おさるさまとは

「悪魔祓いは教会の仕事だろうが」


 指相識別之大事が無反応で終わったことを受け、龍神は忌々しげに吐き捨てた。守美と秀一は龍神が呟いた言葉に首を傾げた。


「悪魔…?」


「指相識別之大事でどの指にも反応しなかったってことはだ。怪異の正体は、さっき言ったどれにも当てはまらねえってことになる。たとえば、悪魔とかな」


 悪魔。龍神はその単語を強調して言った。龍神の言葉の響きに、部屋の空気がひりついた。龍神はつい先ほども2本の煙草を吸ったばかりであったが、ソファに乱暴に腰を沈めて煙草を取り出した。


「仮に名前通りに猿の動物霊か何かだとしたら、薬指に反応しなかったのはおかしい。そもそも人の記憶を弄る猿なんざ聞いたことねえしな。さとりは人の内心を読むが、記憶を消すわけじゃねえ。記憶に干渉するってのは、もっと高位の奴がやることだ」


「それが…悪魔ってことですか…?」


「上級悪魔サルガタナス」


 紫煙とともに、龍神はその名を口にした。


「ルシファー、ベルゼブブ、アスタロト…そんな誰もが知る大悪魔どものすぐ下にいる六大悪魔のうちの一体だ。人を不可視にするだの、あらゆる鍵を解除するだの、人を自在に移動させるだのって力があると伝えられてる。それと、


「記憶…なるほどね。それで君はピンと来たわけか、龍神くん」


「こいつについて書かれた資料は少なくて詳細な情報はわからねえんだがな。“さる”と入った名。記憶を消す力。それでこいつに思い至った。箕作綴が書いてるように、人に認識されなくなるってのもこの“不可視にする力”なんじゃねえか」


「鍵を解除するとか…自在に移動って、瞬間移動能力ってことですか。それなら…その悪魔が急にこの場に現れて襲ってくる可能性もあるんじゃ…?」


「いや、そういうモンは施錠された部屋の中に転移することはできねえ。鍵のかかった部屋ってのは一種の結界だからな。だから、部屋の中の人間に招き入れさせるんだ。巧みに思考を誘導してな。空代一子もアパートの部屋の中で倒れてたんだろ?なら、招き入れちまった可能性もある」


 そういえばと、秀一は空代家のアパートで見かけた男のことを思い出した。銀縁の眼鏡をかけ、グレーのスーツを身に着けた男だ。


「一子さんが倒れているのを発見する直前に、アパートの階段を降りてきた男がいたんです。彼が一子さんに危害を加えたとするなら…」


「その不審者が悪魔だとして、そいつは今どこにいるんだ?居場所を正確に探知するなんて便利な術は無えぞ」


 確かにそうだ。秀一は反論できず、腕組みをして物思いに沈んでしまった。

 龍神は煙草を消し、守美に向き合った。


「お前はどう思う?悪魔の倒し方ってやつを」


「…龍神くん。その悪魔祓いは、どうやるんだ」


「教会なんかでは丁寧にじっくりとやるもんだ。いきなり祓うんじゃなくカウンセリングから始めてな。だが俺は聖職者じゃねえ。いつ襲われてもおかしくない状況でまだるっこしい真似をしてる暇も無え。力技で行くぞ」


「その悪魔は、倒さなければならないものなのか」


「お前の気はボロボロだ。俺の頭に入り込もうとしてきた時に少し感じたが、お前をその状態にするのが奴の狙いだったんだろう。それじゃ魂結たまむすびをしても効力が無え。今狙われれば魂を取られて死ぬぞ」


「…どうでもいい。私など…死んでも…」


「俺もお前なんか死んでもどうでもいいんだがな」


 龍神は汚らわしいものを見るかのように目を細め、守美に吐き捨てた。続けて、龍神は秀一に向けて静かに告げた。


「後輩を見殺しにするんじゃ寝覚めが悪い」


「龍神くん…?後輩って」


「さっきも言ったが、お前には弟がいる」


 守美の言葉を遮り、龍神は低い声で言った。


「お前の弟はお前にとって何より大事なものだが、悪魔はお前から弟の記憶を奪い去っちまった。だからお前はそんな状態になっている。お前の弟はこの場にいるが、お前には見えていない」


「このままじゃお前の弟は死ぬかもしれない」


 守美の頭がずきりと痛んだ。“死”という言葉に反応したように、守美の中の動物霊たちが笑い声を上げた。何か、大切なことを見落としている気がした。

 通常であれば記憶に干渉され認知機能を歪められた人間は、記憶から消えた人間に関することに一切の違和感を覚えることができなくなる。だが、数多の動物の怨霊を憑けている守美は、気が変質した影響か多少であるが不吉な念を抱くことができた。いったいなぜ、霊たちはこんなにも笑っているのか。


「この言い方なら認識できるか?自慢の賢い頭で、後悔しない選択を考えてみろ。まあ、お前がどうあれ俺はやるがな」


「…龍神くん」


 守美は声を絞り出した。


「空代希実は…悪魔を憑けている」


「そうだな」


 龍神はにやりとした笑みを浮かべた。まるで悪魔のような笑みだと、秀一は密かに思ってしまった。


「それじゃあ、拉致でもしようじゃねえか」




 


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