決闘

 魔術の勉強を始めてから二週間ほど経ちました。今まで学んできた魔法学を実際に応用して使うもので、とても楽しんでいます。

 でも──


「さて、今回教えンなァ《やめろ》だ。《やめろ》は古代魔族語で?」


「《シュヴォーク》」


「そうだ。これァ便利だぜ? 相手の戦意を一瞬だけ止めることができる。ムダな争いを回避して逃げる時に有効だ」


「……ねぇタガ、どうして逃げるために足を強化するとか、空を飛ぶとか、相手の戦意を失わせるとか、戦わない魔術ばかり教えるんですか? 私、戦う魔術も教えてくれるのかと思ってました」


 そう、タガが私に教える魔術はとにかく逃げることに特化していて、相手を攻撃する魔術は教えてくれません。


「確かに戦闘技術も『術』と付くからにァ魔術の一つだ。だがねェグマルタ、それァテメェが生きていて、体が健全であって初めて成り立つモンだぜ?

 下手に戦闘技術を仕込まれたヤツァ自分の力を過信し誇示したがる。その結果、逃げられたであろう機会を逃したり、最悪の場合逃げる術を教わってなかったりする。そうすッといくらタフなヤツでも生きて帰れねェ……アタシのアニキ、アネキたちみてェにな」


「兄貴、姉貴……兄弟がいたの?」


「実のじゃねェよ。兄弟子、姉弟子っつゥヤツさ」


 タガはどこからともなくパイプを取り出し、薬草に火をつけて煙をふかしはじめました。

 タガの表情ははいつになく曇っているように見えました。タガが昔話をするときはいつもこんな顔になっていてパイプを咥えていますが、こんなに物憂げに目を伏せるタガは初めて見ます。


 湿っぽい風が私の頬を撫でました。吐き出された煙は曇り空の色と同化して全然見えなくなっていきます。魔法学の知識に基づけば、あと三十分ほどで雨が降り出す空模様です。


「アタシの師匠ァ戦闘技術を仕込むことに関してァ東方随一と言われててねェ、多くの魔族の子供を立派な戦士に仕立て上げた。だが彼らの多くァ魔術にとらわれ魔法の心を失った……結局アニキ、アネキたちァ人間たち非魔族相手に戦争を起こした」


「それって、もしかして魔人戦争……?」


「あァ。魔人戦争ァ歴史上あらゆる場所で幾度となく繰り広げられてきた。今のここら辺の人間が知ってる魔人戦争と言やァ、百年前の第二十六次東方魔人戦争、あるいァ第二次イグリア魔人戦争とも言うが、とにかくコレのことだろォねェ」


 百年前と言うと遠い昔のように思えますが、魔族であればこれぐらい生きるのは普通のことです。人間と体はほとんど変わらないはずなのに不思議なものですね。でも、人間もごくたまにこれぐらい生きることがあると聞いたことがあります。

 話が逸れましたが要するに、戦争の傷はまだ付いてから時間が経っておらず、癒えきっていないということです。『お前ら魔族が魔人戦争のとき人間に何したか、俺たちは百年経ったって覚えてんだ! この恨みは永久に忘れねえ!』というおじさんの言葉を思い出します。


「……タガ、詳しく聞かせてください。魔法の心を失ったって、どうなったんですか?」


「……………………」


 タガはしばらく黙って煙を吸ったり吐いたりしていましたが、やがて何かに気づいたようで眉をピクリとさせました。


「誰か来たねェ」


 誰かが森に施されたカムフラージュを破って家に近づいていることに気づいたようです。


 タガの家への来客は珍しいことでした。それもそのはず、余計な人間や動物が入ってこないように魔術でカムフラージュをしてあるから人間どころか鼠一匹家の周りには寄り付くことはできません。辿り着くことができるのは魔族だけ、しかしタガの魔族の知り合いはそう多くはありません。結局来客は半年に一回あれば良いほうで、去年なんて一人も来なかったように思います。


 やがて、一人の魔女が私たちの前にやってきました。タガと異なり色鮮やかで洗練された意匠の入った三角帽子と外套、そして魔宝石の埋め込まれた杖。魔女であることは確実ですが、タガとは服装が少しどころか大きく違った印象を受けます。


