空代希実
空代希実の姿は、空代一子が提供した家族写真に写っていた。中学校の入学式に撮ったものらしい。“入学式”と大きく書かれた白い看板の向かって右側に夫妻が、左側に空代希実が立っている。
写真の中の空代希実は制服姿で、瘦せ型で身長が低く、長々と伸びた黒髪が特徴的だった。顔の造形は比較的整ってはいるものの、両目のすぐ上まで垂れかかる前髪と、どこか陰鬱な表情のために華やかさは微塵も感じられなかった。守美はこの制服から空代希実の中学校を特定したのだった。
守美と秀一は、スマートフォンに保存したその写真を確認しつつ、道を歩いてくる生徒たちの顔に注視していた。
「なんでこんな中途半端な場所で張り込みするんだよ。もっと中学校の近くで張ればいいじゃないか」
「目立つだろう!不審者が中学校の近くに立ってるって通報されたらどうするんだ!中学校から空代家までのルートで、必ず通る道がここだ。空代希実がまっすぐに家に帰るのなら、ここで待っていれば出会えるってわけさ」
守美はスマートフォンの地図アプリを秀一に見せた。地図上では中学校の住所と、依頼時の申し込みフォームから知り得た空代家の住所が一本の線で結ばれていた。中学校からしばらく進み川を渡った先には、家に帰るにはそこを通る以外に選択肢の無い道が確かにあった。今、守美と秀一が立っている場所だった。
「友達とどこかへ遊びに行っていたらどうするんだ?」
「この陰気な顔をよく見ろ!これが友達のいそうなタイプに見えるか?」
「なんてこと言うんだよ!」
声を上げた秀一は、そこで言葉を切った。道の先に、小柄な少女の姿が見えた。その顔は遠くからは朧気にしか見えなかったものの、少女がこちらへ近づくにつれて鮮明さが増していった。写真では腰まで伸びていた長髪は肩までの長さに切り揃えられ、前髪も眉にかかる程度の長さになっていたが、その少女は空代希実に違いなかった。
実際の彼女は、写真から受けるイメージほど陰鬱な印象を放ってはいなかった。多少は気弱な顔つきであったが、ごく普通の女子中学生に見えた。
「やあ失礼、お嬢さん。空代希実さんだね?私は田中
用心のため、守美は偽名を名乗って空代希実に話しかけた。空代希実は、シャーロック・ホームズのコスプレじみた格好をした茶髪の女とスーツ姿の男の二人組に、警戒心をあらわにした様子だった。
「な…なんですか…?探偵…?」
「怖がらせて申し訳ない!怪しい者じゃないんだ!」
守美は空代希実の手を取り、力強く告げた。十分に怪しいだろうと秀一は思ったが、空代希実はその言葉でいくらか動揺を収めたようだった。守美は手を離すと、空代希実の目をじっと見つめて質問を始めた。
「実は、君のお母さん…一子さんに依頼を受けてね。人探しの依頼なんだけれど」
「はあ…」
「いきなり失礼なことですまないが、君はずっとお母さんと二人暮らしなのかい?お父さんは?」
「…はい。ずっと二人暮らしです。お父さんとは、会ったことがありません。私が子どもの頃から一度も。なので顔も知らなくて…」
守美と秀一は、その返答にぴくりと反応を示した。空代希実は、父とは面識が無いと話した。空代一子が話していたとおり、空代雲晴の記憶を失ってしまったかのような言動だった。
「…そうか。お父さんとお母さんは、君が生まれる前にでも離婚したのかな?」
「いえ…お母さんからはそういう話は聞いたことないです。離婚して出て行ったのか、それとも亡くなったのか…よくわかりません」
「そうだね、聞きにくいだろうからね。ところでここ最近、お母さんの様子はどうだい。何か家で変わったことは?」
「すごく疲れた感じです。変わったこと…は特には…」
「一昨日くらいから、お父さんがどうとか言っていなかったかい?」
「言ってないです」
守美はその答えを聞き、深く息を吐いた。次に何を問うべきか、思案している様子だった。守美はスマートフォンに空代家の家族写真を表示して見せた後、空代雲晴の顔を拡大表示した。
「お母さんは、この男性を君のお父さんだと言う。どうかな?見覚えは無いかい?」
「……?」
空代希実は写真を目にした瞬間、虚ろな目で放心したような表情を浮かべた。少しの間電源が切れたように押し黙った後、守美に向き直って怪訝な面持ちで告げた。
「あの…なんですか?」
その様子を見て、守美は画像フォルダを閉じた。それ以上は必要が無いとでも言うようにスマートフォンをポケットに戻した。
「…いや、すまない。やっぱりなんでもないよ。あと聞いておきたいのはね、一昨日の朝のことだ。お母さんは君を叱ったって言うんだけど、そのことは覚えてる?」
「朝…学校に行く前に」
「内容は?」
「よく覚えてないです」
「…お母さんは、何か仕事をしているのかな?」
「いえ、してないです」
「じゃあね、これはお母さんも言っていたことなんだけど。お母さんは収入も無いのにどうして君が14歳になるまで育てられたんだと思う?」
「貯金とか…?」
秀一は空代一子の姿を思い返した。長く着回され黄ばんだカーディガンは、貯蓄に余裕のある人間が着るものとは思えなかった。髪の手入れをする余裕さえ無い様子だった。
「…時間を取らせてすまなかったね。最後にひとつだけ。お母さんのことは好き?」
「べつに好きでも嫌いでもないです」
空代希実はきっぱりと断言した。守美はその答えに小さな笑みを漏らした。
「ははっ、そうだね。親なんて、好きなところも嫌いなところもあるものか。うん、付き合ってくれてありがとう。ああ、私たちが君と話したことは、お母さんには内緒にしておいてくれ。一応、念のためにね」
「わかりました」
「うん、じゃあもういいよ。暗くなる前に気を付けて帰ってくれ」
守美が手を振ると空代希実は軽く会釈して立ち去ろうとしたが、ふと気づいたように足を止めると振り返り、おずおずと守美に言った。
「あの…あんまりお酒飲まないほうがいいですよ」
守美は苦い顔を浮かべた。
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