後序

 こうして無事に決闘が終わり、私たち三人は再びタガの家でお茶を飲んでいます。


《ったく、負けたんだからとっとと帰ンなよォ》とタガは至極面倒そうにナシャさんに言いますが、ナシャさんは決闘以前よりも豊かな声音で拒みます。


《何を言う。我が負けたのは魔術師グマルタに、であって、魔術師タガに、ではない。負けたら帰るというのはあくまで貴殿との契約だったはずだ、魔術師タガよ。何より我はこの娘を買っているのだ。もう少し居て話をさせてはもらえぬか?》


「まあまあ。せっかくご客人が楽しそうにしておられるんですから、今帰してしまうのは勿体ないでしょう?」と私もタガを宥めます。


 するとタガは「チッ、勝手にしな」と捨て台詞を吐いて、パイプを咥えて薬草に火をつけ始めました。




《ときに魔術師グマルタよ、魔族の条件とは何であるか知っているか?》


《……生まれ、ですか?》


《違う。生まれもそうだが、それ以前に心だ。魔法を信じる心、魔法を求める心が魔族の第一条件なのだ。

 我々の決闘を止めた時、貴殿は心の底から魔族だった。我にはそれが心の底から理解できた。

 ……だから、貴殿のことをハイヴァーンなどと呼んでしまった非礼を、今ここで詫びさせてはくれぬか》


 そう言ってナシャさんは手に持ったティーカップに目を落としました。目線は今までより弱々しく、力がこもっていませんでした。


《そんな……! 私、まずそのハイヴァーンの意味がよくわかっていませんでしたし、確かに馬鹿にしていたことは伝わりましたけど、そんなに気にしてませんよ?》


《ああ……ハイヴァーンというのは、西方魔族が非魔族を指して呼ぶ言葉だ。人間、巨人、精霊、竜、そして野生動物や家畜に至るまで皆ハイヴァーンと言う。魔族以下の下級の種族といった差別的な意味合いが強い》


「言うなら『人畜生』さ」と煙を吐き出しながらタガが人語訳を教えてくれます。


 人畜生ハイヴァーン。その言葉には、人間たちにとっての「魔女」のような特別な熱の籠もった響きがあるように感じられ、鳥肌が立ちました。その熱を流してしまうように、私はわずかに残ったハーブティーをぐっと飲み干します。


《西方大陸は我々魔族の世界。一方で、東方大陸は人畜生ハイヴァーンの世界。我々西方魔法学会は、東方魔族を人畜生ハイヴァーンどもから解放することを目的として行動している。だから本来であれば、貴殿らには西方大陸に移り住まぬかと提案しているところなのだが……》


《イヤだよォ?》


《嫌です!》


 私とタガの言葉は同時に重なりました。それが可笑しくて少し吹き出しそうになってしまいます。


 ナシャさんは穏やかに笑って、《そうだろうな。そう言うと思っていたとも》と静かに頷き、ティーカップを置きました。


《いや、実に惜しいよ。貴殿らほどの魔材じんざいが西方にあればどれほど魔法学の発展に貢献することか……》


 そう呟くナシャさんを尻目に、私は何故彼女が「本来であれば西方への移住を提案している」と言ったのかが気になりました。だって、彼女たち西方魔法学会の目的は東方大陸に魔族の世界、すなわち魔界を作ることだからです。


《ねぇ、ナシャさん。私たちに移住してほしいって言ってましたけど、本当は私たちが住んでるこの地に魔界を作ってほしいんじゃなかったんですか?》


 するとナシャさんはカップを手に取り、一口すうっとハーブティーを口に含んで、それをゆっくり飲み込んでから答えました。


《確かに東方に魔法国家を樹立することも目的の一つではある……が、正直に言ってその望みは薄い。そのことは貴殿ら東方魔族が一番良くわかっているだろう》


《……あァ。百戦錬磨の魔術師たちでも、あの魔人戦争の時ァ人間たちに全滅させられたからねェ》


 そう言うタガは戦争の時のことを思い出しているかのように目を伏せています。


《だが、上の老魔ろうじんどもは頭が固いのだ……未だに実現不可能な理想に執着し続けている。その性は死ぬまで、いや、死んでも変わらぬだろうな……全ては我々若い世代が尻拭いをせねばならぬのだ。全く難儀なことだよ》


 そう言って笑うナシャさんの目元には若々しい肌のつやに反して深いシワが刻まれていました。人間で言えば三十歳を超えていない程度には若いはずですが、そのシワが彼女の年を実際以上に高く見せていました。


