龍神総治
朝起きて、体を起こして、嘔吐した。寝起きの私を襲ったフラッシュバックは、凄まじい威力で私の頭を殴った。母の腹を刺した感触。最後に見た父の顔。燃える家。それらの記憶がまるで昨日のことのように鮮明に蘇り、猛烈な吐き気を促したのだ。
眠っていて水を飲めなかったからか。胃の内容物は濃くどろどろとしており、泥のような茶色が白い布団を汚した。酒のせいで消化が遅れたのだろうか。昨日の夜に味噌汁に入れたわかめが吐瀉物に混じっていた。
強い酸で喉が焼かれ、ひりひりと痛んだ。歯も少し溶けたような気がした。私はすえた臭いに鼻を突かれながら、強く思った。
死にたい。もう死んでしまいたい。生きているのが苦痛だ。生きるべきでない理由ばかりある。私には生きる価値など無い。なぜ私は生きているのだろう。私が死ねば、私の中の動物霊がどこに向くかわからないからか。それがどうした。自分が死んだ後のことなど、どうでもいいじゃないか。
ずっと自分が許せない。このまま生きていれば、また誰かを殺すのではないかとひどく不安になる。きっとまた悪いことをする。こんな私など、社会のためにもさっさと死ぬべきだ。私に殺される人間が出る前に。
そもそも私は、なぜ母を殺したのだろう。なぜあの男を唆し、父を殺させて家に火を点けさせたのだろう。それがどうしても思い出せない。それが何より恐ろしかった。きっと自分の心を守るために、都合の悪い記憶は忘れてしまったのだろう。人を殺して、殺させておいて。醜いことだ。罪に向き合う精神すら私には無いのかと反吐が出る。
こうして探偵をしている現在の自分にも吐き気がする。なぜ探偵など始めたのだろう。せめてこの力を活かそうと思ったのか。人のために使おうと思ったのか。贖罪のつもりだったのか。贖罪などできるはずがないのに。許されるはずもないのに。気味が悪い。死ねばいい。死に値する人間だ、私は。依頼人の感謝も、笑顔も、どんな幸福も、私が享受していいものではない。今すぐにでも死ねばいい。
「…酒。酒が飲みたい」
布団に吐いてしまったのだから、一刻も早く布団を洗濯機に入れて洗う必要があった。だが私にはそんな気力は無かった。私は吐瀉物の臭いを放つ布団から抜け出して、冷蔵庫に向かった。酒を飲んで、現実を忘れたかった。
頭の中に、私に憑いている犬や猫たちの声が響いた。愉快そうな笑い声だ。うるさい。何がそんなにおかしいと言うんだ。私の無様な姿が面白いのか。うるさい黙れ。私はその声を振り払うように頭を左右に降ったが、声は止まなかった。
どんどんと、音が鳴った。その瞬間、動物霊たちの声がぴたりと止んだ。
音は事務所の入り口から鳴っていた。誰かが事務所のドアを叩く音らしい。この時間に来客の予定は無かったはずだ。私は訝しみながら入り口へと向かった。ドアを叩く音は絶え間なく鳴っていた。このドアの先にいるのは不審者かもしれない。そうは思いつつも、私は鍵を解除してドアを開いた。どうでもよかった。ドアを叩く者の正体がナイフを構えた不審者だとしても、私を刺し殺してくれるならそれはそれでいいと思った。
「ああ…臭え。相変わらず獣臭え、血生臭え…酒臭え。それに加えて…ゲロ臭え」
ドアの向こうには、見知った顔がいた。その男は顔を
「酷えツラだ。なに吐いてやがる」
以前、私が関わった怪異を祓ってくれた男。
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