プラセボ
北沢龍二
草案
プロローグ
私石原は
その日の早朝、銭谷慎太郎警部補から目黒区の医院医師死亡について調べるように指示があった。いわゆる「銭谷指示」と言うことで無闇に捜査一課の同僚に話すことが難しいのもあり、私は誰に相談もなく一人で目黒署方面に向かいつつ、銭谷警部補から共有された携帯電話番号へ連絡をした。
事件ではない、無名の医師の死亡について調べると言うのは違和感がある。何故捜査一課の人間が所轄の事件にもなってない案件に首を突っ込むのか。午後から別件の打合せもある。私は首を傾げながら霞ヶ関を出て、地下鉄の乗る手前で電話をした。
「本庁の石原と申します。」
「ああ、銭谷警部補からお聞きしています。今どこですか」
「いま、地下鉄で目黒署に向かうところです。」
「ああ、そうですか。では、私も目黒駅に向かいますんで。」
「え、目黒署まで行きますよ」
「いや、駅ビルに喫茶店が入っていますので」
「目黒署でなくてよいのですか?」
「はい、そうなんです。すいませんな。」
電話先の刑事は厚みのある太い声でそう言った。
目黒駅駅ビルの二階で待ち合わせた秋吉刑事は、電話の声で想像した通りのベテランだった。
「亡くなった方は、目黒区柿の木坂の病院の医師でしたね。」
「はい。ガイシャの名前は、新城満。病院ではなく医院、内科専門の医院ですね。医師は彼一人でやっている比較的小さなクリニックです。」
私は秋吉刑事が最初から被害者という前提で話すことが気になった。死亡事件とは聞いていないのである。
「死亡時刻、死因は」
「昨日の午後二時頃です。死因は青酸カリですね」
青酸カリ、内科医と聞いて、私は自殺もなくはないだろう、という気がした。自殺であれば事件とはならない。あくまで、医師の死亡、である。
「普通は、事故と事件との両面から丹念に調べていくものだと思いませんか?」
秋吉刑事はタバコを欲しそうにする指の動きをさせながら、唐突にそう言った。駅ビルは全館禁煙だった。
「殺人の可能性も目黒署は模索されているのでしたっけ。
「それなんです。」
秋吉刑事は少し小さく吐息を詰まらせながら、
「現在のところ、まあ自殺だろう、との空気なんですよ。つまり事件性はない、と。」
その言葉遣いに違和感があった。
「空気、ですか。」
「自殺なのか?事件性があるのか?そう言う大きなところを先に目黒署は結論する予定なんです。そういう空気があるんですわ。」
「空気?所轄にですか?」
「言葉を変えれば漠然とした決めつける空気ですかね。」
「……。」
私は銭谷警部補が首を突っ込んで私だけに指示した理由を巡らす。朧気に何かが見える気がする。
「まあね。なんというか。忖度とも言うし、無言の同調感とも言いますかね。小生は最近の目黒署を信用していないとも言えます。まあそう言ったら詮無いか。」
「……。」
「まあ最近はどこも、似たようなことだったりするようですが。」
秋吉刑事はやはりそこでも曖昧な、表情をした。
「何故捜査一課に?」
私は単刀直入にした。他の案件もあり午後には霞ヶ関に戻りたい。話が回りくどいのは、ベテラン刑事の特徴でもある。少なくとも秋吉刑事はゆっくりと喋る。
なぜ
私の直感ですかね。まあ、捜査一課にと言うより、銭谷警部補に話を入れたと言うことですがね。
「……。」
「青酸カリで自殺する場合、検索するんです。青酸カリとはどう言うもので、どう言う死に方をするのかなどをね。」
「でも、彼は医者ですよね。」
「それでも、調べます。医者が青酸カリを常に持っていたりするのは幻想ですし、そもそも、彼のような内科の医院が青酸カリを持っていることは法的に本来相当難しいんですよ。古典的な探偵小説の世界ではもうないのでね。普通、申請も通りませんから。大学病院なら大抵、保管されていますから医師が盗む可能性はなきにしもあらずということですが、彼は大学病院との接点も全くない種類の医者でして。天下のK大学を出て、そのまま町の医院で働いて独立して今日に至るのです。
大学に勤務でもすればエリート大学病院の教授にもなれたかも知れないのに、目指してもいないですね。そういう性格だったのだと思いますよ。無駄な競争社会には興味がないっていうような様子というか。この点も自殺する理由に欠けるんですよ。階段ばかり登っていく人は、不倫だ失墜だとかで、簡単に死のうとしがちなんですが、彼のような自営業者はこの点は逞しいものですから。」
「青酸カリを何らかの方法で手に入れた場合、突発的に自殺や事故を起こす事はないのですかね。彼の家族環境はどんな感じですか?」
「彼は独身です。自由気ままな独身生活ですかね。」
「家族の理由で悩んだということではないのですかね。親族は。ご両親など。」
「二人共他界しています。兄弟もないようですね。」
「突発的な自殺や、事故はないと。つまり事件の可能性が高いと。」
「いや、どうでしょう。そのあたり思うことがあり、銭谷警部補に連絡を取ったのです。まあ予想通りお忙しいということでした。」
秋吉刑事のその言葉に、私は自分が役不足と言われたような気がして少し不快になった。いくつか質問をする私に対し、銭谷慎太郎なら話が早いのだ、という言外を匂わせている。でも私は午後には霞が関に戻らなければならないのだ。遠慮をしている暇はない。
「なぜ銭谷警部補に?これだけの理由では、ないですよね?」
「さすが捜査一課で銭谷慎太郎の薫陶をお受けなだけある。」
その時初めて、秋吉刑事は笑った。シワがまなじりに深いが、好感ある笑顔で少しはっとなった。秋吉刑事はあたりを見回した。
「私が、銭谷さんに連絡を入れたのは、彼とも旧知の間柄というのもあるのですが、ね。これ、言いにくいのですな、霞ヶ関の案件の香りがしたからです。」
「霞ヶ関?の香り?」
「まあ、永田町とも言いますかね。これ、署には内緒で持ち出してきたんですが、彼の通話履歴なんです。」
そう言って、秋吉刑事はノートを出した。そこには細かく携帯電話を調べてメモをした内容がねずみ文字で並んでいる。太い指でそのページを指すのが印象的だった。見た目と違い爪をきれいにしている。
「どういう履歴ですか?」
「まあ、ご覧ください。通話履歴「やま」というのがずいぶん多いですね。他の人は大抵フルネームなんですよ。あとは丁寧に秘書官とか厚労省の誰だとか書いてある。でも、このやま、だけ肩書きがないですよね。
「そうですね。身内の人間ですかね?」
「いえ違います。申し上げました通り、内科医は独身です。家族のようなものではないのです。」
「はい。この「やま」というのが、亡くなる三週間前に日に十回もあるのです。」
「十回。
「その他は目立った通話履歴はないです。違和感はこちらだけになるのです。
「その、独身なら女性関係とかはない?
「はい。あります。そちらは既に調べは入れてます。六本木や渋谷のバーに通っていた様子ですが、さほど充実したものではなかったようです。彼が恋心で熱心に追いかけているなどの、深い関係が出てきません。今時はほら、たいていLINEでそのあたりはわかるんですから。」
「そういう情報をある程度精査した上で、秋吉さんが気になったのは、この「やま」と言う人物だったということですね。」
「はい。そうです。」
「やま、とは?どういう人物なのですか?」
「はい。彼の発信履歴を番号で調べて、ようやく分かったのですが、持ち主は山岡泰造事務所だったんです。」
「事務所?