 その人は魔族語でこのように尋ねました。


《魔術師タガ・ディ=アビドタか?》


 タガは顔も向けずに声を張り上げて答えます。


《はいはい、アタシをそんな名で呼ぶたァ結構なご挨拶じゃァないか。誰だィ?》


《魔法学者ナシャ・ディ=イッカラだ。西方魔法学会から来た》


 西方魔法学会。魔族が支配する西方大陸──通称『魔界』における最高機関です。

 彼らの目的は私たちのいる東方大陸にも魔法国家を築くことで、度々東方の魔族にちょっかいを出していると聞きます。タガ曰く「ろくでなしの集まり」だそうですが、実際にそこに所属している人に会うのは初めてです。


《まァ立ち話は何だ、一旦家に入ろうじゃァないか》


《良いだろう》






 私たちが家に入ると、窓から見える空はどんどんと黒っぽくなっていきました。その空模様を視界の端に捉えながら、私はご客人のためのお茶の葉を用意しています。

 東方でしか採れないイリーヒシの葉が良いかな、それとも西方でも流通しているであろうグロンガの方が舌に合うかな……などと思案しながら、結局イリーヒシを淹れることにしました。


 大きな机の方では、タガとナシャさんが向かい合って座っています。二人はしばらく黙っていましたが、やがてナシャさんが話を切り出しました。

 

《魔術師タガ、貴殿には我々に協力していただきたいのだ。我々とともにこの地に魔法国家を作らぬか?》


《イヤだね》とタガは即答しました。


《あなたは魔法使いに、いや、魔王にすらなれる素質をお持ちだ。ぜひ我々にお力添えを》


《そんなモンに興味ァないねェ》


 タガの声は心の底から興味がない時の平坦でのっぺりとした調子でした。


 そんな問答が繰り返されて話が平行線を辿っているうちにお湯がぐらぐらと沸き、お茶が煮出されていきました。

 私はその煮出されたのを二つのカップに注いでテーブルまで持っていきます。


《お待たせしました。イリーヒシのお茶です。お口に合うかどうかはわかりませんが……》


 そう魔族語で話しかけるとナシャさんは驚いた顔をして私とタガの顔を交互に何度か見つめました。

 私はなぜナシャさんがそんなに驚いた顔をしていたのかわけがわからず、こちらをジロジロと見つめるナシャさんから目を逸らしてしまいます。

 しばらくして、ナシャさんはタガのほうを向いてこう言いました。



《……魔術師タガ、この子は貴殿の娘か?》


《いいやァ? 人里に降りてたのを拾ったよ》


《つまり、ハイヴァーンに教育を? 貴殿ほどの方がそんな無駄なことをなさるとは》


 いきなり知らない言葉が飛び出してきたので私はちょっと困ってしまい、思わずタガに人語イグリア語で訊きました。


「タガ、ハイヴァーンって何ですか?」


 するとタガは苦虫を噛み潰したような顔でナシャさんのほうを睨みつけながら言います。


「アンタァ知らなくていいよ」


 タガは努めて静かに、しかし確かに怒りを湛えた声の調子でナシャさんに問いました。


《アンタ、この子に対して何つったィ?》


《……貴殿、もしかしてお怒りなのか? その娘に似たのやら、魔族らしくないな》


 タガは《怒ってねェよ》と言いましたが、激情がダダ漏れなのは丸わかりでした。


《その娘に何と言ったか、とお訊きだったな。ハイヴァーンに魔法教育など無駄だと申し上げたのだ。魔術師タガ、あなたは猿に言葉を話させることができるとお思いか?》


《いやァ?》


《だろうな。あなたがなさっているのはそれと同じことだ》


 会話の流れから、私がとてもバカにされているのだということはわかります。

 恐らくハイヴァーンとは人間というような意味なのでしょう。人間風情に魔法を教えるとは、みたいなことをナシャさんは言いたいのでしょう。


 私は人間の世界にあっても魔族として生きてきたつもりです。それがタガに会っては「人里に降りた以上魔の道に戻ることはできない」と言われ、ナシャさんにも「人間に魔法教育は無駄だ」とバカにされて。

 怒りがないわけじゃありません。でも、今の私には驚きの方が大きいです。何故なら、私の代わりにタガが怒ってくれているから。


《アンタ、アタシを誰だと思ってンだィ? タガ・ディ=アビドタァ魔法教育にかけてァ東方一の自負があンだぜ?》


《西方でも非魔族への魔法教育の研究は行われてはいる……が、結論としては不可能だと出ているのだ》


《アンタらァどうしてもこの子を非魔族にしたいらしいが、それァ東方魔族のことを何も知らねェ分類したがりの意見だね。こっちじゃ魔族と非魔族の間にァ明確な壁ァない。グラデーションになってンのさ。この子もそのグラデーションの中にいる》


