日記 ⑥
2024年5月18日(土)
お父さんは美味しかったみたいです。おさるさまが嬉しそうに言ってきました。おさるさまが感じている"味"っていうのは私にはよくわかりません。一瞬だけ味覚も繋がってたらよかったのになと思いましたが、変な味だったら困るのでやっぱりいいです。
おさるさまが食べているものはつまり、その人を構成する核のようなものらしいですから、魂っていう表現が一番近いのでしょうか。霧華お姉ちゃんの魂よりも、お父さんの魂のほうがずっと美味しかったそうです。熟成感のある芳醇な味わいだったと、おさるさまは言っていました。人の魂は、歳を重ねて苦悩を味わった人ほど美味しいらしいです。じゃあ、おじいちゃんやおばあちゃんはもっと美味しいのかな。
2024年5月19日(日)
お父さんのことを書こうと思ったのです。こうして日記帳を開いて、シャーペンを手に取って。だけど、一文字も書けずにそのままの体勢で何分も固まっていました。
書けない。いや、書こうと思えない。お父さんについて、文章に留めて記憶に残しておきたいと思えることが何も無いのです。
最初は霧華お姉ちゃんの時のように、お父さんにやられて嫌だったことを書き記しておこうと思いました。だけど書けませんでした。書こうとしても吐き気がして、あんな奴のことを日記に書き残しておこうなんて気にはなれませんでした。クソ野郎。
じゃあ反対に、お父さんの良い面を書こうと思い立ったのです。なんだろう。あまりにも気分が悪くなったから、お父さんの温かい記憶を思い出すことで気分を中和しようと思ったのでしょうか。でも、無いのです。無かったのです。お父さんが優しくしてもらったこと。お父さんにしてもらって嬉しかったこと。そういうものがひとつも思い出せないのです。そんなものは初めから無かったのかもしれないと、今ここに至って思い知りました。
いや、それでも私はお父さんにも優しい時はあったのだとどこかで思っていたはずなのですが。それは幻想だったのでしょうか。苦痛から逃れるために生み出した妄想だとか、願望か何かだったのでしょうか。考えてみれば本当に、お父さんの優しい顔を見た記憶が私にはひとつも無いのです。もしかしたらお父さんは花菜お姉ちゃんが亡くなる前は優しかったのかもしれませんが、そんなの思い出せるはずもありません。
霧華お姉ちゃんに優しくしてもらった記憶も大してありません。だけど、それは一緒に過ごした時間自体があまり無かったから。霧華お姉ちゃんはそういうものだと思っていたから。
お父さんは霧華お姉ちゃんと違って、毎日家で顔を合わせていたんだから、どこかで優しくしてくれたタイミングがあったはずだと思いこんでいたのかな。そうでもないとやり過ごせなかった?だけど、そんなものは無くて。殴られて罵倒されて無視されて、ゴミのように扱われた記憶だけが本当で。だからお父さんが消えた時は心底嬉しくて。それが実際のところだったのでしょうか。
頭がごちゃごちゃしてきました。もう寝ます。今夜は悪い夢を見そうです。
おさるさま。助けてください。
私の記憶をいじったんだと言ってください。
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