チジン
最後に血を飲んだのは、百日。そう、百日も前だ。
なのに、クラスメイトは飽きない。
むしろ、私が教室に入った途端に叫ぶ。
「
その四文字だけで、大爆笑が起きる。
あの子の笑いと違って、聞き心地が悪い。
滑稽な人を見下すことができれば、満足なのだろう。
まあ、気にしないけど。
あんな笑いよりも、血を飲んだ方が苦しい。
自分の席について、一時間目の準備をする。
普通の体だったら、幸福だったのだろうか。
自分が不幸であるわけでもないのに、そんなことを考えた。
そして、誰もいない隣の席を見つめる。
「私の意思は変わらない。こんな体でも、楽しく生きる。あなたが、私にくれた命を。人生を。あなたのためにも、謳歌します。」
誰にも聞こえない声で、そんなことを呟いてみた。
その一瞬、人の温もりが分かった。
誰かが偉そうに語る、幸福が分かった。
そして、胸に痛みが染み渡った。
「私、疲れている……」
ふと、我に返る。
クラスメイトによる
「
いつの間にか、姿がある教師の怒鳴る声。
注意してくれるのが嬉しいどころか、余計なことしなくていいなんて思う。
「なんで、いけないんですか?」
反抗されてしまうよな。
投げやりな声が、先生に飛んでいく。
「それはだな……」
大事である筈な質問に、沈黙して考える先生。
「どうせ、先生。殺されるのが怖くて、渡辺の家庭の事情に触れたくないんでしょう?」
しけた表情が、教室に存在している。
図星だと認めるような沈黙が、教室に存在している。
「逃げるんですか?」
これまでの人生の
自分の沈黙が表している意味に気づいた先生は、黒板に向き合った。
チョークの音。その音が気になる皆。
「渡辺が
また、大爆笑。
明らかに、誤魔化している回答。
だが、クラスメイトは満足したような顔をしていた。
なんでもいいのだろう。愚か者を馬鹿にさえできてしまえば、それで。
苦しくはないが、教室に居ることに罪悪感を覚える。
「注意を怠るな、か……」
また、隣の席を見る。
確かに、正論だ。
こんな体。そして、それを維持する為の犯罪行為。
そんなのが、見られたことがいけない。
「じゃあ、あなたも。私の家の前なんて、なんで通ったの……?」
私の唯一の友達だった、
私の母親に殺され、私に飲まれたのだ。
「あなたが、恋しい。あなたに、また。私の話を聞いてほしい。」
そう口にすると、目頭が熱くなる。
最後に会ったのは、一年以上も前だってのに。
鮮明に、彼を思い出せる。
十川くんには、私のことを話していた。
私が、血を飲まないといけないことも。
私の家の前に来たら、危ないことも。
噂で知っている人は多くても、自分からこの話をしたのは十川くんだけ。
彼にそんな話ができたのは、彼の第一印象がものすごく良かったからだった。
といっても、一般的な印象の良さとは違う。
彼は、喋らなかった。
授業でも、休み時間でも。
口数が少ないのではなく、口数がない。
私から声をかけるまでは、彼の声すらも分からなかった。
彼の声を初めて聞いたのは、とある道徳の授業の時だった。
二人一組を作る時間があった。
「余っていたら、私と組まない?」
私は、彼を気遣った。
もとを辿れば、私も余っていたことが原因である。
「組もう。」
彼は、端的に言葉を放った。
彼の声を聞いて、彼の声を聞いたことがなかったと意識した。
衝撃と関心の混じった感情。
彼の隣の席を借りる。
横にいる彼。
気づけば、彼に目を奪われていた。
まっすぐ前を見つめる瞳。
前を向いてるのに、私の心臓が貫かれるような感覚がした。
彼以外が、ぼやけて見えた。
そんな事実に、我に返る。
黒板に、話し合いのお題が書かれていた。
「恋とはなにか?」
人生を終えて、わかるものではないのか。そんなものは。
変なお題に、心の空間で愚痴を吐く。
「……その人の前だとドキドキして、一緒に居たいって思うこと。かな。」
馬鹿馬鹿しい回答。
「俺は、本能的な寂しさを埋める衝動。だと思う。」
それに対し、彼は完璧な回答をした。
でも、彼は驕らない。
むしろ、それ以上は喋ってすらなかった。
一般的に言うならば、この人の印象は良くないのだろう。
それは、私も同感だ。
だけど、私は。
私の全てを知っていても、無害だろう。
彼に、そんな印象を持った。
有害なあいつらとは違って、彼は何もしない。
彼は、私に興味が無い。
だから、すごく印象がよかった。
一緒にいて、心地が良かった。
そんな彼は、私の家の前をうっかり通って。
私の母に、殺された。
これ以上、思い出したくない。
この腐った環境に、目を戻した。
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