《理解できぬ。魔族のアイデンティティを自ら放棄するような輩だぞ? そのような奴らを魔族と扱えと?》


《魔族と扱え、つってンじゃァねェよ。魔族と非魔族の間がいる、つってンだ》


 二人の議論はどんどんエスカレートしていき、私ではもう止められそうにありません。


《……これでは埒が明きそうにない。いっそのこと決闘で決着をつけようか》


《あァ、いいぜ。アタシが勝ったらあの子を魔族だと認めて帰ってもらう》


《では我が勝てば貴殿にイグリア魔王国の建国に協力してもらい、その魔王になってもらおう》


「決闘で決着をつける」なんて言い出されては、いよいよ私では収拾がつけられそうにありません。

 私があわあわとしている間に二人は雨が降り出す中外に出て決闘の準備を整えてしまいました。


《行くぜェ?》


《望むところだ。かかって来るが良い》


 そうして二人は戦い始めました。ナシャさんが雷を飛ばせばタガが木を防御壁にして防ぎ、タガが空を飛べばナシャさんも空を飛んで懐に飛び込もうとします。そうして接近戦になるかと思えば遠距離戦になり、また近距離でもつれ合って、の繰り返しです。


 これが魔女の戦い方……! と少し興奮する自分がいる一方で、タガは私のことで私のために戦ってくれているんだ、という負い目も感じずにはいられません。

 何よりタガは劣勢のようで、ナシャさんの猛攻撃を食らってじりじりと追い詰められていっています。


 このままではタガが負けてしまう。もしタガが負けたら、彼女は魔王国建国のために人間たちと戦争をさせられるでしょう。そんなこと、きっと彼女は望んでいません。

 出来ることならこの争いを止めたいけれど、どうすれば──


『さて、今回教えンなァ《やめろ》だ』


 そうだ、《やめてシュヴォーク》を使えば二人の決闘を止められるはず。


 私は二人の心に自分の心を合わせていき、二人の心に向けて矢を放つように念を送ります。


「お願い、《戦うのをやめてシュヴォーク》!!」


 次の瞬間、タガがピタリと動きを止めました。やった、効いた──と思った矢先、ナシャさんの雷撃がタガの体に直撃しました。


「タガぁー!!」


 空から落ちていくタガを見て私は思わず感情的になって叫んでしまいました。

 しかし、叫びが発せられると同時に、タガは体勢を立て直してナシャさんから間合いを取りました。


 同時に、冷静な魔族的思考の私がさっきの状況の分析を始めていました。私の今の魔術はナシャさんには効果がなかったみたいです。どうして? タガには効いてナシャさんには効かないなんてこと……あっ。


『いつでもどこでも誰にでも通じる便利な呪文なんざァ魔術の世界にァ無いぜ?』


 タガの言葉を思い出します。

 そうか。ナシャさんには効かないことだってあるんだ。なら次はナシャさんに効かせられればいい。


 じゃあどうすればいいの?

 魔族は伝統を重んじます。魔族が一万年の歴史の中で積み上げてきた習慣、その全てが魔法として守らねばならない規則です。

 正統な魔族、それも魔法学会に所属するような魔族であれば、その規則を提示し違反を指摘すればギクッと思うはずです。その心の隙が見えたらきっと《やめてシュヴォーク》も効くんじゃないでしょうか。

 でも私、そもそも魔族の決闘のルールなんて知らないし……。


 知らなければ調べるしかありません。私は家に駆け戻るや否や魔法学の基本テキスト『グリザの十書』を取り出して手当たり次第にページを捲り、「決闘」の二文字を探しました。

 目を通し、紙を繰り、また目を通し、紙を繰り、目を通し、紙を繰ります。


 ……見つかりません。そうこうしている間にもタガが傷ついて負けてしまうかもしれないと思うと、鼓動がひとりでに加速していきます。

『十書』でダメなら『魔法典』……いや、『註釈十書』かも。手当たり次第に本を広げ、ひたすらにページを捲ります。一秒一秒がやけに短く感じます。探すのは「決闘」の二文字だけ。目が回りそうになりながらあれでもないこれでもないと本をバラバラとしていきます。


 外では凄まじい雷の音がドンドンと鳴り響きます。ナシャさんの魔術です。

 序盤から劣勢だった上にさっきの私の魔術で結果的に負傷したタガが巻き返して勝利する確率は限りなく低いでしょう。私が何とかしてこの戦いを止めなければ……!