「衆議院議員の山岡泰造ですよ。」
「衆議院議員ですか。いや、この間の組閣で厚生労働大臣になった、山岡議員ですか?」
私は、その時、少し間合いで、秋吉刑事を見つめし直した
「はい。今度の、厚生労働大臣ですね。某内閣でも今重要な人物として台頭されてきた人物です。」
「……。」
「まあ、巷間では色々言われることですが、今の政権が長く続きすぎたせいで、いろいろな忖度が、増えていると思うんです。殺人の捜査一課は聖域かもしれませんが、昨今の捜査では、政権に対する配慮、忖度が多くなっていますよね。特に二課周辺ではそういう話が多いと聞く。癒着だとか、贈収賄に関するものは、どうしても権力側と対峙する作業になりがちですから。」
言うまでもなく、捜査一課の担当は殺人である。殺人事件を政治の力でもみ消すなどは相当なことだし、もみ消す側にもリスクが有る。ここは忖度は働きにくいはずなのだが、果たしてそんな事があるのだろうか。
「目黒署はそういうことを?」
「そういうとは?」
「つまり、これは政治案件だから自殺で処理するのだという、極秘の示達があったということでしょうか?」
「そんなわけはないです。」
「そうですよね。」
「いや、石原さん、誰もそんな話、言語化はされないんですよ。」
「「言語化はされない?」
「幹部の出世争いは熾烈なものです。上司の無言の願いも、聞き漏らしません。なので指示もないところでも、これは政治案件だという臭いがすれば、誰しもが自然と、いつの間にか触れないのです。強引な捜査をしないということです。」
「強引というか、普通のことかと思うのですが。」
「普通が静かに変化するのです。」
「そういうものですかね。」
「ええ。重心が少しずれるだけです。忖度なんて言葉も出ないです。」
「……。」
「ただ静かに自然に、これは事件とするのは辞めておく処理がされていく様子なのです。それが小生にはどうしても気になったのです。」
「処理が?」
「はい。ここで、強い反論をするのは得策ではない。そういう人事に影響のある空気がいまは、所轄に見えない形で存在しているんです。」
「山岡議員とつまり、この死亡事件、いや、事故を関係づけたくない、力が働いている?」
「そこまで明確には言いません。だれが、ここについて、調べたのかもわかっていません。ただ、今時名刺に携帯の番号は載っていますからね。通信会社まで政治で捜査させなくとも刑事が普通に対処していればすぐに分かることです。死んだ町医者の交友関係を殺人として調べるのがそれ程無理な捜査だとは思いません。ただ、そう言う方針を立てるより、今はややこしくなる捜査にはしない、自殺という方向の方がこの町医者の死については良さげだとなっているように思えてならないわけです。
お察しの通り小生はこの捜査の中心人物ではありません。あくまでサポート人員です。その小生でさえ初動でわかることが議題に上がらないので、あれと思ったのです。そういう空気がある気がする、というのが刑事生活四十年の小生の直感でして。まあこういう時に、わたしが目黒署に頼れる人がもういなくなった、と言うのが正しい言葉かもしれないのですがね。多くの先輩は定年退職して行きましたから。
しかし山岡衆議院議員が、殺人に絡む理由があるのですかね。飛ぶ鳥を落とす勢いで政界でも出世し何か悪い話に似合わないようにも思うのですが。そもそも彼を殺して何カ得るものがあるのか。
山岡議員、ですか。
はい。山岡新大臣と言った方が良いかもしれない。何かとメディアに人気の御仁です。今回のウィルス騒ぎで、前面に出られて対応していましたからね。
与党長期政権の中核を担う人物でもあります。
普通に殺人の可能性について話したらどうなのですか。これは何か調べても良いのではないかと。
はは。それで進むようならお忙しい銭谷警部補に連絡など致しません。
所轄内で真っ向から否定されたと言うことですか。もしくは潰されたと。
いえいえ。もちろん誰もが、表向きはとても真摯に意見は聞いてくれます。殺人の可能性もあるかもしれませんね、と。しかし、そこまでなんです。どこかで瞳の奥に私の気持ちとはすれ違いがあるんですよ。なので、殺人の可能性を前提とした捜査は進まないはずです。
そんなこと、ありますかね。客観的に見て、事件の可能性があるなら掘り下げていくのが刑事の普通です。
おや、そういう話は銭谷警部補の周辺ではないということですか。
「……。」
小生なりに、彼とは昔仕事でわかり合った気持ちがあります。それゆえに、今回連絡したのです。忙しいからといって彼は、仕事を雑にはしない。ましてや忖度をして自分の直感を取り下げたりは絶対にない。
彼があなたを指名したということは、貴方はおそらく彼の意向は十二分に理解している、もしくは言わずとも以心伝心されている刑事だということだと思っています。
松子の独白
思い返すーー。
それは、いつもと変わらない普通の朝だった。
季節は初夏に差し掛かり、涼しさが肌に心地よく、窓を開ければ並木通りを風が揺らしている。朝の静けさ。野菜を炊く香りが漂う。キッチンで何気なく準備を進める私をいつもと変わらない朝が包んでいた。
娘は、いつものように少し寝ぼけながらテーブルについた。目元をこすり、ぼんやりと私を見て、微笑む。その笑顔がはいつも通り。私もつられて微笑んだ。
ご飯とお味噌汁に、魚と惣菜を並べた食卓に手を合わせる。 私も席について「いただきます。」を一緒に言う。
その言葉の響き。生活する二人の人間の声が重なるということ。そんな奇跡を幾度繰り返しただろう。今となっては、それが奇跡だったのだと思う。
「味、大丈夫かしら。」
そう言うのが私の癖だった。朝はせわしない。その癖を実感することもなく、しかし言葉は毎日重ねていくうちに身体と部屋に染み込んでいく。
日々の銀座勤めの忙しさに追われながらも、朝の娘との時間が私の一番の楽しみだった。それは私の一人娘の@@@も同じだったのかもしれない。娘はいつも元気よく、夜遅く働く母を労いながらも、朝の食卓を明るく元気の良い言葉で彩ろうとしていた。どこか不思議とそういう配慮のある娘だった。銀座でホステスとして働きながら育ててきた苦労は語らずともどこかで伝わっていたのかもしれない。何かを知りながら笑顔で朝を楽しくする、そういう性格だった。娘と私は音階を合わせるかのような会話で、朝食を過ごし、娘は学校へ、私は家のことへと向かっていく。我が家の朝は毎日そうやって始まった。
仕事に追われる毎日を送っていたが、この時間だけは特別だった。娘と過ごす朝のひとときが、私にとって何よりの心の安らぎだった。そのためにどんなに仕事が深夜遅くなっても、必ず朝の五時半に起き、ご飯の支度をする。
「昨日は学校どうだった?」
「いつもと変わらない。体育祭の準備があるんだ。」
「体育祭は、こんな季節だったっけ」
「うん。三年生は受験だから、秋よりいいんだって。」
娘が朝食を食べる。私はその様子を見守りながら、少しだけ彼女の未来のことを考えたり、自分のその日のことを考えたりする。私は娘の、将来のため、立派に育てるために生きてきたのだとも言える。逆にむしろ娘のお陰でなんとか今日まで生き伸びて来れたのかもしれなかった。大袈裟ではなくそう思うことは幾度とあった。そう。逆に言えば今の私には、生き延びる理由がないのかもしれない。
その朝も
「行ってきます」
と、いつもと変わらない軽やかな声が響いた。何故かその瞬間、何かが胸を掴むように締め付けられた違和感があった。でも私は笑顔で手を振った。見送る背中が、それで最後だとは思いもしなかった。
娘はその日の学校の授業中に心臓発作で息を引き取った。体育祭の準備の時間でトラックを走りながら急に胸の痛みを訴えたのだという。高校二年生。十六歳と六ヶ月の短すぎる人生だった。
②娘を亡くして
その後の二ヶ月、何があったかは覚えていない。いやもっと言えば、その後も私には目の前の現実はどうでもよくなってしまっていた。そこには何も存在していない。現実として、自分が存在するかもおぼつかがない。
携帯電話の電源さえいれることがなかった。
今日が何月の何日かも、今の時間が朝か夜かも、確かめずに無意識に息だけをしていたかもしれない。覚えていないのである。いや、覚えているのかもしれないが、もう自分の自意識自体が泥濘の石粒のように暗く冷たく、人間の香りがしなかった。娘を失った現実の場所に自分を置きたくなく、目の前にあるものを、全て泥川の暗渠のように、ただ地底へと進む黒い冷たい澱みとして、
事実として私は捉えなかったのかもしれ得ない。
銀座に戻った時の理由も覚えてはいない。ある日、気がつくと娘が生きていた前日まで通った店に私はいた。
ママは変わらずに、元気にしてたの?というくらいに声をかけて、私の不在については何も聞かなかった。私は銀座の誰にも、このママにさえ自分に娘が言う事は伝えていなかった。ママは不在の理由を聞かず、想像もしなかったのかもしれない。ただ、戻ってきたことだけを現実にしようとしていた。
季節は夏が終わろうとしていた。夕方でも汗ばむ猛暑が夜の銀座でもまだ@@@れない頃だった。
家にいても、ただ娘のことばかり考えてしまう。あの子の笑顔、声、仕草——すべてが、頭の中に押し寄せてきて、息ができなくなる。心はただ苦しくなり取り返しのつかない時間を並べ、それを後悔する自分ばかりになる。あの朝、私はなにかしてやれることがなかったのか。その前に何か出来なかったのか?運動などさせるべきではなかったのか。体育祭の準備というけど、無責任に生きていればストレスも無かったのではないか。後悔の津波が自分を毎晩押しつぶしそうになる。やがて決まってきつい酒を煽って意識を不明にしていく。項垂れて眠ることしかできない。眠っているのかもわからない。朝はせいぜい脱水症状で目が覚めるだけ。朝食の支度もなければ、食卓につくこともない。食卓に付けばただ、涙が止まらずになることがわかっていた。
私が銀座に戻ったのは、ただ死にかけた動物が、神経針に刺されて無意識の生存本能で痙攣するような、何かの反作用程度の理由だろう。十五年以上の時間を仕事として過ごしてきた場所が、反作用をする形と似通ったに過ぎない。
銀座。
ここでは全く私とは関係しない無量の別事情が毎晩、猛然と混乱したまま過ぎていく。人間関係、お金、金、嘘、酒、失意、歓喜、人、嘘笑い、嫉妬、見栄、肩書き、言葉と声とが酒に飲まれ金で覆い被され、時間と一緒に包みとられていく。絶え間なく続く波濤のような時間は、一点だけ、本能が求めた理由を持っていた。、、、私に娘のことばかり考えることを止めさせる。脳に針と電気を刺され続けるせいで娘の死の現実を私が思い出さないようにするのだ。
