捻木守美の考察

「あっ、返信が来た…ん?送ったURLが開けないって言うんだけど」


 空代家の娘・空代希実のぞみが通う中学校は、事務所から徒歩で向かえる範囲にあった。靖国通りを西に歩いて神保町から九段下方面へと向かう道中、事務所のアカウントにダイレクトメッセージが届いた。それは先ほど秀一が送ったメッセージの返信だった。


「URLを間違えてるんじゃあないのか?」


「いや、ちゃんと正しいURLだよ。ほら姉さん。押すと普通に開ける」


 秀一がダイレクトメッセージで送ったURLをタップすると、画面が切り替わりブログが表示された。それは確かに2月18日の深夜に投稿された、“夢の話”というタイトルのブログだった。

 二度の返信の後、以降のやり取りをすることは不可能になった。不気味に思われたのか、相手に事務所のアカウントをブロックされてしまったのだ。


「うわっ、ブロックされた…でも変だな、スクショも送ったんだけど」


「…届いていない、か」


 守美は秀一のスマートフォンの画面を覗き込んだ。守美はTwitterをやっていないので、アカウントの管理は秀一に任せきっていた。

 ブログの内容を写したスクリーンショットはダイレクトメッセージで確かに送信されていたが、相手からの返信内容は「届いてませんが」だった。守美は立ち止まり何事かをぶつぶつと呟いていたが、やがて言葉を止め再び歩き出した。


「まあいい。そもそも本当に返信が来たこと自体驚きだったんだ。怪しい探偵事務所からのDMなんてもの、まともなネットリテラシーがあれば無視するだろう。知らないアカウントが送ってきたURLなんて開くもんじゃない。秀一はこういうのが来たらすぐにブロックするんだぞ」


「ダメ元だったのかよ…」


 つい先ほど焼酎を4杯も飲んだ守美は泥酔状態にあるはずだったが、守美の言動にアルコールによる鈍りはみられなかった。微かに漂う酒の香りが無ければ、飲酒したばかりとは誰も勘付きそうになかった。


「でも姉さん、これが特定人物に関する記憶を消す怪異だとしてだ。あの夢の話は…記憶を消すのとは逆に、名前という記憶を人に刻み込んでいるように見える。後で記憶を消すにしても、真逆の行動をする理由がいまいちわからない」


「彼女は、2月18日より二週間ほど前に夢を見てから“空代雲晴”という名前を呟く男の声が頭を離れなくなったと書いている。それは生活に支障をきたすほど彼女を蝕んでいたんだろう。深夜まで眠れないほどに。“空代雲晴”と繰り返す声だけが、日常のすべての場面で常に脳裏にこびりついていた」


「ああ…それはおそろしく苦痛だったはずだ。あの文面からも相当追い詰められている様子が見て取れた。“消さないと”と思うほどに」


「彼女は苦痛に耐えかね“空代雲晴”を消そうとした。あの一文を何度も何度も書くことで。実際に消えたようだから大成功じゃないか。しかし問題なのは、彼女が書いた一文が“空代雲晴は消滅しました”だったことだ」


「大成功とか言うなって……それは、箕作綴が書いた小説のタイトルと同じだった」


「まあ短い文だからね。偶然の一致の可能性もある。けれども、繋がりを見出したくなるじゃないか。例えば…怪異は“空代雲晴は消滅しました”という文を書くよう彼女らを誘導した。怪異は記憶の刻みつけもできるようだからね。記憶の中にうっすらとその文を刻みつけて、無意識のうちにそれを書くように」


「…あのブログの人も箕作綴も怪異に操られていた?」


「彼女は言っていたな。“不思議と確信がある”。これは消すことができるものだと、彼女はなぜか確信できていた」


「なぜか…それが怪異による干渉だとしたら…」


「こうも言っていた。“言葉には力があるから、言葉にすることで本当になる”と。それは的を射ている。言霊の力とは馬鹿にならないものだ。言葉にすることで実現する。広めることで、大勢の人間がそれを信じる。そういうことも確かにある。“空代雲晴という人間は消滅した”と大勢が認識したことで、本当に存在が霧散してしまったとしたら?」


「現実味の無い話ではあるけど…つまり、怪異は目的を持って彼女らに干渉した…“空代雲晴は消えろ”と強く願わせるために。また、大勢の人に“空代雲晴という人間はこの世から消え去ったんだ”と認識させるために…それで箕作綴は怪異に誘導され、小説のタイトルを“空代雲晴は消滅しました”にした…?」


「もちろん推測でしかなく、他に可能性はいくらでもあるが。箕作綴が小説のタイトルに空代雲晴の名を使った理由としては、まずはそれが考えられるね。怪異に干渉を受けていた。面識の無い人間の、あまりポピュラーでない名前を偶然使ってしまった可能性よりは自然だ」


「実は二人は知り合いで、なんやかんやあって勝手に名前を使った可能性よりもマシだね姉さん」


 秀一は皮肉気味に事務所で守美が話した投げやりな推理を掘り起こしたが、守美は意に介さない様子でスマートフォンを操作していた。歩きスマホを咎める秀一に、守美は「秀一が目になってくれればいいだろう」と返した。


「しかしペンネームだろうから当然かもしれないが、箕作綴を描いた話はサクドクで検索する限りでは出てこないな」


 守美が開いていたのは『空代雲晴は消滅しました』が書かれた小説投稿サイトだった。守美はトップページの検索欄に“箕作綴”と打ち込んだが、検索結果にはその名前が使われた小説はヒットしなかった。他の小説投稿サイトでも同様だった。


「それって…箕作綴が失踪してしまったっていう内容の話か?」


「空代雲晴は、自分が消えたという話を広められただろう。箕作綴にね。だが、箕作綴という人間が消えた話は見つからない。もっともこういう場合に効果を発揮するのは本名だから、どこかで本名を掴まれたのかもしれないが」


「作家の本名なんて…それこそ家族や友人、あとは出版社側の人間くらいしか知らないんじゃないか」


「それとも怪異にはお見通しなのかもしれないね。なにせ本人の記憶に干渉すればいいのだから。ただ、もし近しい人間が関わっていたとしたら動機はシンプルになる。人を存在ごと消してやりたいと願う理由なんて、そりゃあ怨恨だろうさ」


「雲晴さんも怨まれていた…?誰に…?」


「さあね。まずは、空代雲晴にとても近い人間から話を聞いてみようじゃないか」


「空代家の娘。空代希実の中学校はこの先だ」

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