「決闘決闘決闘……ああっクソ、なんで見つからないのよ!」


 私の焦りは限界に達しようとしており、もはやまともな集中力さえ保てなくなっていたかもしれません。さっき確認したはずの本をもう一度見てみたり、本が上下逆さまになっているのに何ページも捲ってから気づいたり。傍からは血眼になってひたすら本に齧りつく化け物のように見えたでしょう。


 そうやって本のページをぐちゃぐちゃにしてしまう勢いで探していた二文字を、ついに見つけることができました。


《──づく。決闘は、必ず立会──》


「これだぁーーーー!!!!」と私は我を忘れてつい大声を出してしまいました。

 急いで目に飛び込んできた項目を読み込みます。


《その三。決闘は、必ず立会魔たちあいにんの立ち会いのもと行われなければならない。

 この条文は第三紀以降有名無実化している。オートル派はこの条文を無効と見なし、オートル魔法典においてはこの条文は削除されている。西方魔法学会はこの条文について可能な限り遵守されるべきであるが、不可能である場合は立会魔を置かずとも決闘を行うことは可能であるとしている》


 そもそも決闘は立会魔を置かなければいけないことになっていたんだ。今回は西方魔法学会的には立会魔を置くことが不可能な場合かもしれないけど、私が正当な魔族であることを示すことができれば私に立会魔としての資格が生じるはずです。私が立会魔としての資格を持っているということは、この決闘は西方魔法学会としても違法な決闘になるということです。


 頭の中で論理が組み上がるなり、間髪入れずに外に駆け出します。広げた本をぐちゃぐちゃに踏みつけて、植木鉢をバタバタと倒して割っていく音が聞こえますが、もうなりふり構っていられません。全ては私のためであり、タガのためです。


 外はバケツをひっくり返したような豪雨になっています。その雨音に負けないように大きく息を吸って、声の限り力強く叫びます。


《魔術師タガ・ディ=アビドタ及び魔法学者ナシャ・ディ=イッカラよ、聞いてくださいシュマー

『註釈新約魔法典』第二百五十七章の三より! まず『決闘は、必ず立会魔の立ち会いのもと行われなければならない』とあります!

 これについての解釈ですが、『西方魔法学会はこの条文について可能な限り遵守されるべきであるが、不可能である場合は立会魔を置かずとも決闘を行うことは可能であるとしている』とあります! 魔法学者ナシャは立会魔を置くことが不可能であると判断して決闘を始めたようですが、私にはその立会魔になる資格があるはずです!

 私の名前は魔術師グマルタ・ディ=カハナ!! 魔術師ヤシプタ・ディ=カハナの娘であり、魔術師タガ・ディ=アビドタの弟子であり、二魔ふたりから魔法を受け継ぐ者です!! 今名乗った魔族名シャマと、今私がこの手に掲げる魔宝石、そして今から使う魔術で以て、私が魔族であることの証明とします!!

 以上のことから、立会魔なく始められたこの決闘は無効となります!!

 魔術師グマルタ・ディ=カハナが告げます、戦いをやめてシュヴォーク!!!!》


 最後の方は声も嗄れかけていたはずで、声になっていたか自分でもわかりません。でも、二人の心には届けられたはずです。

 目を瞑ってしまっていたから何が起きたかはわからないけれど、私が叫んだ後はやがて雨音しか聞こえなくなりました。


 やったかもしれない。私は確かな手応えを感じながら、全身の力を使い果たして今にも倒れ込みそうになっています。


 そしてそんな私の目の前に、一人の魔女が力なく座り込んでいます。


「カッハハハハ……よくやったァ」と言って、魔女は頬を緩めました。


「ナシャさんは……?」と訊くと、タガが指を差しました。その先にはもう一人の魔女がへたり込んでいました。

 魔女はしばらく俯いていましたが、やがて顔を上げて大きな声で笑い始めました。


《フハハハハハハハハハッ! 小賢しい真似を!》


 ナシャさんはそう言ってこちらを見つめました。まだ彼女に攻撃の意志があるのではないかと思った私は反射的に逃げの姿勢を取りましたが、彼女の目にもはや敵意は感じられませんでした。


《その小賢しさ、実に魔族的だ……今のは効いたぞ。私の敗北だ》


 私は、二人の決闘を止めることに成功したのです。

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