なんざいねえぞ」
「そう、なんすか?」
博文に言われても正生はいまいちピンときていない様子だった。
バグという化け物と戦う者たちにとって、怪我は当たり前のものである。
特に機械種となると、前衛に回って大きく破損することも多い。
チャシャもそうなのだが、何年もバグと戦っている機械種で機工医師の治療を受けていない者は誰一人としていない。
チャシャは何か考えるように顎に手を当てる。
「インターポールは日本のサイコ取締機関とも関わりがあるから、細川君と起動さんの特務零課での活躍は聞いているよ。でも……これまでバグと戦って酷い怪我をした経験が一度もないの?」
「ああ、いや。俺も再子も怪我ならしてますよ。けど俺は死にそうになった時だけSAシステムで回復してて、再子は……なんか自然に回復してるみたいっす」
「どういうことだ。機械種は自然回復しないはずだぞ」
「それが俺もよく分からないんすよ。致命傷を負ったと思ったら、一分も経たないうちに傷がなくなってて」
正生は答えにくそうにして頰をかいた。
再子も致命傷を負うことはあったが、どんなに大きな傷だろうと内臓が破壊されていようと、気づけばその傷が塞がっているのだという。
「中学の入学式んときにも死にかけたんすけど、何か気づいたら治ってて。再子に聞いたことはあるんすけど、本人も分かっていないみたいです」
本人は今まで、怪我をしたときにSAシステムを使ったことはないのだという。
仮にSAシステムの能力で治癒を行ったとしても、そこまで即座に全快することはできない。
「だから今回、再子の身体が回復しなかったのは初めてで……」
正生も初めてのことで、このままだと再子が死滅してしまうと焦っていたらしい。
(機械種の新たな進化……人間化して「自然治癒能力」を手に入れたというのか? いや、話を聞く限りコイツは、普通の人間を遥かに超えた治癒速度を持つってことになるが……)
博文は改めて再子へ目を向ける。
伝達プログラムを再び起動させた。
その瞬間、目を見開く。
「おい細川。この嬢ちゃんの脳芯の数、聞いたことはあるか?」
再子に目を向けたまま、正生に問いかけた。
「え? あー……一応」
博文に問われて正生は、横に目をそらした。
「けど本人は間違ってるかもしれないって言ってたんで、正確なところは分からないんすよ」
「どういうこと?」
歯切れの悪い返答にチャシャは怪訝そうにする。
通常、機械種は目を閉じて脳芯に共鳴コードを送ることで、体内の脳芯の数を正確に把握することができるようになっている。
自分の脳芯を数えることなど簡単なはずだった。
「いや、それが……再子が言うには脳芯の数が――百三十を超えるらしいんすよ」
『……え?』
チャシャと証は唖然とする。
しかし、博文は特に表情を変えず、小さくため息をついた。
「その数は間違っちゃいねえだろうさ……この嬢ちゃん、並の機工医師じゃ対応できねえぞ」
博文は視界に広がる景色に、なかば呆れながら言う。
彼の視界の中で、再子の体内の脳芯が高速で再生していた。
治療後に脳芯が再生する分にはコードの送信は不要である。
しかし修復治療中に脳芯が再生した場合、それら全てに修復コードを送らなければ治療を完了することができない。
博文はどんどん増していく脳芯を、狩りをするように追って何とか必死に食らいつきコードを読み込ませていく。
「悪いが治療に少し時間がかかりそうだ。悪いが三人とも外で待っていてくれ」
博文に指示され、チャシャは正生たちを連れて部屋の外に出た。
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$!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー 雛風 @hinaak
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