そもそも誰一人として私のプライベートのことを話したことはない。ママも含め誰一人にも、私は自分に娘がいることさえ話をしたことがないのだ。銀座には私の娘はどこにも<存在>しなかった。私はなぜ(後でわかったが休んだのは二ヶ月も)休んだのかさえ言い出さなかった。
もとより、娘の人生を銀座のような夜の虚飾のなかで話題にはしたくなかったのだ。
ただ、これは、私だけのことではないのだと思う。
この街の人間は、周りの人間たちと絶妙な間合いや距離と壁を設計していて、店での接点以外を細かく調整をしている。多くの人間が関わり合いながら、素性はまるで知らない。昭和の時代の銀座ではなく令和の今、その傾向は加速している。言葉を置き換えれば、昔の言い方でいえば寂しい人生、単なる孤独だという人もいたが、そんな事はない。私も周りの皆誰もその反対にある自由を得ているのだ。目の前の客を見ていればわかる。朝から深夜まで仕事関係者、週末もゴルフだ、平日は朝の六時の通勤から日中は社内で雁字搦め、その上夜もこうやって寸分の隙もなく会社に尽くして酒さえ自由に飲めもしない。人生のほとんどの時間が仕事で埋まっている人間たちを日々目の前にしている。彼らはどこか社畜という言葉が似合う。いや殆ど家畜に喩えても無理がない。彼らはどんなに出世しても自分が自由にできる場所などほとんど人生に存在していないのだ。世間に照らせばご立派で気分のいい肩書きを満喫しているように見えるが、人生は不自由そのものでもある。
(マツコには山岡でさえそういう不自由な人間の一つに見える。)
逆に銀座の側の人間は、そうでもない。松子は同僚のホステスの誰がどこに住んでるのかもさほど知らないし、経歴も話半分でしか聞いていない。客の前で嘘の自己紹介をしてる人間もいるし、その嘘を突き詰めて嘘だとなっても、特に商売柄意味がない。もっと言えば明日やめ、また別の知らない街で水商売をするような後腐れのない人生なのだ。自分の肩書きを守る必要もないわけだから、自由そのもの。都会暮らしで隣の挨拶さえない今時には、肩書きなどなくても何も不自由はしない。(長い)私は娘のことを一切知らないという、自由さを得ていたのだ。これが会社なら毎晩、彼らのようにお悔やみの繰り返しだろう。一人になる暇もなく、悲しみを何度も蒸し返される。そういう地獄は私にはなかった
私はこういう銀座の自由さが肌に合っているのだとも思う。
娘を亡くした私にはつまらない労いを言われるより余程、知らないでいてくれている方がいいのだ。酒の席での話題にでもなれば、心の奥で何かが軋む。話題が出て仕舞えば、私は態度を表さねばならない。回想して悔やみに礼を言うだけとしても、家で毎晩、気が狂うくらいに悩んできた本性が、眼の前に出てしまうだろう。崩折れて泣き出すかもしれない。
そうならずに、話題にさえならない自由が私にはあるのだ。たとえ泣いても娘の理由とは誰も思わない。いいや、実際にはただ笑っているのだ。笑って、酒を注ぎ、客の話を聞いているのだ。そうやってただただ時間を過ごす。ただ意識を喪失したように繰り返していく。そのうちに少しずつ、何も解決はしないし、永遠に取り戻せないのはわかっているのだけども、針を神経に刺されても生体反応さえないような時間は過ぎてくれるのではないか、と思うのである。
③ある雨の夜
私には銀座の客の中でひとりだけ、体の関係がある人間がいた。
衆議院議員山岡泰造である。
もちろん、(二ヶ月の間は)彼とも一切連絡を途絶えさせていた。携帯電話の電源も入れなかったし、私と娘の暮らす自宅も彼は知らないのである。私が銀座の店に戻って1週間ほどして、会った。おそらくママが私が店に復活し、落ち着いている様子を見て伝えたのだと思う。山岡は早速店に来た。最初は彼のタニマチである医療関係の人間とテーブルについていたが、しばらくして席に呼ばれた。これもママの配慮であろう。山岡はこの店では重要な顧客である。
「ほう。変わらずよかった。どうしたのか心配したんだ。」
「ありがとうございます。」
「どうしたっていうのだ。」
「少しその、年齢的な気の迷いですわ。」
「気の迷い?らしくもない。」
「ええ。らしくもない、ことが多いそうですわ。この年齢の鬱は。」
「@@@@@」
ざっくばらんに話すと、山岡は艶のある瞳で私を舐めた。男と女の合図を周囲がわからない形で送るのがわかる。山岡は取り巻きのいるテーブルに戻っていった。無論、一緒にこの後どこかに消えようなどと言うことはしない。衆議院議員山岡泰造は、この辺りは周囲の目を非常に気にしている。彼は周りの取り巻きの一人たりとも私との関係を漏らしていないのだ。彼には大切な家庭があるのだ。
山岡はスマホを取ると、
「今日はこの後雨かな。」
と突然つぶやいた。
私はそうだった、と思い出したように、スマホを開き、天気予報を見る。
「いえ、晴れですわ。」
「そうか。週末が雨のようだな。」
「そうですか?最近は天気も見ていませんでしたから。」
私はそう小さく答えると、山岡の連れの客のために、水割りを作った。手を動かすときは会話に少しだけ困ったときの間合いが多い。
山岡は小さな声で、
「ひどいな。雨の度に例の場所に、向かっていたのだ。」
とだけ言った。連れの客は医師会の関係者で別のホステスと必死に会話をしている。こうなると衆議院議員だろうが関係はない。山岡は銀座の客で普通のしかたでマツコの手を取った。愛人だからという空気を出したりはしない。政治話でもするように
「まあよかった。」
「失礼しました。」
「まあいいさ。もう体調はよいのだな?」
「ええ。おかげさまで。」
「では、天気を楽しみにして待つよ。」
山岡とは、関係がはじまった時から、雨の日に落ち合うのが約束だった。雨の日、天気の降水確率が夜の八時から深夜ゼロ時まで80%を越えているときに、都内のとある元赤坂のマンションに落ち合うのである。いわばそこは山岡と松子のための一室だった。
詳しくは理由を話さなかった。が、おそらく体の臭いが雨に消されるのが、一番の理由だろう。山岡は雨の日には傘もささないで、よく濡れて帰ることが多かった。車を呼ばずに、流しのタクシーを拾うのだが、それも彼なりの理屈の中にあるのだろう。入念にシャワーを浴びた後に、わざわざそうするのだ。
私には山中は家庭をかなり大事にしているのが、よくわかった。とくに娘を溺愛する山中は、念には念を押して家族に女性の関係がバレないようにしているのだが、私にはそれはどうでも良い事だった。
山岡には私の銀座の生活に少なからず影響があった別の理由があった。
④銀座のお店
山岡の関係する客には、医師会や厚労省の役人が多い。折からの新型コロナウィルス騒動も落ち着きを見せたのもあああああ、あり、既に彼らは堂々と銀座での夜、楽しげに飲んでいる。
銀座は景気のいい業界が入れ替わり立ち替わりとする。銀座に夜を重ねると自ずと、今、どの業界の景気が良いのかがわかるものである。国全体が出口のない鬱そうとした不景気の中だが、この界隈は例外的に景気がいい。いや、言葉を変えれば税金を受注するのだから不景気など無いのだ。
(ワクチンでかなりの税金が投入されたのもあり、この界隈の人間はかなり金が儲かったとも言われる。)→→→後まとめ↓
衆議院議員の紹介で銀座で飲むという地位も気分がいいのかもしれない。公務で忙しい山岡がくるのは週に一度くらい、だったが、医師会やら医者だ役人だの人たちは毎晩だった。松子が二ヶ月の間どん底にいたのを、知りも@@@ように、あいも変わらず毎晩休むことなく、医療関係者は席を埋めていた。そして誰もが金遣いが荒かった。
「九品仏さまは、医師会の幹部の方々です。」
ママが説明するまでもなく、松子にもそういう人なのだろうとわかる。銀座では、肩書きと勢いある人間が、席順を奥から座り、態度も会話も全て序列する。 序列以外にも村が個別にある。実は医師会は医師会、大学病院関係は大学病院、官僚は官僚で村を作って酒を酌み交わし続ける。一口に医療関係といっても、医師会と医者も村は違う。大学病院関係者もまた違うし、厚労省の役人にも部局ごとに色々ある。それぞれの村で、似たように序列を決めて威張る人間と、頭を下げるものとが似たように混ざっている。村ごとにうんぬん
そうやって千差万別のようで、共通することも、多い。例えば誰もが自分の財布で飲まないことは似ている。
「松子さん、今日はあちらの厚労省さんのお席もあるから頼みますね。最初は医師会さんのほうで。」
厨房を歩く時に、小さくママが声でいう。ママは常々どのテーブルを盛り上げるかに最新の注意を図っている。様々な客がいて、それぞれ会話には相性がある。若いものばかりで古株の松子がいないと、卓の会話が成立しないことがありそれを最も恐れている。銀座の客は大抵が高学歴で、知識の披瀝が多いので、聴く側もある程度はその知識を理解して聞かないとならない。こ高学歴な官僚や医者は自分の言葉が理解されていないのに、うわべで、相手をされるのが嫌なのだ。
追加(医者関係)荒木(町医者)と山中関係の医師会関係者
この世の春となっている
山岡大臣の周辺として
製薬会社からの飲み放題の場所
こちらは「いろいろな」人間がいるといえる
大病院の経営者
町医者
彼らは全く違う。大病院はワクチンでずいぶん儲かっている。
★この辺りの人物のリアルさで、テーブルのリアルで、会話を設計する
「mRNAっていうのは、革命的な技術でね」
大学病院の関係者のテーブルでは最先端の医療技術や、論文についての自慢話が多い。松子は最初から興味のない内容だから、精一杯の笑顔で冗談の相槌をどこで入れるかということと、その話を、周りの客がどういう気分で聞いているかばかりをみているが、もちろん遺伝子だとか、元素記号だとかの、大学受験で出たような言葉はわかるのだ。これを全く知らずに話すと嫌がる客は多い。
若い頃にはしなかったが、自然と年齢とともに空気というものが見えてくる。
その夜、X大学の准教授である@@@は饒舌だった、今日は忙しい教授もまだ来ていない。次の教授戦に向けて毎週のように学会に顔を出しているためか、情報が多い。ただその情報を聞いている側の、病院職員は懸命に相槌をするものの、心の底ではさほどは興味がなさそうである。彼らには教授戦はないのだろう。職員は医者ではないのかもしれない。
話題は難しい。四人で飲みに来ているが、一人だけが自慢をしすぎても、テーブルは盛り上がらない。ある程度全員が楽しめる内容も必要になる。
「ワクチンの技術ですよね。」
「そうそう。mRNAは」
「ただ、まだまだ問題もあるみたいに、ネットでは書かれてましたが。タンパク質が関係してるんですか?」
「お、理科系ですか?
