日記 ④

 空代希実の日記は、先月の8日から始まっていた。そこには空代霧華という人物に関する記述が綴られていた。この家ではなく、祖父母の家で育てられていたという空代希実の姉。空代希実の視点では、空代霧華は妹を虐げることで鬱憤を晴らしていたという。日記には、そんな姉への嫌悪と妬みが随所に書かれていた。

 だがそれ以上に守美の目を引いたのは、"おさるさま"という謎の言葉だった。この日記の記述を見るに、空代霧華はこの"おさるさま"によって消されたと考えられた。おそらくは、空代雲晴と同様の方法で。

 自分以外は誰も覚えていないと書かれていること。他人に空代霧華の話をしても記憶に留まらないこと。ただ一人、空代希実だけは空代霧華の記憶を保持していること。あらゆる点が空代雲晴のケースと一致していた。


(おさるさま…?猿…か?これに関する記述は…)


 守美は各ページの写真をスマートフォンで撮りながら日記を読み込み、"おさるさま"の情報を探し求めた。しかし空代希実は4月12日より後は取るに足らない愚痴ばかりを日記に書いており、日記の内容に"おさるさま"という名が書かれた日はそれ以降見当たらなかった。"おさるさま"の名が再び登場したのは、空代雲晴が消えたという5月15日だった。



2024年5月15日(水)

 お父さんが消えました。おさるさまが消してくれました。

 なんだか、胸がスッと軽くなったような気持ちです。安心感っていうか、解放感っていうか。すごく、心が軽い。もう殴られなくて済むからでしょうか。おさるさま、ありがとうございます。

 …でも、お父さんが消えてこんなに嬉しいってことは、これが本当に嫌な人がいなくなった時の感情なのでしょうか。お姉ちゃんを消した時には無かった感情です。じゃあ私は、お姉ちゃんをそれほど憎んではいなかったのでしょうか。なにも殺すことは、なかった、のでしょうか。

 やっぱり、今日は寝ます。気持ちが沈んできたので、今日書くつもりだったことは明日書きます。


2024年5月16日(木)

 今朝のお母さんは一睡もできていなかったのか、ひどいクマを作っていました。私が学校から帰った時には泥のように眠っていて、夜9時になっても起きません。昨日からずっと泣いていたり叫んだりしていたので、体力の限界が来たのでしょう。心配です。

 昨日の朝、5時くらいだったでしょうか。おさるさまが私に言いました。「お父さまが消えましたよ」と。まだ3ヶ月です。霧華お姉ちゃんを消すには半年くらいかかったのに、お父さんはその半分で消せたのかと私は驚きました。おさるさまの力は以前より強まっているみたいです。

 お父さんは今も一人で街をさまよっているのでしょう。誰にも見えなくなるおさるさまの術は、おさるさまがいる限り解けないようですから。やがてお父さんに限界が来たら、おさるさまはお父さんを食べるんだと思います。

 おさるさまは契約の対価として、お父さんを消す術をかけ始めた時に、お母さんに分体を憑けました。それに加えて昨日、前々から話していた通り、お父さんのぶんのメモリをお母さんの頭に保存することも。

 おさるさまは、食べた人の思い出を残すために、近しい人の頭に記憶を留めておきます。人々から記憶を消しても、その一人だけには記憶を残しておいて絶対に消えないように脳に刻み込みます。こうすると何年経っても記憶が劣化しないらしいです。

 人間が食べ物の写真を撮って、後で見返して味を思い返すみたいなものだと言っていました。私はそういうことはしないのでよくわかりません。霧華お姉ちゃんの時は私の頭を使ったのですから今回も、と思ったのですが断られました。味が混ざるとか言っていました。おさるさまと繋がっている私は術の対象外なのでまだお父さんのことを覚えています。でもそれはメモリとは違うみたいで、私が今覚えてるお父さんの記憶は時間とともに劣化するみたいです。それで良いと心底思います。

 それにしても、お母さんの様子を見るとつい思ってしまいます。いっそお父さんのことを綺麗に忘れてしまっていたほうが良かったんじゃないかって。そうすれば、あんなにショックを受けて憔悴することも無かったはずです。おさるさまがダメだと言うんだから、仕方なかったんだけど。


2024年5月17日(金)

 学校の帰り道で、変な人たちに声をかけられました。変な恰好をしたお酒臭い美人のお姉さんと、スーツを着たお兄さん。怪しい人たちで、逃げ出そうかとも思ったはずでした。そのはずだったのに、お姉さんが私の手を握った瞬間に、警戒心がすっと消えていきました。この人なら大丈夫だっていう気持ちが湧いてきて、不思議な安心感が芽生えました。今にして思えば、怖いことです。おさるさまがなんとかしてくれなければ、今も私はあの気持ちを抱いたままだったのでしょうか。

 お姉さんは探偵と言っていました。お母さんに頼まれて、お父さんについて調べていると。私が学校に行っている間に、お母さんは相談に行ったのでしょうか。うちはお金が無いのに、費用とか高いんじゃないのかな。つい、そんな心配をしてしまいます。お父さんが見つかることは絶対に無いから、発見される心配はありません。

 お姉さんは私に対して、お父さんやお母さんに関する質問をしてきました。おさるさまと繋がっている私は、お父さんのことも覚えています。だから思わず、答えてしまいそうになりました。お姉さんと話していると、不思議な感覚になるのです。この人になら全部話してもいいやとなぜか思ってしまう、無条件の信頼のようなもの。おさるさまが助けてくれてなかったら全部あっさりと話してしまっていたに違いありません。

 おさるさまは、私が話し始める前に私の記憶をいじりました。分体でも、おさるさまと契約した私の記憶については、私の了承があればいじれるようです。

 おさるさまはお父さんに関する記憶を消して、一時的に他の人たちと同じ状態にしてくれました。その場では記憶を失った状態になっても、後でおさるさまが記憶を戻してくれました。おさるさまが見た記憶が流れ込んできて、私の頭の中が膨れ上がるような変な感覚でした。

 これはおさるさまが言ってたことだけどあのお姉さん。

 私と同じみたいです。

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