悪夢 ③
え?という間抜けな声が私の口から漏れた。消してあげましょうか。猿山さんの言った言葉の意味が、私には理解できなかった。
「消す…?消すって、あの、どういうことでしょうか」
「お姉さまが消えてしまえばいいと思う。あなたはそう言いましたね」
それは、確かに言った。でもそれはあくまで願望の話で、本当に消してやりたいだなんて思ってはいない。だってそれは、殺してやりたいと同義だ。いくら霧華お姉ちゃんのことが嫌いでも、流石にそれほどの思いは。
そこまで考えて、ふと思う。本当にそうだろうか?殺してやりたい気持ちが微塵も無いと、きっぱりと断言できるだろうか?
霧華お姉ちゃんが何度も私を蹴る映像は、今も私の頭の中で映し出されていた。それが繰り返し再生されていくたびに、どす黒い憎悪はますます強まっていく。私の心に渦巻くこの憎悪は、殺意と何が違うのだろうか?
「もし、私がお姉さまのことを消せるとしたらどうしますか?」
私はぱっと顔を上げた。なんだ?猿山さんは何を言っている?もしかして猿山さんは、霧華お姉ちゃんを殺してあげるとでも言っているのだろうか?私はそんな不穏さを抱き、テーブルに上半身を横たえながら猿山さんに向かって首を振った。
「だめ…だめです…殺人なんて…」
「殺人?ははは、勘違いをしていらっしゃる」
猿山さんは低い声で笑い、細長い人差し指を横に振った。
「殺人というのは、露見してはじめて殺人になるのでしょう?ご安心ください。死体など見つかりませんよ。ですからこれは、そうですね。言うなれば、ただの食事です」
私には猿山さんの言葉がうまく飲み込めなかった。彼が言っていることの意味が、さっぱりわからなかった。
「お見せしたほうがわかりやすいでしょう」
そう言うと、猿山さんは人差し指で私の額をとんと叩いた。その瞬間、なにかが私の頭の中に流れ込んできた。私の意識に、鮮明なイメージが映し出された。
「…おさるさま?」
その表現が正しいのかはわからないが、それが猿山さんの、おさるさまの記憶なのだということは理解できた。断片的な映像ではあったが、目の前の男性の正体を理解するには十分だった。
「あなた…人間じゃない…?」
初めに感じたのは恐怖だった。人間ではないものと、狭い部屋に二人きりでいる。その事実から生まれた恐怖心は私の心を侵食し、さっきから心の中に汚泥のように溜まっていた憎悪と絡み合って私の精神を蝕んだ。
「理解していただけましたね?私が“消せる”と言った意味が」
次第に、抱いてはいけない思いが心の奥底から湧き上がってきた。さっきからフラッシュバックのように何度も明滅する霧華お姉ちゃんの罵声が、意識を憎悪で満たしていった。この憎悪が殺意と相違ないのであれば、私はこの時すでに殺意に吞まれてしまっていたのだろう。
「さあ、どうしますか?この手を取るか、それとも拒むか。あなた次第です」
憎い。憎い。憎い。消してやりたい。殺してやりたい。そうだあんな奴、死んでしまえばいい。
もしかしたら私の選択は、おさるさまに操られていたのかもしれない。それでも。
「あいつを消してください。おさるさま」
この時確かに、私はおさるさまの手を取った。
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