「いいえ、先生のような世界に比べたら末席です。有機物と無機物くらいがわかるくらいで」
うんなん
「」
「まあそうだろう。新しい技術にはそういうものだ。でも政府も応援しているし、官民一体となって進めているからね。」
「テレビのCMも見ました」
そういえばテレビでも、素晴らしい技術だというようなことをいっているのを松子は聞いたことがある。
准教授の電話がなった。明らかに序列の上、おそらくどこかの教授からの電話なのがわかった。それまでの鷹揚な態度を切断して、背筋を携帯電話相手に伸ばす。
「はい。」
「……。」
「了解致しました。明日朝すぐにでも伺います」
「……。」
「少しお待ちください。今電波が悪く…」
准教授は徐に立ち上がった。そうして店の扉を開けて、ビルのエレベーターホールの方へ出ていく。おそらく上司に銀座で飲んでいることを悟られたくなかったようである。
威張っていた准教授がいなくなると、テーブルは少し気が緩んだ感じになった。
松子はこういう瞬間に、いままで話しを聞く耳だけだった人間に言葉をかけ、話を聞こうとする。
「mRNAっておっしゃいましたか。すごい技術なのでしょうね」
明らかに先ほど、含みがあった横分けの病院職員の男に、そう話す。
「どうかなあ。」
「……。」
「ぼくは疑心暗鬼だけどね。」
「疑心暗鬼なのですか?」
思わせぶりな表情で話し始めた病院職員は、水割りをごくりと飲んだ。声を出すと酒は進むものだ。
「実はワクチンはどうなんだろうね?って思ってるんですよ。」
病院職員の横分けの男は残された三人の中で序列が上らしく、今度は、同じような猿山がはじまる。残る二人は、また大きく頷き直す。彼らは何が楽しいのだろうかと、思う反面彼らも楽しませねばと客商売の松子は奮闘する。
「どうって?」
「ほら、色々言われているというか。」
「そんなもの、神のみぞ、知るというか」
というような、冗談が出た。
「なんで、冗談ですけどね。」
准教授が戻った。
おっと、言っちゃいけねえ。」
オフレコの会話である。
テーブルを移動する。
松子は店全体を盛り上げていかなければならない。少しでも楽しかった、という思い出がなければ、また来ようとはなりづらいものだ。そういう心構えが十年以上の銀座の生活で身体に染み付いている。ただそれを頑張ってきた理由である一人娘の花はもうこの世にはいない。
もう一つのテーブルも医療関係者、と言ってもこちらは官僚、厚生労働省の役人グループだった。
厚労省の役人にも、表裏があるように感じる。そういう会話は公然とはされない。
誰かがトイレに行ったとか、席に人がまばらとなって男女二人のつがいになるような時に
「実はね、ここだけの話だけども。」
というような、秘密を語るかのような間合いでとなる。それでも、役人は相当な目配せをする。どうやら難しい問題がそこにあるらしい。
そういう少し、闇めいた会話の中で、松子は、プラセボという
耳慣れぬ言葉を知った。
世の中を騒がせたパンデミックが治まりつつある。
しかし、ワクチン接種は以前にも増して続いている。
政府もメディアもワクチンを推奨する。
テレビでは副作用などはないと喧伝している。
松子は思い出す。そういえば、娘は学校の集団接種の
三日後に亡くなった。体育祭のグラウンドで胸を抑えてうずくまった。
原因不明だという。突然だった。
もちろん、ワクチンとは関係はないと思うのだが。
店には山岡泰造も忙しい時間の合間に客で来る。(この厚労省の人たちは、山岡との飲みなのである)
松子はテレビで政治家として
山岡がワクチンを勧めていたのを思い出す
「全ての責任は私が取ります」
全ての責任は私が取ります。
その言葉が頭を掠める。
責任とは、何のことであろう。
松子は遠目に山岡とママが話しているのを見ている。
紙のようなものを見て、確認している
何かの内緒の話のようだ。
そう。
おそらく、この店の支払いの話だろう。
山岡の紹介の客には極秘の名簿があるのを松子は知っている。
紹介だといえば、売掛で飲めるようになっている。厚労省の役人などは注意深く、最低限のお茶代程度の金を支払わせる形をとっているが、公務員ではない人間はほとんど会員名簿にさえ乗れば「いつか支払う」という口約束の下、掛で飲めるようになっている。
その暗闇(藪の中)については、松子は知らないことになっている。(成約)店のお金のことはママが一括で行っていて、松子はあくまで山岡の担当でしかない。そして奇妙なことに山岡自身もこの店にお金を支払ったりはしないことも、松子は知っている。月末も近い、「そろそろ」例の人間が来るだろう。
山岡は総理大臣を目指しているとも言われ、役人、特に厚労省の人間や医師会の人間との
距離が近い。いや、彼らとさまざまな関係を持ちながら、権力を大きくしていくのだろう。政治の世界は松子はわからない。ただ山岡が今回のパンデミックで、政策推進能力、まさに、実力が試されたという話は、銀座にくる客たちが各所で話題にしていた。
◆日にちを変えて
銀座に戻って一週間がたった。
所管を述べる松子
毎日は過ぎていく。言葉の中に。
娘は帰らない。大切にしていた朝の食卓。などなど
ある日、店の客に先日も来ていた、仕事の愚痴を言う、厚労省の官僚がいた。
ノンキャリアらしい。酔って、愚痴っている。
今日はキャリア組が来ていないようだった。
「安く飲めるっていうのでね。憂さ晴らしですよ。」
ママがこちらに目配せを一瞬なげた。店としては、肩書は関係もなくただ酒を飲んでくれればそれでいいのである。ただ、安く飲めると言うのは周りのヒラの客には知られたくはない。
官僚の場合はたしかに、そういう仕組みになっている。松子は意図的に話題を変えた
「先日のお話、面白かったですわ」
「いやあ、世の中は本当に困ったもんだよ。」
「今日は、@@@さんはいらっしゃらないのですか?」
「ああ、あの人目当てですか?」
「いえ、そんなことはありませんけど。」
「まあ、キャリアのほうがいいでしょうけどね。」
「いえいえ。お客様はお酒を飲んでいただける方が一番のお客様です。」
彼は頼んでもいないのに、ワクチンに関する様々な疑惑を
松子に語るのである。
他の人に聞こえないように、
松子にだけ。
その言葉は少し愚痴っぽかった。
「ここだけの話ですよ。恐ろしい話、厚労省ではワクチンを打っていない人が多いのです。」
「そんな訳はないでしょう。天下のお役所様の、本丸の方々ではないですか。」
「ワクチンは嘘だから。」
「嘘なのですか?ご冗談を、また。」
「まあいいさ。信じるものはなんとかだ」
ノンキャリアは既に酔っていた。厚労省には序列もあり、末端で働く彼らには権限などはほとんどない。作業を細かく遂行するのが業務である。末端の役人の彼に、少なくともワクチンが嘘だなんて言う恐ろしい話は、仮にあってもそんな重要な情報は降りてこないだろう。実際に本丸を知らない人に、こういう陰謀論を言う人間は多い気がする。
かといって、そんな議論を店でおおっぴらにされるのも困るが、ノンキャリアは声は小さかった。小さな声で言ってくれるのは客商売の都合、助かった。
「じゃあ秘密を少し言いますよ。」
「秘密?」
「番号管理されてるんです。」
「番号って、どういうことですか。」
「ほら。僕がノンキャリアの作業現場なのはご存知でしょう。番号でワクチンは管理しているんです。つまり、ワクチンには当たり外れがあるんですよ。」
「当たりはずれ?宝くじじゃあ、あるまいし」
「ええ。」
「なんのために?」
「中には動物実験みたいな成分が入っているという噂です。」
「噂ですよね?」
「ええ。でもその番号を知らないと、大変でしょう。」
「……。」
「何も知らない、庶民が打つと実験だから、死ぬ時があるってことです。」
「でもどうやってそんなことを。」
「たとえば、VIPは番号が決まってるって言われていましてね。」
「VIP?」
「政治家のご子息はプラセボにしている。」
松子はプラセボという言葉をまた聞いた。その言葉は銀座では闇夜の人魂のように揺れては消える印象で見え隠れしていた、@@@@その言葉である。!!