《つまり……決闘のときに『タガに魔王になってもらう』と言ったのは嘘だったってことですか?》


《そうだ。もし決闘に勝っても『魔王国の建国というのは建前だ』と言うつもりでいた。

 本来の目的は東方魔族の調査と保護だ。東方魔族は日に日に数を減らしている。人畜生ハイヴァーンどもに同化していくのも時間の問題だ。ゆえに我々魔法学会の若い世代は魔術師タガのような高いレベルの魔法と魔術を持つ東方魔族の存在を調べ上げ、保護したいと思っている。だから移住せぬかと提案したのだ》


《それから……》と言いかけたナシャさんは今度はタガのほうに目を向けました。


《これは我個人としての欲望なのだが……一度戦ってみたかったのだ、かの魔術師ハッリルの弟子と。ハッリルの弟子たちは第二十六次東方魔人戦争で大いに活躍したそうじゃないか》


 ハッリルという名は初めて聞きますが、話の流れからタガの師匠のことだと推測します。


《……あァ》と答えるタガは忌々しげに窓の方に目をやりました。

 雨はもう止んでいて、雲間から差した陽の光がぴかぴかと空を照らし、部屋の中まで入り込んできています。


《どうだったんですか、そのハッリルの弟子と戦った感想は?》


《そうだな……打たれ弱いように見えて決め手の部分はしっかり避けてくる。全く手の内を見せようとせず、こちらの油断した隙を伺っているようで底知れぬ恐ろしさがあった。手強かったよ》


 ナシャさんは今までになく生き生きとした顔で戦いの所感を語りました。その瞳を見ていて、まるで子どもみたいにきらきらした目だな、と思いました。


《アタシァハッリルの弟子のうちでも異端なほうなんだが……普通ァもっとガツガツ喰らいついてくような戦い方が主流だねェ。つゥか、手強かったのはそっちも同じさ。なかなか油断も隙も無ェヤツだと驚いたぜェ?》


《恐縮だな。だがこの程度の戦闘技術が無ければ東方派遣員には選ばれぬよ……茶を馳走になったこと、感謝する。私はそろそろ次の魔族のところへ行こう》


 そう言ってナシャさんは晴れ晴れした顔で席を立ち、家を出ていきました。

 タガは挨拶もそこそこに魔法道具をいじり始めましたが、私はナシャさんを最後まで見送りに行きたかったから、森の外までついて行きます。


 西の空に落ちていく陽がほんのり紅潮して、空とたくさんの雲を染めています。空気は雨の名残で少ししっとりとしていて冷たくて、とてもさわやかな夕晴れ模様でした。


《貴殿、それほど我との別れを惜しむものか。そういうところは人間らしいな》


《私、ナシャさんのこと嫌いじゃありませんから。そういう魔族相手にはついこうしたくなっちゃうんです》


《貴殿のそういう人間性が我には良くわからぬ。人間とはつくづくわからぬ生き物だ》


《そうですか? 私にはわかりますよ。大好きラハマ・ナ・レヘってことです》


 私の言葉を聞いてナシャさんは意表を突かれたようにしばらく目を丸くして黙っていましたが、やがてゆっくりと頬を緩めました。釣られて私もはにかんでみせます。


《……………………そう言われては悪い気はせぬな》


 私はそう言って森から街道に出、やがて空高く飛んでいくナシャさんの姿が見えなくなるまで手を振り続けていました。

 西日がだんだん目に痛くなってくる時間帯で、すぐにでも帰って夕食の準備をしなければタガが拗ねることはわかっていたけれど、それでもずーっと、手を振り続けていました。




 ◇◇◇




 タガのところに来てからもう十年になろうとしています。


「タガ、昼食ですよ」


 タガは相変わらず返事もしないで食卓につき、もそもそと食べ始めます。

 私もそれに続いて席につきますが、何かを食べる気にはなれません。匙をちょっと持ってみて、スープを掬おうとしてみますが、そのスープの入った匙が鉛のように重く感じられて手を止めました。


 今日は、タガに話さなくてはいけない大事な話があったんです。


 長い沈黙を挟んで、私はなんとか言葉を紡ぎ出します。


「……………………タガ、手紙の件なんですけどね」


 手紙というのは、先日私のところに西方魔法学会から届いた一通の手紙のことです。

 差出人はナシャ・ディ=イッカラ。

 内容は、十八歳になった私には西方大陸にある大魔法学院に入学する資格があって、ナシャさんが口利きするから是非入学しないか、ということでした。

 曰く、大魔法学院には最新の研究がまとめられた本や、研究用の人員に資源に施設まで用意されていて、思う存分魔法の勉強ができるとのことでした。


 私は正直に言って迷いました。魔法の勉強はしたいけれど、タガのもとを離れたくはなかったんです。

 でもタガは「行ったらいいんじゃねェかィ? アタシから学べるこたァもう残ってねェようなモンだし。アタシだったら行くけどねェ」とだけ言って、私の気持ちには気づいてくれません。

