空代雲晴 ①

 空代一子が救急搬送された病院は、空代家のアパートから徒歩15分ほどの場所にあった。空代一子の病室にはベッドが4つあり、空代一子はその左奥のベッドで点滴を受けていた。守美と秀一が病室に辿り着く頃には、空代一子は意識を取り戻した状態でベッドに横たわっていた。


「やあ、意識は戻ったようだね」


「あっ…捻木さん」


 守美と秀一の姿を認めると、空代一子は上体を起こした。秀一は病床を取り囲むように設置されている仕切りカーテンを閉じ、慌てて「ご無理をなさらないでください」と彼女を労わった。しかし空代一子の体調はすでに回復している様子だった。


「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。救急車も呼んでくださったようで…先生には、睡眠不足やストレスによるものでしょうと言われたんです。それで倒れてしまったと。確かに最近は睡眠が不安定でしたから…」


 秀一はどう話を切り出すべきか思い悩んでいた。空代一子は点滴を受けたことと、少しの間とはいえベッドで休んだことで体力を取り戻しているようだった。しかし、空代雲晴がすでに死亡している可能性が高いこと。その死に、実の娘である空代希実が関わっていたこと。その動機が書かれた日記帳を発見したこと。それを告げれば、空代一子はショックのあまり再び意識を失ってしまうのではないかと思われた。


「ご主人のことなんだけどね」


「ちょっ…」


 躊躇なく空代雲晴の話を切り出した守美に、秀一は狼狽を隠せなかった。秀一がどう告げるかと逡巡していた話題を、守美は当然のように話し出した。


「雲晴氏は、希実さんに日常的に暴力を振るっていた?」


「っ…!」


 空代一子の喉から空気が漏れる音が小さく鳴った。空代一子は大きく目を見開き、守美の顔を見つめた。


「どうして…」


「勝手ながら家に上がって調べさせてもらったんだけどね。希実さんの机の上に、日記があったんだ。そこに書かれていたよ」


 空代一子は目を伏せ、両手を強く握った。その顔には無許可で家を調べた守美への怒りのようなものは無く、重大な隠し事が露見してしまった子どもに似た怯えが浮かんでいた。


「…はじめは、理想の父だったんです。優しくて、明るくて、三人の娘を可愛がっていて」


 空代一子はぽつぽつと語りだした。はるか遠い過去を眺めるような眼差しだった。


「様子がおかしくなったのは…花菜が亡くなった後からでした」

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