「ご冗談でしょう。」
「はは。信じるかどうかはあなた次第だ。」
「……。」
「みんな、霞ヶ関も永田町もずるい人間ばかりなんだ。権力の周りではね、みんな自分の金と立場だけなんだよ。そこに製薬会社の大企業が太鼓持ちしている。」
同席しているキャリアの人たちはそんな話題はおくびにも出さないが、ノンキャリアの彼は、開き直りなのか、脇が甘いのか、思いつく限りの陰謀論を繰り返している。
松子は、話を聞きながら、陰謀論の内容より、銀座にある人間の階級差のことを思った。
ノンキャリアのような権力に遠い人間は、こう言う風になる。
権力に近い人間は、こんな愚痴や陰謀論など一切言うことはない。
むしろ、地位の低い賎民を扱うように、笑顔で一蹴する。
銀座は権力に近い人間こそが贅沢をする場所であるべきであるが、権力者は権力のない人間を集めなければ、気分が良くならないのである。
松子には陰謀の言葉たちは地位の低い人間の愚痴にばかり聞こえた。
「松子さん、今夜、犬澤さんいらっしゃるわ」
「そうなのですね。はい。」
「あちらのテーブルが良いかと」
ママは半個室になったVIP向けの
「いらっしゃったわ」
犬澤は、他の酔客と違いさも先ほどまでオフィスにいたような風情で過去を見せた。取り巻きもなく、一人である。
「あ、ビールを一杯お願いします。」
そん人物は、席に着くと、烏龍茶を一杯だけ頼んだ。
「今宵も盛り上がりましたかな。」
「ええ。おかげさまで…。」
ママと、松子で彼を挟んで対応をしている。
とくに酒を飲んで、盛り上がりたいと言うわけでもなく、女の子を隣に座らせろと言うことでもないのである。彼は明らかに、別の事情で月に一度だけ顔をだす、と決まっていた。
ママが渡した明細を見ると、
「しかし、皆さんようのまれましたな」
と小さく言った。
「まあ、これも商売ですから。」
「ええと」
犬澤は、アタッシュケースを取出し開けた。札束が並ぶ。
「全部で足りてる筈です。はい。」
「ありがとうございます」
「現金が良かったでしたよね。」
「はい。それが助かります」
「いやあ、しかし、ビール一杯でこれは高いね」
犬澤は突然、少し真顔になってそう言った
「また、ご冗談を」
「ああ、冗談ですよ。この店のボトルは半分近くは僕の裏書だからなあ。まあ、特別機密費でやってますから。大丈夫。」
そう言ってから犬澤は、ママの用意した日報を一枚ずつ捲り出した。捲り始めると、一行ごとに彼に強い集中があるのがわかった。
「ええと、この厚労省の樽岡さんは、キャリアの課長補佐でしたね。
「はい。名簿に記載のある、課長の佐々木様の部下の方ですわ。
そう言ってママは名刺を差し出した。犬澤はその名刺を穴が開く用に何度も確認して、自分の手帳に記載をしたり写真を撮ったりしている
「了解です
「あとは、病院関係ですかね
犬澤は、この日報に間違いがある場合一円も払いはしないという緊張感を全面に出している。おそらくこの迫力が、彼にとっては最大の見世物なのだろう。
名簿と日報とに、嘘があれば多大なツケの支払いを行う製薬会社の営業行為が意味をなさなくなる。山岡という政治家が確実に店に来ているのは調べて知っている様子だが、その周辺の関係者の全員までを確認はできない。月に一度のこの作業がおそらく社内でも重要な報告に関わるのだろう。そして、あえて言えばこの多額の支払いを越える利潤が製薬会社には入るからこそ、こういう作業が成立するのだろう。
このとおり、銀座の飲み代は、山岡の関係者や役人が払うのではない。
それは、この店の闇だった。
無論、接待などは公務員は禁止されている。
だから、製薬会社の人間は会合の場に参加さえしない。
ただこのように別途来店して、全員の飲食代を肩代わりする。
表向き、山岡や厚労省の関係者は「つけ」で飲んでいる。そのつけを、誰が払うかは、税務署でさえも把握しづらいのである。銀座の値段はあってないようなものだからだ。ママの裁量で、日時も細かく、さもこの製薬会社の人間が来店して飲食したように設計しているのを松子はある程度は認識している。
彼ら製薬会社の人間は山岡やその周辺の人間のことを、さほど知らないのである。
それでいて、この製薬会社が多額の接待を年間を通してこの店に支援している。彼らの目的が成功するならばそれで良いのだ。製薬会社だけではない。税金に関わる営業行為はすべてこの座組が役立つ。別の業界ではもっと慎重にして、大手の広告代理店を通して支払っているものもあるようだが、松子はその詳細までは知らない。
ママは古くから広告関係には強い人である。
店は極秘の名簿を用意し、名簿にある客が来た場合、つけ払いで飲ませることにしているのだ。
そしてそのつけの回収を、関係者ではない形でさまざまな形でママが執り行っている。
そのことは、このお店のスタッフ含めて誰も知らない。ママがほとんど、少しだけ店に長い松子が認識している程度である。店には山岡のような客が複数あった。不思議と政治家と官公庁の人間が多いのはそのせいである。
そもそも彼らに接点はなく、支払いが肩代わりされる証拠も残されないのである。店でもこの仕組みを知るのはママとマツコだけなのである。いや正確には松子も詳しくは知らない。
⑥大臣就任
ある夜。その日は晴れた夜だった。雨が降ると天気予報を見てしまう。松子は少し山岡に会うのが億劫になっていた。男としてどうとか言うことではない。自分でも山岡を嫌いではないし、彼の好意があるから店には様々な関係者が飲みにも来るのだ。そのことで松子は潤っているし、近年はある意味娘を育ててきたのでもある。山岡に感謝もしていたし、その延長としてのある種の愛情のようなものが多少はあり、娘以外に伴侶を持たない松子には悪くない逢瀬ではあった。
ただ、理由はわからないが、娘を亡くしてから銀座に復帰した後、山岡との雨の日の約束がさほど楽しみではなくなった。その証拠か、天気予報を見るときにぼんやりと憂鬱になるのだ。晴れている方がありがたい、とさえ思うようにもなった。
その夜は、心なしか、関係者が多かった。
「松子さん、少し忙しいと思うのでヘルプさん頼めるかしら」
ママからそんな言葉があった。店の女の子が足りない時は銀座の提携店舗からの援軍を頼んだりもする。今夜は確かに予約客の連絡も多く感じた。
その夜は晴れていた。山岡の日ではないと思いつつ、テーブルを見回すと山岡の関係する人間が多いようだった。晴れた日には山岡は殆ど店に顔を見せない。雨の日の店の退け際に来て、松子と逢瀬を試みるのが彼の常套だった。
しかし、雨が降ることもないまま、予想外にも衆議院議員山岡が店にきた。
山岡が顔を見せた途端、各テーブルから拍手が上がった。
いつも鷹揚に飲んでいる医師会や、厚労省幹部の人間が表情を変えたのが分かった。
明らかに表情に敬意や慮りが増えた。
誰もがわざわざ立ち上がって、山岡に礼をする。
「おめでとうございます。」
「この度は、、。。」
あれ、とマツコは思った。彼らは親しい業界とはいえ衆議院議員が来たからとかでは、日常ではここまでの態度を取ったりしない。
「何かあったんですか?」と聞く、松子
「え、知らないの?」
「知らない?はい。何も知りませんわ」
「そう言うところが松子さんの魅力なんだろね。」
「……。」
「大臣ですよ。大臣」
松子は政治に興味がない。だから知らなかったのだが、山岡衆議院議員は、厚生労働大臣に任命されていたのである。その日が、組閣の人事が報道され始めた日だった。第二次安倍内閣で。ご出世らしい。
「まあ、あれだけテレビで目立ってやってましたからね。今回のパンデミックの一番の功労者だと言うことになったんでしょうね。」
」功労者?」
」ええ。ワクチンの推進ですよ。今回のワクチンが、山岡議員を大臣にさせたと言ってもいい、とみんな思う。
それくらい山岡はテレビでワクチンを勧めていた。
店は、お祝い一色となった。
松子も拍手を重ねた。
しかしお祝いのその空気の中で、松子自身はぼんやりとするものがあった。
