分体
「それと龍神くん、空代一子のことだが」
「ああ。あの日記に書いてあったな。母親にも分体が憑いていると」
事務所を出る前、守美と龍神は空代一子の件について話し合っていた。“分体”という聞き慣れぬ言葉に首を傾げ、秀一が龍神に問いかけた。
「龍神先輩…その分体っていうのは何なんですか?」
「怪異の中には、自分の存在を切り分けてちょっとした分身みてえなもんを作れる奴がいる。その悪魔もそうなんだろう。分体は本体より格段に力が弱えんだが、分体を持つ奴には厄介なことがあってな。本体を破っても、魂を分体のほうに移して生き延びやがるんだ」
「…じゃあ、分体を無くしてしまえば」
「逃げ道を奪える」
ならば先に分体を潰すことが必須だと秀一は考えたが、ふと思った。分体とはいえ、そう容易に倒せるものだろうか。
「でも分体から倒すって言っても、そんなに簡単に行くものなんですか?」
「おい捻木。上級悪魔とはいえ、分体程度に俺が負けると思うか」
龍神は力強く言い、煙草に火を点けた。燃焼が始まった煙草は為す術もなく灰燼と化していく。これが龍神に狙われた悪魔の行く末の暗示であってくれればと、秀一は強く願った。
「日記の記述を見るに、分体は空代一子と空代希実に憑いてるって話みてえだな。その他に分体がいるかは後で探るとして…おい、空代一子は今どうしてるんだ?」
龍神は守美に向き合い、問いかけた。
「空代一子からは、調査報告書は不要だというメールが来てね。まあ…本人が書いたものかどうかは不確実だが。何にせよ、わざわざ関わりを持つ必要は無い。それで終わりで済むのならそれでいいと思い、そのまま連絡を絶っていたんだ」
「終わりにはならなかったなあ」
「悪人みたいな笑顔を浮かべるんじゃないよ龍神くん。どうあれ…空代雲晴が居なくなった以上、空代一子が働きに出る必要があるはずだ。だが立ち直って働いているのか、それともまだ家で過ごしているのか。それはわからない」
首を横に振る守美の言葉を受け、龍神は上を向いて煙草の煙を吐き出した。
「ま、分体を憑けている以上、どのみち放置するわけにはいかねえんだ」
龍神は煙草の火を消した。
龍神に顔に浮かぶ笑みは、堅気の人間のものには見えなかった。もしかすると出会った時の印象は間違いではなく、龍神の本職は反社会勢力なのではないかと秀一は思ってしまった。
「自宅にお邪魔しようじゃねえか」
守美が空代家のインターホンを鳴らすと、疲れた顔の空代一子がドアロック越しに顔を出した。5月よりも顔色が悪く、やつれた印象だった。
「やあ、急に押しかけてすまないね。ちょっと話したいことがあって。今、時間あるかな」
「あっ…捻木さん。何か進展がありましたか。調査の件はどうなったか、そろそろお聞きしようかと思っていたところで…」
その言葉に、守美と秀一はぴくりと眉を動かした。空代雲晴が死亡している可能性が高いことは以前にも伝えたはずであったが、空代一子はその記憶を失っている様子だった。
「ああ、その件でね。ちょっと上がらせてもらっても?」
「ええ…どうぞ……ひっ!」
空代一子はドアロックを外し、ドアを大きく開いた。そこで短い悲鳴を上げた。
ドアの外に立っていた、顔面に入れ墨の入った和装の大男が目に入ったのだ。
「化け物でも見たようなツラだな」
化け物というよりはヤクザのほうだろうと秀一は思ったが、口には出さなかった。
「あの…捻木さん、この方は…?」
「あー…同僚だ。気にしないでくれ」
空代一子は龍神に怯えた顔を向けていたが、守美に手を握られると落ち着きを取り戻したようだった。
空代一子は守美と龍神を家に上げ、リビングへと案内した。秀一も後に続いたが、空代一子には見えていない。
「ちょっと厄介な状況になっていてね」
リビングのテーブルにつくと、守美はそう切り出した。
「厄介…とは?」
「君たち
そう告げられた途端、空代一子の目が驚愕のあまり見開かれた。
「ど…どういうことですか!?私たちが狙われてるって…!?」
「落ち着いてくれ。大丈夫だよ。奴に危害は加えさせない。そのために来たんだ」
「ああ、奴にはな」
龍神は着物の懐から2錠の薬を取り出し、守美に手渡した。それは2錠とも作用の強い睡眠薬であった。
睡眠薬に頼るイメージは龍神には無いが、なぜこんなものを持ち歩いているのかと秀一は訝しんだ。
「少しだけ眠っていてほしいんだ。詳しいことは後で話すから。さあ、これを飲んで」
「えっ?眠るって、あの」
守美は空代一子の手を取り、薬を握らせた。
「いいね?」
「はい…」
空代一子が2錠の薬を飲み込むと、時間を置かずして効果が現れ始めたようだった。空代一子はまぶたをとろんと蕩けさせた。
「あの…捻木さんは…何を…するんで…すか」
朦朧とした状態で空代一子は守美に問いかけた。
「ちゃんとした調査報告書を、まだ渡せてなかったしね」
その言葉を最後まで聞けたのかどうか。空代一子はがくりと倒れ伏し、意識を手放した。
「今度こそ、結末まで付き合うよ」
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