守れなかった人
早朝5時、事務所に戻った守美は異変に気付いた。鍵を取り出し、鍵穴に差し込んでも鍵が回る音がしない。鍵が開いている。鍵の閉め忘れを一瞬だけ疑ったが、記憶が正しければ確かに外出した際に施錠したはずだった。守美は泥酔しても記憶があやふやになることは無かった。
一抹の不安を覚えながら、守美は静かにドアを開けた。一見、普段と変わらぬ事務所の風景。その中に一点、異変があった。事務所のソファの上には秀一が仰向けに横たわっていた。
「秀一!?おい!秀一!」
守美は秀一を抱き起こし、肩を揺さぶった。何度目かの揺さぶりで、秀一は低く唸り声を上げゆっくりと目を開けた。
「姉…さん…?帰って来たのか…ん?ソファの上?」
秀一は守美の顔と自身が寝ていたソファを交互に見た。守美はそんな秀一の様子にほっと安堵の息を吐いたが、目つきに険しさを浮かべ秀一に問いかけた。
「秀一、ドアの鍵を開けたのか?私は鍵を閉めていったはずなのに開いていたんだが…まさか誰かが訪ねてきたんじゃないだろうな?」
ドアの鍵と言われ、秀一は寝ぼけた目でドアに視線を向けた。寝起きでまだ頭が回らないのか、苦心して記憶を辿っていた様子だったがやがて言葉を零した。
「ああ…確かに鍵を開けた記憶がある。トイレに行った後、夜風を浴びに外に出たのかな…その後ついソファで寝ちゃったのかもしれない。誰か来たってわけじゃないよ」
守美はその返答に思うところはあったものの、ひとまずは納得した顔を見せた。
「…そうか。ならいいんだ。だがこんなところで寝ていたらダメだろう。風邪を引いたらどうするんだ」
「風邪を引くっていうなら姉さんもだろ。また公園でかなり飲んできたな?夜は寒いのになんで外で酒飲むんだよ!」
「今日は公園じゃないぞ。西の丸スクエアの前のベンチだ。あのオフィスがたくさん入ってるビル」
「余計にダメだろ!」
守美は秀一の指摘を笑って誤魔化すと、レジ袋から瓶入りのウォッカを取り出して冷蔵庫に入れた。帰り道に買ってきたものだ。行きに買った酒は全て飲み終わっていた。1.5L以上の酒を飲んだことと夜が明けたことで、ようやく霊障が治まった。
秀一はそんな姉の背中にひとつ問いかけた。
「姉さん…月曜のことだけど。本当にあれでよかったのかな…つい思ってしまうんだ。一子さんはちゃんと希実さんと話し合えたのかって…」
「言っただろう。あとは家庭の問題だ。家族関係には他人の私たちが口出しするものじゃないよ。結局…
「姉さんは…母さんと仲良かったもんな。でもどこの親子だって仲良しってわけにもいかないだろ」
「まあ…そうだね。うまく行かないこともあるだろうさ。だがそれにしたって私たちには関係無い。空代家がどうなろうと、結局はよその家の問題じゃないか」
守美は秀一の顔を見ずにそう呟き、ひと眠りすると言って布団に潜っていった。その日の依頼人の訪問予定時刻は11時だったため、支度の時間を差し引いて5時間程度しか眠れなかったが、守美は睡眠不足を表に出すことなく依頼人に応対した。
夕食前に守美が昼寝をしたこと以外は、普段と何ひとつ変わらない平穏な日だった。それからしばらくの間、いつも通りの日常は続いた。
一か月半後、守美は秀一に関する記憶を失った。
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