先日のノンキャリア官僚の愚痴を思い出していたのだ。
「ワクチンには当たり外れがある。庶民が打つと死ぬ時がある。。。」
「政治家のご子息はプラセボだ。」
と、繰り返していた。そう言う権力から程遠い場所にいる、厚労省の末端のノンキャリアと、
「全ての責任は私が取ります」
と繰り返し権力の頂点に上り詰めた山岡太郎衆議院議員、いや山岡太郎厚生労働大臣、との間にある、目に見えない峡谷が松子を寒々しさで@@@@していた。そうして、心の中で、何故か闇夜の人魂のように
」プラセボ
と言う耳慣れぬ言葉が揺れるのだ。
プラセボ。
なぜ、プラセボなどという注射を用意する必要があるのか。
いや、本当に用意があったかは知らない。でもなぜそんな言葉が出回るのか。火のないところに煙は立たない。
プラセボという言葉が語られたときを思い出す。それは、確かに、嫌な秘密の香りがするものだったと思う。マツコが気がつく以前に、これまでの夜の席の中でも幾度かは出ていたのだ。松子が気がつかなかった。山岡が大臣になることを知ったのも今であるように、松子は銀座にいながらどこかそう言う人の会話の背後までを見たくない性質があった。陰謀に興味がなく耳を塞いでいた、ともいえるのかもしれない。
プラセボ。
やはりその言葉が語られる度に、関係者は、腫物にでも触るような空気があった気がする。その腫れ物に触るような言葉には自然と耳を閉じる。松子にとってそれは処世術でもあったのかもしれない。世の中には対立しがちな様々な人の立場がある。そういうものに触れてしまうときにそれが真実であれどうあれ、利害が不一致する人が発生する。そうなると誰しもに公平に客商売などはできなくなる。
実際にはノンキャリアのあの男がしつこく言わなければ松子は聞く耳もなかった。
あの男は来ていなかった。
プラセボ、ワクチン。
そんな言葉を思うときに、松子はもう一つ、闇夜に幽霊が出るような恐怖を思うことがある。それは必死に目を閉じて何かを考えまいとする気持ちと重なる。
「ワクチンの集団接種なんだ」
「へえ。」
「大丈夫かな」
「大丈夫って?ワクチンに何か問題なんてないんでしょう。お医者さんがうつの?」
「うん。学校にお医者さんがくる」
「インフルエンザとかと同じ」
「そうだね」
「問題ないでしょう。そんなのが問題あったら大問題よ」
コロナワクチンの話は確かに、あった。娘が体育祭の練習でなくなる、1週間前である。ワクチンに何かの因果などないはずだが、そのときの娘の悩んだ表情が松子にはアルバムの最後のページのように残っている。
娘もワクチンを迷って打ったのだろうか。
そこに何かの陰謀があったりしたばらばーー。
松子は頭を振った。
そんなことを考えて銀座になどいられない。そもそも自分は山岡厚労大臣を取引筋にして、銀座で客を集めているのだ。その山岡こそが、パンデミックワクチンの旗振り役だったではないか。そうしていま、こうやって厚労大臣に就任しているのだ。世の中が彼の仕事の正しさを証明している。そうしてこの店に来ている医師会の人間も、厚労省の人間もそれを全国民に推進しているのだ。一部の出世のできなかった人間の反論があるに過ぎないーー。
そこには何も因果はないはずだ。
しかし。
「ふんプラセボ大臣だな」
突然、隣の町医者Xが言ったように聞こえた。
この町医者は、役人でも医師会の幹部でもないのに、この店の名簿に載っているせいで、一人でふらりと店に来ることが多い。
「水割り、おかわりもらえる?」
一息で飲み干したグラスを掲げながら町医者は真っ直ぐに松子を見た。心の奥まで覗くような澄んだ眼差しだった。銀座ではあまり見ることの少ない強い筋肉質な眼差しである。この医者は最近、銀座に一人で来客するようになった。一人か、たまに学生時代の友人を連れてくるくらいである。医師会も、厚労省も知り合いはいないようであった。
松子は、水割りグラスを受け取ると、氷を一つずつ掴んでだ。心なしか自分が落ち着かない気がした。指先の一部始終を町医者に見られている気がした。
「山岡のボトルだから、飲み干させてもらうよ」
やまおか、と呼び捨てにするのは珍しい。最近高値をするウィスキーのボトルである。ただ、ママがテーブルに置いているということはこの客に山岡のウィスキーを飲ませる許可はでているらしい。
「山岡議員、いや、大臣とは古いお友達ですか?」
「まあ、そんなところだな。知り合いに見えないか?」
「いえそんな。」
「関係ない人間が、こんな高いウィスキーを勝手に飲まれちゃ困るだろうな。」
「どうだか。」
「まあ、奴の財布が痛むわけでもないだろう。」
最後の言葉は少し小さく言ったのは、野暮なことには首を突っ込まないという風情にも見えた。その辺りの微妙なことには配慮ができるらしい。
「ソーダ割でね。」
やっと飲み物を作り終えたとき、松子は、見られていた指先が疲れたような気がした。他の客にない雰囲気を町医者は持っていた。
その間も、山岡のいるテーブルでは拍手だとか歓声が常に上がっていた。どの席もそれぞれ官僚だったり、医師会の関係者だったり、大学病院の関係だったりと、蛸壺ごとに拍手の質は違ったが@@@@だった。現役の大臣が就任のその夜に訪れる店は銀座に何軒もないだろう。
AAAAA
「いま、なんとおっしゃいましたか。」
眼差しは強いのだが、営業職で生きてきていない人間特有の声の小ささが町医者にはあった。もしくは、話す内容に大きな声だと拙い内容が含まれているのかもしれない。
「あ、気にしないでくれ。」
「はい。」
「プラセボ大臣って言ったまでだ。」
松子は改めて町医者を見た。
やはり何か素直な眼差しをした人だった。先日のノンキャリアの男とはまた違う。愚痴っぽさは少なかったが、ニヒルとも言うべき斜に構えた感じ。聴こえる人だけわ伝わればいいのだというような通さない小さな声。
山岡のような権力に蠢く人種とは違う。
なんだろうか。肩書を集めだして大人になっていく社会の人間どもと違う。そういう社会のしがらみに入る前の男性的な魅力なのだろうか。脳裏に魅力という言葉が出たせいで、松子は頬が火照る気がした。彼は名刺さえ出さなかった。
「プラセボ、ですか。」
「まあ、言っちゃいけないけどな。」
「言ってはいけない?」
「嘘つきはなんとかのはじまり」
「そんな。おめでたい席ですけど、なにかあったのですか?」
「どうだろうな。」
「でも、せっかくの二度とない夜ですわ。」
松子がそう言うと、男は元々が自分に自信があるのか、単純に素直なのか、
「そうか。まあ、お祝いだからな」
と言って、松子の作った炭酸割りをゆっくりと見つめながら飲んだ。酒を飲んだら静かになった。
→→→会話を追加。
山岡のテーブルへ移動
この夜は山岡もホステスのように各所に顔を出して乾杯をしていたがようやく落ち着いたところで松子を呼んだ
だいぶ酒も入っている
ただ、良い顔をしていた。権力に登り詰めた夜、男はこういう顔になるのだろう。艶があり何歳も若く見える。
ただ、町医者もそういう意味ではもともと若かった。権力闘争の中に入らずに
町医者のテーブルには、山岡は対応はしなかった。山岡にお祝いの言葉をかけることもなく、町医者は既に店をあとにしていたようだった。
名簿の経緯がわからない。厚労省の官僚か、医師会の幹部と決まっている。つまり大病院の経営者。あとは、それに紐つく大学病院の教授やその部下の人間である
座って何万円の店である。製薬会社もこの辺りは厳密で、一度の客は許しても幾度もとなるとママも名簿を確認する。
⑦家で一人(その夜。山岡はさすがに家に帰った。華やかな宴は終わり松子は一人になった。
松子は、娘を思い出すといつも、涙が止まらない。
そこで思わず、ネットを検索してみる。
普段したことがないのだが。
そこで!
陰謀の多いSNSを見て愕然とする、、、
ノンキャリアが言っていた通り。。
いや、町医者も言っていたとおりだ。
本当だろうか。。。
嘘だろう?
でもなぜテレビや新聞でこれを?やらないの?
万が一、こんなことがあるなど?
プラセボという言葉もそこにはいくつも語られていた。
⑧銀座の雨
「ここだけの話だよ。政治家や官僚はうまくやってる。」
そう言ってたノンキャリアは、あれから店にこない。
松子は、話す相手を悩む。
陰謀論を誰かと話したい。
大臣になった山岡には流石に話す気にならない。
おそらく、あの強い性格態度で一蹴されるのが見えている。
<これお店で>
山岡大臣は、突然娘を自慢し始めた。
今まではそんなことはなかったのだが。
厚労省のテーブルでは、キャリアの人間がいた。ノンキャリアはあれから店に来なくなった。結局、ああいう発言をする人間に、世の中は拒否感がある。店での接客も注意しなければならない。ここは山岡大臣の関係者の集う場所なのだ。
「さすが山岡さんだねえ」
今日もそんな話題かと、顔を上げると
「へえ、どこの局ですか」
「赤坂かな。」
「それはすごいですね。全国ネットか。」
「大臣の娘さんですからねえ」
キー局のアナウンサーに内定したのだという。
山岡も一人娘らしく、随分と誇らしげである。
松子の心は遠い場所にあった。
生きていれば松子の娘も、
そう言う時間を経験しただろう。
どの会社に就職できただろうか。
どんな恋をしただろうか。(メモ 娘の悲しみは叙情・叙述にいい)
ふと、町医者Xがまたいる。
彼には何かの権力があるとは思えない。
また、それほど稼いでいない。だのに、なぜか製薬会社の名簿に名前はある。
松子は町医者Xの席についた。
「先日はどうも」
「ああ」
「先生のおっしゃっていたご冗談、少し調べましたわ。」
「へえ。どういう風の吹き回しかな」
町医者Xはすこし含んだ表情で笑った。
その笑顔を松子は忘れ難い。
「だから言っただろう。プラセボ大臣さ」
「そういう人が世の中に多いみたいですね。」
「そうだよ。」
松子は少し、陰謀の話を町医者とすることになった。
もちろん、おかしな空気に店をしてもよろしくない。
最低限のところで話題を変えるなりしつつ、体裁を保ちながら。
町医者は、やはり、権力のない人間だった。
松子のテーブルにこう言う客が来ることは珍しい。いや、やはりそういう会話について松子はどこかでぼんやりとして興味を示さずに来たのだろう。話し手も聞く耳がないのなら、と、言葉を繋げなかったのかも知れない。
陰謀論会話へ
陰謀論に歯止めをかけると、町医者はたわいのない会話をした。
そのたわいのない会話は、なぜか松子には懐かしい田舎の、田園の風景のような長閑さがあった。
しばらくして、山岡が店に合流した。
大臣になってからはお抱えも増えた。大名行列とまでは行かないが
似た理屈であろう。
山岡は、町医者と談笑する松子をうばいとるように自分のテーブルによんだ。
鷹揚な山岡の態度に、町医者は少し嫌な顔をしていた。
この日は、強い雨が降っていた。
⑨雨の日である。
松子と大臣は、都内の高級ホテルにいた。
今日も、松子は体を撫でる。
大臣である。
彼の周りの客が店を賑わせる。
大臣になったあと、製薬会社の代理払いは毎月伸びている。
松子自身にも、愛人としての金は微々たるもの。
まあ、こちらの金額の方は最低限ともいえなくはない。
政治家は事業家ではない。彼自身の資産は高が知れている。
だから製薬会社にたかるのだ。変な構造だと松子は思う。
ママから託された名簿の確認に、封筒を取り出した
(その夜、情事の後の語らいで、)
「まあそんなものは、誰でも飲ませてくれりゃあいい
「でも、あちらさまもかなり厳密に調べてますから
「そうか
松子は一応、目を通させる。ただ大臣ともなれば関係する人間を全て思い出して記憶するなどきっと少なくとも山岡にはないのかもしれない。ふと松子は気になって
「このかたは、どういうご関係なのですか
と聞いた
山岡はたいてい、病院関係や、役人については人語りをする。どこどこの教授だとか、次官に将来なる男だとか。
「ああ、こいつはまあ、載せておいていい」
「珍しいですね」
「珍しいか?」
「ええ。大抵、官公庁や大病院、医師会の方が
「まあ、例外もある
意外だった。松子はてっきり大学の同級生ならば、利害関係のない人間なのだからもうすこいにこやかに語ると思っていた。そうでもないのだ。でもそもそも不快な人間なのなら名簿に載せなければ済むではないか。それをわざわざ載せるのもどうなのか。
町医者の顔を思い出す。
若い、まっすぐな表情だった。
<夜で>
松子は、思わず、その時、町医者やノンキャリアの人間らの言葉を思い出した。
自分の娘は、もしかするとワクチンで死んだのかもしれない。
思い切って、店では聞けなかったことを、聞いてみる
「ワクチンって、どうなの?」
「どうした、突然。」
「いいえ。みなさん、お店でもいろんな思惑がある様子ですから。」
「何?変なことを言ってる奴がいるのか?」
「いいえ、あなたのお客さまに限っては」
「そうだな。そんな奴は名簿から即削除だ。厚労省か?どこの部署だ。あいつらは常に表裏があるからな。」
「でも何度も何度も税金を使ってまで打つ必要がございますか?若い人とかまで」
松子が珍しくころばを返したので、山岡は電子タバコを手に取った。
「そりゃ、必要さ」
「事故があると。SNSで」
「きみがあんな陰謀論みたいなのは、信じちゃダメだ」
思い切って聞く。
「ではあなたは娘さんにも?」
電子タバコの匂いが漂う。
「もちろんだ。娘も当然うってる。もう5回目だろうかな。」
山岡はほとんど表情を変えることなく、そういった。テレビで見る時と同じような堂々とした大臣の顔面になった。しかしふと、山岡と触れている布団の下の手足が固くなった気がした。その痺れが松子の柔らかな四肢に吸い込まれてほとんど何もなかったかのようではあったのだが、微妙な違いを松子は感じた。
「今時の高校は、ワクチンを打たない奴は修学旅行にもいけない。大臣の私が言ってるのに、娘が打たないわけがないだろう?」
やはり、どこかで皮膚に少し硬い電気が流れたような、不思議な感覚だった。
山岡と松子は、心を開いている男と女ではない。
大臣は松子のししおき、体目当て
松子は銀座の客としての関係である。
松子は自分の娘の話をしたことはなかった。どこか山岡にある、いや権力者の周辺にある奥底の冷たさを知っていて、自分を全て曝け出すことができなかった。ただ、男女の関係はそれくらいの方が、全てが見えないような暗闇の逢瀬の方が、長く続くものである、松子は部屋の明かりをつけたがらなかった。
ただ、山岡は話はしなかったが、大臣になったこと意外にも自分の娘がいい就職をしたことで、ほっとしたという空気が溢れていた。
その雨の夜、松子は@@@だった。
ただ自分の娘が、幸せになれなかったことが恨めしかった。
11。(伏線)
(松子は、ゴミは、台車で運ぶことにしている)
(松子は、意外と理科系の科目は心が静まる)→→→娘との思い出。理科のフレミングの法則の話。技官との会話など??
12。ある日→もっと前に
松子が他の席についていると
酔った町医者と大臣が別の席で、喧嘩をしている。
随分町医者が高圧的なのを、気になった。
言いあいなのである。
松子は他のテーブルにいた。
明らかに、町医者が酔って絡んでいるという風情である。
「どうしたんだろう」
この店で山岡に失礼な物言いをできる人間はほとんどなかった。政治家は政治家である限り権力者なのだ。唯一文句を言えるのは、彼が落選をした時になる。落選で全てを失うのだから。
「町医者も、貧乏で同級生に嫉妬があるんだろな」
「あの二人は同級生なのか」
喧嘩の、理由はわからない。
13。二つの死
二週間後のことだった。
松子は銀座で衝撃の話を聞いた。驚く。
山岡大臣は娘さんを亡くした。理由は心不全。
女子アナウンサーへの道が用意された中、短期留学で海外に向かう準備の最中だったという。
店にもしばらく山岡は来ない
もともと山岡への連絡は極力ないようにしているから、なにかここでというわけにもいかない。つまり、連絡もできない。
松子は天気予報を見る。
ずっと晴れである。
14。さらに数日後。
新聞報道で、小さく、目黒区の医院で死亡事故?とあった。
注意深く、新聞報道を松子は見た。
死因は青酸カリ。
何者かによる、殺害か、自殺か、争った形跡もなく、警視庁目黒署の発表によると、捜査中。
人見知りの誰かか?
山岡の娘に比べると、小さくて目立たぬ生地であった。
その夜、警察がお店に来る。
捜査一課の銭谷警部補である。
どこで調べてきたのか、
数日前の二人の喧嘩を警視庁は重く見たのだという。
「山岡大臣に、町医者さんは食って罹ったのでしょう?」
「私はテーブルにはいませんでしたが。」
「山岡大臣は、あなたのお客で、町医者さんもあなたの関係になると聞きましたが。」
「大臣がお顔が広くて。みなさん、選挙で選ばれる人たちですから。後援の方は大切にします。」
「その喧嘩があった。」
「はい。しかし酔った席では稀にあることでしょう。」
「そうですかね。」
「山岡大臣が疑われてるのですか?」
「いいえ。」
「そうなのですね。」
「はい。山岡、いや大臣には明確にアリバイはあるんですよ。」
警察は帰る
松子はぼんやりとする。
娘のことを思う。娘のお墓参りに行く。
店も色々あった。
店は営業を続けるが、客足は鈍い
15。それは久々の雨の夜だった。
松子は、久しぶりの逢瀬を終えた後
一人部屋で眠っていた。
救急車の音がしている。
(娘を亡くしてから、山岡とは連絡がない。→→おかしい。一度あってるはず)
翌日の新聞報道
山岡大臣が落雷で事故死
あの夜、松子は大臣と逢瀬をしていた。
よりによってそんな夜に落雷事故で死んだという
そういう報道が入ったので、松子は愛人の話が
表に出ぬようにいくつか配慮をした。
娘も亡くし、山岡本人も死んで仕舞った今
本妻の未亡人にこれ以上悲しみを
与えたくないと松子は思ったのである。
<<<挿入>>>警視庁捜査一課9係
なので、捜査一課と言うよりも、このような事件に適した銭谷警部補に連絡を入れたわけです
じっと目を見る。
潰される前に?
ははは。コメントは差し控えます。ただ銭谷警部補は、真実がお好きだ。わたくし秋吉もいい年齢でね。どこかの権力から真実の手前に壁を打たれるのが好きではないのですよ。
「……。」
あんた方、霞が関の上層部が忖度をしたり、忖度の結果、所轄に力が、掛かったりするなら尚更ね。
よくわからないです
自殺でいいという空気がなぜかあるんでふよ。既に。
所轄にそんなものがあるのですか?
