第8話
「ちょっとあなた。鉄矢さん、仕事が決まったそうよ」
窓から夕焼けが差し込むマンションの一室で、鉄矢の母である里子が言った。エプロンを着け、手元をせわしなく動かしている。
「ああ、本当かい」
父の茂幸が言った。ソファに腰掛けて、テレビを見ている。画面の中では不気味なマスコットが、天気予報師の横で蠢いていた。
「とっても良い仕事が見つかったらしいわ。しかも住み込みで頑張るみたい。住み込みの仕事って大変なのよ。それでも頑張るんだから凄いわね」
「ああ、本当かい」
「本当よ。引っ込み思案のあの子が住み込みで働くなんてねえ。まだまだ子供だと思っていたけど、いつの間にか立派になったのね」
茂幸は、眼鏡にテレビ画面を反射させたままじっとして、何も言わない。ベランダの向こう側から、学校帰りと思しき学生たちの笑い声が聞こえる。色々な音をごちゃ混ぜにしたような、夕方五時を知らせるチャイムが鳴った。
「ちょっと、あなた聞いてるの。鉄矢さんが住み込みで仕事を始めたのよ。あの引っ込み思案だったあの子が、まだまだ子供だと思っていたあの子が、ひとりで仕事を始めたのよ。凄いわ。さすが鉄矢さん、私たちの子供ね」
「あいつは、まだまだ子供じゃないかな」
茂幸の眼鏡に反射したテレビ画面は、国営放送のニュースが流れるようになった。男のアナウンサーが、無機質な声で強盗殺人事件のニュースを読み上げている。
「お給料は、月収一〇〇万円ですって。凄いわね。月収一〇〇万円のお仕事なんて、そうそう見つかる物じゃ無いわ。きっと鉄矢さんだから見つかったのね。そういえば、鉄矢さんは昔から何かを見つけるのが得意だったものね。あれは忘れもしない、鉄矢さんが小学校三年生の夏だったわね。私が仕事で使っているナイフを無くしたとき、一生懸命探してくれてね、新しいのを買うからいいわよって言ったんだけど、鉄矢さんはそれでも探し続けてくれて、隣町の川に架かる橋の下でとうとう見つけてくれたのよ。まさか私もそんなところに流れ着いているなんて考えもしかなったのに、鉄矢さんには見つけることが出来たのよね。やっぱり鉄矢さんには見つける才能があるのよ。すごいわ、鉄矢さん。あらやだ、切りすぎたみたい」
里子は自分の失敗にため息をついたが、それでも息子の成長がうれしいようで顔には笑みが浮かんでいる。そんな顔をしたままバサバサと、ゴミ袋に大量の何かを捨てた。
「そうだわ、鉄矢さんに食べ物を送らなくちゃね」里子がそう言ったのと、包丁をまな板に激しく打ち付けるのは同時だった。
茂幸は変わらず、テレビを見たまま答えた。「そこまでする必要は無いだろう。あいつももう子供じゃあるまいし」
「あなたいったい何が言いたいのよ。まだまだ子供だって言ったり、そうじゃないって言ったり」
「だから俺が言いたいのはだな、俺たちがそこまで干渉しなくてもあいつはあいつで上手くやるだろうってことだよ」
一一月の夕方は短く、あっという間に夕日が沈むと青紫色の空が広がった。
「よく分からないけど、つまり鉄矢さんは立派な息子ってことを言いたいわけね。じゃあやっぱり、野菜とお米と……お金も送りましょうか」
「いやだから、俺がつまり言いたいのは見守ることが一番の応援だぞってことだ。子供の成長をじっと遠くから見守るのも、立派な親の務めじゃないか」
そう言いながら茂幸はテレビを消して、どこからか拾い上げたピアノ線をくるくるとまとめ始めた。
「もちろん見守るわよ。いいえ、常に見守ってます。鉄矢さんが今この瞬間なにをしているのか、見守っているつもりです」
茂幸はため息をついて、ソファから腰をあげた。
「さて、それじゃ帰りましょうか」
たたんだエプロンをキッチン台の上に置くと、里子が言った。
遠くで聞こえるのはパトカーのサイレンか、それとも救急車のサイレンかどちらか分からない。
田舎のベァン 中野半袖 @ikuze
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。田舎のベァンの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます