イキチ
先生に痴人と言われた日から、一ヶ月半くらいの月日が流れた。
私は今、母の自殺を止めている。
「あんた、死にたいの?」
母の自殺の理由は、もうわかっている。
「もういいから、私が死んでも。だから、私に死に様を見せないで……」
母の手が、震えている。
景色の煩さとは反対に、冷たい無の音。
「クラスメイトも殺させておいて。やめなさい!」
無から有へ、とても五月蝿かった。
それが言いたかったのだろうか。
言い終えた時には、手の震えはなくなった。
「クラスメイトのこと、知ってたんだね。」
母は、目を細めた。
「そりゃ、勿論。あんたに生きてもらう為にって、自分から犠牲になってくれたのよ?」
軽率に吐かれた言葉は、私の知らない真実だった。
「え……?」
私の声は、少し高かっただろうか。
その声に、母は驚いていた。
「聞いてないの?」
記憶を遡っても、そんな事実は聞いていない。
「男の子が、『好きな人の命を、俺の命で救えるなら。俺を一番、有意義に使える時な気がします。どうぞ、殺してください。』って後ろから声をかけてきたのよ。」
確かに。遠くから見た十川くんは、母と話していたかもしれない。
十川くん。
あなたは。社会に出て、利用してもらう。
それでいいのに。
「話を戻す。親として、子を愛すことはいけないことか?」
一瞬で、胃が縮こまる感覚がする。
子の為なら、死ねるという言い分のせい。
私は、納得がいかない。
「本当に私のことを愛しているなら、私に不快な思いをさせないで。」
言葉に息が混じる。
そして、手の震えが止まらない。
「そうだね。私が死ぬのは、子を愛している故ではないね。子を愛しているのなら、子のことを考える。黙って、死なせている。私が子を愛していないなら、私は子が好きなだけだ。勿論、あんたとは一緒にいることを望む。でも、あんたの考えを優先することはできない。」
その瞬間、包丁が首にあたる。
現実はアニメとは違って、鈍い音を響かせる。
ブルーシートに倒れ込む。
「母さん!」
私のせいで、人が死んだ。
それは何回も、分からせられた。
でも。
死んだ人を悲しむ人がいる。
それは今日、初めて分からせられた。
やっぱり、私は害悪だ。
人にこんな悲しみを届ける、迷惑行為を行う人。
害悪と称して、違和感を覚える人は。
必ず、いない。
「もう私、生きたくないよ……」
私は、生きる価値がない。
この社会を生き続けていても、社会にとってはデメリットの方が圧倒的に多い。
そもそも、社会で生きることができるかどうかすら分からない。
社会に出たら、何をするかも分からない。
難しい数学の問題だって、分からない。
まだまだ、母に教わることはあったのに。
母が死ぬくらいなら、害悪な私なんか自分から居なくなるのに。
社会に出ても、責任はとれないんだけどね。
自分の体が齎す責任も、取れないままなら。
じゃあ、私なんか要らないって。
私は思うけど。
「私は生きないといけない。十川くんも、母も。私の生を、自分の死で守ったのだから。」
二人の死を無下にしたくない。
害悪にはなっているけど、心無しにはなれない。
生きたいけど、死にたい。
私は、極限に立った。
刺激が、閾値を越した。
いや、もうとっくに越していた気はするけど。
「十川くん、聞こえる?」
どこにもいない十川くんを、私の身体にいると信じてやまない。
「君のこと、好きだったよ。」
君と組んだ時から。君といる時の感情は、恋によるものだったような気がする。
「……今は大嫌いだけどね。」
まあ、私も人間。
愚かなものは、好きだった人でも嫌いなんだ。
「害悪の為に、自分が死ぬなんて行為は。気持ち悪すぎる。」
渡辺なんか、死んでしまえばいいのに。
そう思うと、嫌な感覚がする。
私の感覚だろうか。はたまた、彼の感覚だろうか。
「……あたってごめん。私は十川くんのことが大好きだよ。」
死なないでほしかった。
一緒にいたかった。
でも、彼が生きていたら。
私が、死んでいたんだ。
どうせ、一緒にはいられない。
なら、彼に生きてほしかった。
この身体が産んだ、幸せを壊す結果。
不幸せよりも、幸せが無くなる方が辛い。
息が切れてきた。
血の匂いが、脳を染める。
鉄分不足だ。
ご丁寧に、血がブルーシートに乗っている。
中指の爪に血をつけて、そこに舌を出す。
「嗚呼……」
嫌いな筈の血なのに、なにも思わなかった。
過去を思い出す。
「……それ、栄養吸収障害じゃない?」
お母さんに体調不良の内容を訴えると、悍ましい単語が出てきた。
特に、鉄分の吸収が阻害されているらしい。
空気を見るに、重症なんだろう。
普通の人なら、病院にいこうと思うだろう。
何も言わずに家を出る母に、怖く思った。
「体調、かなり異常みたい。」
その時は、連絡を取り合う友達が居たんだ。
「大丈夫かどうか。問うのは、あまり良くないことかもね。」
その時の私は、事実を知る由もない。
だが、友達は酷く心配してくれていたみたい。
あえて作られた、素っ気ない会話を終わった。
そこから、十分くらい経っただろうか。
「ここは人通りが少ないわね。都会なら、ひとつの景色に二人以上いることはざらにあるのに。」
母が帰ってきた。
見慣れない馬穴を、視界に入れた瞬間を強く覚えている。
「その馬穴……」
赤い液体が、馬穴の中で波打っている。
「……あんたは。病院に行けるような金もない、権利もない。薬も貰えない。そもそもが極限状態なんだから、こうするしかないのよ。」
返答から分かる。
その液体は、血で。
「……でも。」
お母さん。
「いや……」
死ぬのが怖いから、喉に押し込んだ。
「母さんの血、苦い愛情の味がする。」
私は無戸籍で、無個性で。
でも、愛される害悪だ。
愛されることに感謝しなさい。
そういうけど、愛される辛さや責任もあることを知ってほしい。
ケツイン 嗚呼烏 @aakarasu9339
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