最終話
左目を失明し、残った右目の70%の網膜を、レーザー治療で焼いた私には、写真を虫眼鏡で見てもぼんやりとしか見えない。何しろ鏡に写った自分の顔もはっきりとは見えない。だから家族や友人たちと写っている写真だけを残してみんな捨ててしまった。見えない写真を大事に持っていたところで意味がないからだ。
小学校、中学校の写真には未練はない。嫌な思い出しかないからだ。
写真を仕分けして残す物と処分する物とに分けていると、蘇る思い出に胸が締め付けられた。
女房の写真、女房が撮ってくれた私の写真。幼い頃からの子供たちが成長して行く記録写真、父や母、そして妹、学生時代の友人たちと楽しそうに笑っている私。
娘、娘を抱っこして頬を寄せて微笑む私、それを目を細め、ファインダーから覗く妻。
私はその時の子供の重み、手のぬくもり、ミルクの匂いを思い出して泣いた。
優雅な生活など望まず、普通に暮らしていれば家族を苦しめることもなく、今頃は女房と一緒に歳を取り、スーパーでカートを押しながら買い物をして、孫と遊んでいたかもしれない。
私は結婚してはいけない男であり、親になるような人間ではなかったのである。
私はこれまで人をしあわせにしたことがあったのだろうか?
なかった。そう断言せざるを得ない。
確かにクライアントには赤字まで背負い、予算以上の作品を提供しては来た。
それを当然としているお客、あるいは不満を漏らすお客もいた。
もちろん、それがいかに凄いことか、迷惑を掛けたと、後に資金援助をしてくれたクライアントもいた。
だがそれは私の自己満足に過ぎなかった。私は家を芸術作品として捉え、建築会社の経営者ではなく、建築家気取りでより良い作品にしようとしたのである。それにより家族や業者さんたちに多大な損害を与えてしまった。
だから今も様々な責め苦を背負いながらこうして生きながらえている。
いや、生かしていただいているのだ。誰に?
神と呼ばれるこの大いなる力にである。私の学びは続いている。
私の人生は終わりに近づいている。
私を乗せた白い小舟は異次元の世界に向かって流れている。
それは私だけではない。男も女も、老人も若者も人生という川を、小さな一人乗りの舟に乗って流されてゆくのが定めだ。
オールは残されてはいるが、流れに逆らってオールを漕ぐ気力は残ってはいない。
他人は私の人生を不幸だという、だが私は満足である。
死を思えば恐れる物は何も無い。そして私は多くを学び、今まで沢山の感動を味わった。
感動は芸術であり、人生は芸術そのものである。
私を乗せた白い舟はゆっくりと流されてゆく、時の川を。
私に関わったすべての恩人に幸あらんことを。
『白い舟』完
【完結】白い舟(作品241104) 菊池昭仁 @landfall0810
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