 魔族というのは人間じゃ考えられないくらい鈍感だから、私がはっきり「あなたと別れるのがさみしいの!」と言っても「はァ? それが何だィ?」としか返してくれないんです。


「……黙ってちゃァわかンないよ。手紙の件、どうすンだィ?」


「…………行きます。大魔法学院」


「ふゥン」


 やっぱり、予想通りの淡白な返事が返ってきます。タガは本当に私がいなくなっても気にしなくて、私だけがタガのことを一方的に好きでいたんだと思うと何だか腹が立ってくるから、私は仕返しをしようと思いました。


「これ食べたら行きます。もう荷物まとめてありますから」


 いきなり姿を消すとなったら、少しはさみしがってくれるのかな、という期待からの、私の精一杯の仕返しでした。


 しかしタガの返事は「へェ」と一言だけで、眉一つ動かさずに芋をかじっています。

 私はムッとして、「何よそれ……」とひとりごちてからスープをかきこみ始めました。




「じゃあ、行ってきます」


「おォ」


 私は重い荷物をしっかり背負って、タガの家を出ました。

 一生の別れになるかもしれないっていうのに、やけにさっぱりして冷たい別れ方でした。

 日は高く、空は青く、暖かく、良い陽気でした。それが別れの淡白さを余計に際立たせているような感じがしました。


 これが魔族の心だってわかっていたけれど、やっぱり私にはちょっと慣れないな。悶々として私は見慣れた森を一歩ずつ進んでいきます。


 もっと、何かこう……言葉を、伝えたかったな。

 こんなとき、なんて言ってたっけ────あっ。


 いつも事あるごとに伝えていた言葉を思い出しました。

 その言葉を言うとタガは困惑するか、くっつく私を怒って追い払おうとするかの二択でした。

 困って眉を下げた時にだけできるシワも、怒って私の額を叩くときの骨ばった指の感触も、今でも思い出せます。

 初めて会ったときのこと。初めて魔法を教えてくれた時のこと。森を追い出された時のこと。初めて魔術を教えてくれた時のこと。私を馬鹿にしたナシャさんに怒って決闘を受け入れてくれた時のこと。決闘を止めて褒めてくれた時のこと。

 たくさんの思い出が走馬灯のように私の頭の中を流れていきます。その一つ一つが詳細に思い出されるたびに胸の奥が熱くなっていきます。


 私は急いで家まで駆け戻り、扉を開けます。

 タガは勢いよく扉が開いたので驚いたのかこちらを見上げていました。


《タガ、聞いてシュマー!! 私、あなたのことが大好きラハマ・ナ・レヘ! 愛してるラハマ・ナ・レヘ! 離れたくないラハマ・ナ・レヘ!! ずっと一緒にいたいラハマ・ナ・レヘ!!》


 全部言い切る頃には私は溢れる涙に両目を塞がれて前も後ろもわからなくなっていました。だから私の言葉を聞いてどんな顔をしたかわかりません。

 おまけに声まで歪んでいた気がします。きっとタガは「泣くな」と言いたげな顔で笑っていたに違いありません。


「それだけ!! じゃあね!!」


 お望み通り、これ以上の涙は見せずにこの場を去ります。

 しかし、やがて、部屋から細い声が聞こえてきて足を止めました。耳を澄ますと、


「…………アンタが作ってくれる飯ァおいしかったよ」と言っていました。


 そう言うタガの声は震えているみたいで、それが余計に私の涙をこぼさせていきます。

 今見つめ合ったらお互いに大泣きしてしまいそうで、それが怖かったから、私はあえて背を向けたままタガに言います。


「……泣かないでよ、タガ。魔族は泣かないんでしょ?」


「泣いてるワケ無ェだろォが……ッ……魔族ァ泣かねェ……」


 タガが鼻をすする音が聞こえて、私はちょっとおかしくなって笑ってしまいます。あんな仏頂面で鈍感でも泣くことぐらいあるんだってことが嬉しかったんです。


「……最後に、アタシからもアンタに祝福の呪いをかけてやろォ」


 タガは震えでぐちゃぐちゃになった声を絞り出しているみたいでした。私は静かにその声を最後まで聞いていました。


愛してンぜラハマ・ナ・レへ

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グマルタ、あるいは人間と魔族のあいだで 二汁一菜 @nijuuissai

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