発見
月曜日の朝、守美と秀一は空代家へと向かっていた。事務所から空代家への経路は金曜日に空代希実に会いに行った時に通った道と同じであり、空代家のアパートは例の地点からすぐ先にあった。守美は経路を覚えていたが、秀一は念のために地図アプリで確かめながら道を歩いていた。
午前8時過ぎであれば付近の学校に通う生徒たちの姿があっただろうが、午前9時前となると制服姿の通行人は見当たらず、スーツ姿のサラリーマンがまばらに歩いているだけだった。
「朝なら空代一子も家にいるだろう。収入が無いと言っていたから働きに出ていないようだし、あれではやたらと外出できる状態ではなさそうだからな。空代希実は学校に行っている時間だから家にいない。上がり込んで部屋を見るチャンスというわけだ」
守美は歩きながらミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開け、しきりに口に運んでいた。ペットボトルの中身は透明な液体だが、水にしてはやたらと泡が立つ。守美が炭酸水をミネラルウォーターのペットボトルに詰め替えるとも思えなかった。秀一は薄々と答えを察しながら聞いた。
「姉さん…そのペットボトルの中身、本当に水…?」
「ん?酒に決まってるだろう。レモンチューハイだよ。このペットボトルの容量が500mlだから、500mlのロング缶の中身がちょうど入るんだ。炭酸はちょっと抜けるがね。こうして移し替えれば酒を飲んでるなんてだあれも気づかない」
守美はいったい何の問題があるのかと言わんばかりに堂々と答えた。すでにペットボトルの中身の水位は半分になっていた。
「なんで依頼人に会う前に飲むんだよ!朝から!」
「いやあ、必要に駆られてってやつさ。別にいいだろ。路上飲酒は違法でもないし。それに缶のまま飲みながら歩いてたんじゃガラが悪いと思ってペットボトルに移し替えたんだぞ。私の配慮ってものを褒めてほしいね」
秀一はもはや反論する気力も起きず、横でペットボトル入りの酒をぐいっと飲み干す姉を苦い顔で見るだけだった。守美は酒を飲んでも顔に出にくいが、酒の香りは抑えられるものではない。守美が酒の香りを漂わせていることで空代一子が怒りを示すことは無いだろうが、できればあまり守美を喋らせず自分が対応したほうが無難だろうと秀一は考えた。
「ここが前に希実さんに話を聞くために張り込んだ場所だな。ここからすぐ近くみたいだけど」
「たしか地図ではもう少し歩いて右に曲がったところだったはずだ」
空代家が部屋を借りているアパートは、オフィスが立ち並ぶ大通りから一本曲がった細道にあった。まだ午前9時前ということもあり大通りにも車は少なく、細道を少し進むと辺りには朝の静かな空気が澄み渡っていた。
「ええと、市ヶ谷パレス…あった。この建物みたいだ」
秀一は細道に建っている一軒のアパートの前で足を止め、地図アプリとアパートの銘板を交互に見て確認した。依頼フォームの住所欄に入力されていた情報では、空代家はこのアパートの3階の303号室にあるという。1階の集合ポストを確認すると、確かに下から3段目の303号室のポストには"空代"と書かれていた。
「ここの3階だな。ずいぶんと階段が急だ」
「急なだけじゃないぞ秀一。年季が入りすぎて階段の柵もボロボロじゃないか。柵が崩れて落ちたら死ぬから柵は掴むんじゃあないぞ」
「住民の方もいるんだからそういうことは言…いやまあ…危ない感じだけど…」
二人が階段の前で話していると、上から人が階段を下りてくる音がかんかんと響いた。姿を現した人物は、グレーのスーツを着た男性だった。眼鏡をかけ髪を七三分けにしたビジネスマン風の男は、守美と秀一を一瞥すると歩き去っていった。
「ほら姉さん、失礼なこと言ってるのが聞かれたかもしれないじゃないか」
「あんな高そうなスーツを着た奴がこんなアパートに住んでるわけあるか。あれは営業マンか詐欺師かなんかだ」
「スーツにお金かけてるだけかもしれないだろ!」
急な角度の階段を3階まで上がりきる頃には、守美は疲弊しぜえぜえと肩で息をしていた。体が重いと呟きながら座り込む守美の姿に、秀一は飲酒の健康リスクと日頃の運動の必要性を感じざるを得なかった。
守美の回復を待つよりも先に、秀一は303号室のインターホンを押した。どのみち、姉は酒を飲んでしまっているのだから自分が空代一子に話を切り出すつもりだった。
しかし1分ほど待っても玄関のドアが開く様子は無かった。再度インターホンを鳴らしても同じだった。秀一は留守だろうかと首を傾げ、試しにそっとドアノブを引いてみたところドアは静かに開いた。まさか鍵がかかっていないとは思わずなんの気なしの行動だったため秀一は驚いたが、ドアの先の光景にさらに驚かされることとなった。
ようやく立ち上がりのろのろとこちらへやって来る守美に、秀一は大声で告げた。
「姉さん!!一子さんが!!」
空代一子は玄関で仰向けになって倒れていた。
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