空代希実の話について

 空代希実の姿が見えなくなった後、守美は路上で秀一にぽつりと告げた。


「秀一。空代希実は嘘をついていない。彼女が私に語ったことは真実だと考えていい」


「…姉さんがそう言うならあの子の証言は嘘じゃないとして…だとしたらやっぱり、父親に関する記憶を失っているわけか」


「空代一子が妄想を言っているわけではなさそうだ。一昨日の朝、空代一子は父親に対する態度のことで娘を叱ったと言っていた。だが空代希実は叱られたことの内容を覚えていないと言った。叱られたこと自体は覚えているのに。確かに、記憶の欠落が起きているね」


「でもその時もさっきも、希実さんは家族写真を見たんだよな。雲晴さんも写っている写真を。本人の認識では雲晴さんは知らない人間なのに、そんな人と3人で写っている写真なんか見て不気味に思わなかったのか?」


「さっきの様子から察するにおそらく、見ること自体できていない。認識を歪められている。私が空代雲晴の写真を見せて“君のお父さん”と言った時、空代希実は魂が抜けたような反応を見せた後に心底不思議そうな様子で“なんですか?”と聞いてきただろう。写真の内容に疑問を持ったというよりも、写真を見せられたということ自体を認識できていなかったような反応だった」


「記憶の消えた人物に関する情報への認知が歪められている…それを目にしても認識できない…ん?じゃあ姉さん、もしかしてさっきのDMの人も」


「秀一が送ったスクショか。彼女は“届いていない”と言ったな。あれも正しくは“認識できていなかった”が実際のところだろう。彼女は空代雲晴の記憶を怪異に植え付けられ、消された。認識に異常が発生する条件が怪異に記憶を消されることならば、彼女もさっきの空代希実と同様の状態になっていて当然だ」


「消えた人間の情報が含まれたものが認識できなくなるなら、当然あのスクショも認識できなかったわけか…“空代雲晴”という名前が書いてあるんだから」


「記憶の怪異は、物理的なものまでは消せない。写真や身分証は残っているんだからね。そのかわり、それらの本人の痕跡を目にしても正常に認識できないように頭をいじっているんだろう。違和感を抱くこともできないはずだ。空代家には空代雲晴の私物がたくさんあるだろうに、空代希実は家の様子になんら疑問を持っていないようだった。そうなると、職場での空代雲晴のデスクは、ずっと空席なことに誰にも違和感を抱かれないまま埃を被っていくのかもね」


「…ゾッとするな。自分がそうなったらと思うと」


「記憶から消えた人間に関する話を振られても、その時は受け答えできるようだ。まあ覚えてないの一点張りだがね。だが、時間を置くと話の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまう。だから空代希実は一昨日の朝に空代一子に何を叱られたのか覚えていない」


「一子さんの様子を“疲れた感じ”の一言だ。今、家庭内で一子さんがどれだけ雲晴さんの話をしているかわからないけど、何を話しても希実さんに記憶が残らないなら…それは憔悴するのも頷ける」


「空代一子が狂わなければいいが。依頼料をぜんぶ先払いで貰っておこうかな」


「くれるわけないだろ!でも姉さん、希実さんは何も知らなそうだ。これ以上情報を引き出せなさそうだし…希実さんが関わっていなかったとわかった以上、次はどうする?」


「いや?空代希実はクロだよ」


 守美は平然と言った。秀一は守美の言葉をうまく飲み込めず、困惑を隠せない様子で問いかけた。


「な…なんでだよ?あの子は何も覚えていないみたいだったじゃないか」


「今はね」


 守美は長い指を二本立て、秀一の目をじっと見て告げた。


「理由は二つ。ひとつは、反応が違った。さっき私が空代希実に見せた写真は、空代一子が一昨日の朝に空代希実に見せたという家族写真と同じものだ。空代希実は虚ろな目を浮かべた後に“なんですか?”と言っただろう。さっきも話したように、彼女は写真自体を認識できていなかったんだ。おそらくあれが記憶に干渉されている人間の本来の反応だ。情報に対しての認識の異常。ところで秀一、一昨日の朝の空代希実はどんな反応をしていた?」


「…そういえば一子さんの話では、一昨日の希実さんは写真を指差してハッキリと“この人だれ?”と言ったという…つまり、一昨日の朝の時点では、希実さんは確かに正気を有していた。その上で、雲晴さんを知らないフリをした…?」


「空代雲晴に関する記憶の消失は、同僚や友人たちの反応からして少なくとも一昨日の朝には確かに起こっていた。それなのに、空代一子が話していた一昨日の朝の空代希実の反応はおかしい。彼女、さっきの様子では確かに空代雲晴の記憶を失っていたよ。他の人間と同じように怪異に記憶をいじられて認識の異常が起きたなら、一昨日の朝の時点でもさっきと同じ反応を示すはずだろう」


「今日のあの子が雲晴さんの記憶を失っていたのは…」


「今日までのどこかのタイミングで怪異に記憶を消されたか…あるいは本人が望んで消してもらったのか。次は一昨日からの空代希実の足取りを調べることだな」


「…もうひとつの理由は?」


「イヤだなあ秀一。女性の変化に気づかないのは良くないぞ」


 守美はからかうように笑った。


「彼女、明るくなったじゃないか」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る