わかりません。官僚的な空気が警視庁にもだいぶ増えましたから。オフラインな私には違和感でしかないんですがね。
この案件を掘り下げるなと?事件にしなくていい、と。
まあ、平たく言えばね。
表向き、目黒署は処理を終わらせたい。自殺で。
で、つまり、あなたの目的は
銭谷警部補への相談は?
先程の、山岡を調べてみたいと。
現職の大臣を、所轄で取り調べは厳しいです。
そうですか。
ご用意できるのは町医者Xの携帯電話の履歴程度、登録された交友関係、程度ですね。その先は許可が大変だ。順番を間違えると銭谷警部補に逆に迷惑かもです。
でも交友関係程度では
それがずいぶん、華やかなのですよ。
LINEが残っていた
政治家や、vipが多い
この二、三年のこと
ここ2,3年だけ?
登録者数がね、急に。
なぜ?
この病院に、何か特殊なことはない
ただの内科医
わからんですが
役人も多いのです
芸能界も多い?
なぜそんなことを?
ほら、LINEですよ。コメントの記録が残っている
医師は独身→→→前のほうが良い?
毎晩キャバクラで飲んでいた
それが最近は銀座へ。
住まいは恵比寿一人暮らし
もともと六本木が多い
女性関係
恋人らしきは複数いたのだ
アリバイは?
こちらは今調べています
女性の、一人は六本木のキャバ嬢です。医療関係の人間もいました。あとはアプリで出会った女性ですかね。
まあ喧嘩した様子もないが
メモ)後ほど一応三人いたので調べました
三人ともアリバイあります
銀座へ
どんなことを話してたか?
とくに
日本の政治は悪いとか世の中の不景気を憂いていて
高尚な
殺される動機は
彼の履歴には出てない
カメラもない
駅前のカメラくらい
調べるが途方とない
この日に着信履歴がない
手帳にこまめに予定を書くほどではないが、、、
つまり、約束してもない
客は突然だった
そうか
約束をしなかったというのはポイントだ
相手は、手帳に書かれると困る人物だったのかも
政治家はそうだ。官僚もそうだ。彼の手帳に増えたメンバーはそうだ。
誰かを頼んでも(何々議員の秘書)と手帳に書かれかねない
それでいて
突然の訪問でも、ドアを開けて医局に招き入れて、ウイスキーを飲むような🥃??
警視庁六階
銭谷警部補
すまんどうだった?
秋吉さんのことを伝える石原
まずは山岡にいくわけにいかないな
周りからいこう。
銀座の店は?
いきなりママはやめて、今の時間なら、いいかも。
早い時間
店員をひとり捕まえる
警視庁とは言わない
石原の真骨頂
情報を得る
山岡んが、誰かと喧嘩していた?=死んだ人
銭谷に報告
なに?本当か?
よし、銀座に行ってみるか。経営者に話そう。
あの店は医療関係の人間でかなり荒稼ぎしていた様子だ。調べたんだ。
支払いが製薬会社だ
→→→製薬会社いく
製薬会社「捜査にはご協力いたします。なんの事件?」
もう一度銀座に行く
そこでママと対面
ええ。製薬会社さんにはお世話になってますよ。ツケで飲まれますから、どの夜がどうか?などは記録が曖昧でして。
山岡さんは顔をお出しになる時ありますが。官公庁の方にもたまに。
たまに?
そうは聞いていないが。。
どなたが?
(店の人間とは言えない)
松子とたいめん
堂々たる態度。
詳しくは知りません
何でも同級生だとか?
やはり、山岡本人(A派閥の重要ポストになりつつある)にいくのは
捜査一課長より、情報が足りないと
店で喧嘩しただけではな。
天下の国会議員、しかも現職の大臣に、ウカウカと捜査などして
警視総監の意思表示になりかねない。ただでさえ永田町は二波に分かれている。人事に影響がある。
銭谷警部補は
どこか腑に落ちない
(店を出たときに誰かがいた気がした)
山岡のような貪欲の権化
娘は悲しくとも、その状況に感情的に殺人に向かう気がしないのだ
奴らは、冷たい心が奥底にある。子供より自分が可愛いはずだ
うむう。
もう一箇所くらい調べる?(官僚?店は顧客名簿などはないという)→通話記録までよこせというのは?ママに?連絡をとると。。
流石にそれも大臣が?
謎の力か?
銭谷警部補は呼ばれる
やはり、もう少し外堀を固めなければ
すでに監視対象だということだ。
今夜は雨だ。なあ。
山岡の死亡
なんと!!!
臭いが、現実に
秋吉から電話で知る
追加(官僚テーブル)
ノンキャリア 水沼
キャリア 尾車と同じテーブル
政治、未来を語る、キャリアの尾車
少し東大時代のトーク
ママから
まあ銀座で飲むのは最近はノンキャリアね
キャリアは評判リスクも嫌がるから
ああみえて、尾車さんもそろそろ、上が詰まってきてるのよ。でも天下りの後は、行く会社によっては経費は青天井だから。準備運動みたいなものね。
水沼さんにはそりゃあ、嫉妬があるわ
でもいまのワクチンバブルはみんな一緒
バブルなの?
なんでも製薬会社の接待号令ですから。かなり儲かってるからね。もちろん現金を渡していることも多いから
追加「車代」ママは「ドカン」だった。
ドカンとは?
つまり、何らかの業者が、(製薬会社の)接待現金を渡す場所。
領収書と言ってそこにお車代が入ってる
みんな、飲み代どころか現金をもらいにくるわけ。
頭を下げて頷き続ける水沼
あ、ちょっと失礼
政治家テーブルに挨拶に行く尾車
もりあがる
一瞬、水沼がテーブルの支配者になった
肩の荷が降りる様子を松子は感じる
ここで
陰謀論へ
追加店員バイト(ホール)
気が利かない
ママに怒られているばかり
松子はなぜか危ういものを感じる
前半は以上でおわり。ここから後半=謎解き
16。謎解き
銭谷警部補(ここまでも色々、でて良い)
松子さん、大臣が亡くなった日
大臣とお会いしていますね?
報道には回さないで欲しいのですが。
恥ずかしながら愛人関係でしたから。
ええ。落雷だそうですね。
天と様がお相手ではどうにも。
そうですねえ。
ちなみに、彼が銀座で町医者と喧嘩していたなか
町医者Xを殺したのは、
山岡大臣だと警察側は考えています。
えっ、そうなのですか
はい。
でも確かアリバイが。
ええ。そこは山岡は大臣ですからね。権力や金を使ったわけです。山岡本人がやったとは思っていません。松子さん、プラセボはご存じですか?
少し聞いたことがあるような。
松子は知らぬふり、をした。
でも町医者さんを大臣が殺す、動機がないでしょう。そもそも同級生ですし、大臣になられてこれからという時期に何故そんな危険を?
同級生であるが故に、だと思いますよ。
同級生であるが故に?
はい。大臣は頼みづらいことを頼んでいたのです。
頼みづらい?ご存じはないようですね
ワクチンにまつわる闇があったのかと思いましてね。まあ、ワクチン固有の問題は警視庁は管轄でないので不問としますが。
よく分からないです。
ほう。お店でそんな話もなかったですか。実は、あれだけ国民にワクチンを勧めていた山岡大臣は、実はワクチンの可能性を疑問視していたのです。
そんなはずは。山岡大臣は、彼は第一線のワクチン推進者でしょう?
(その時は松子は声を強めた。それは本音の声であった。そのワクチンを打った翌日に娘は心臓疾患で死んだのだ。公然と接種を推進した彼がいなければ、自分の一人娘は死んでいないのかもしれない。)
どうでしょうね。(そういいながら銭谷警部補は松子の目の奥を覗くように見つめた。)
お店と製薬業界の関係についてはあまり多くを指摘はしませんが。我々は殺人が専門ですのでね。そういう製薬会社との関係もあり、大臣に出世をしたい、やればなれると言う場面でもあり、テレビではああ言うようにしていたのかも知れませんが、実は薬というものを然程信じていなかったのかも知れませんね。もともと山岡議員はインフルエンザワクチンも打っていないようです。これは調べればすぐわかるのですがね。
それであのテレビの発言ですから、個人的にはどうかと思いますが、残念ながらこれは各所で裏が取れているのです。まあ政治家の世界はそういう嘘が常時あるのかも知れません。また彼にはご子息ももうないですから、しがない人たちは口を閉ざす必要もなくなったのかもしれませんね。嘘も含めて、政治の世界ってことなのでしょう。ただ、事実として、とにかく、彼は自分の娘に打たせたくなかったのです。でも世間の体裁で、ワクチンを勧める議員の娘がまさか、ワクチンを打たないのは困ります。大学や高校でも、そういう横の噂は広まりやすいです。嘘はつけない。だから、町医者Xを使ったんです。
どうやって?
プラセボを打たせる約束をしたのだと思います。
プラセボ。
ご存じですよね。水を入れた偽ワクチンです。
そ、そんな。
それによって、山岡議員は娘の万が一の事故を、磐石に防御したのです。
しかし、そこで、町医者との間に諍いが発生した。
それがお店での?
いえ、おそらく通常からずっとそういうやりとりだったのだと思います。
刑事は資料を見せた。
<困ることになるぞ>
これは、山岡議員が無視をしていた町医者側のLINEです。この言葉は、自分の言うことを聞かないなら困ることをするぞ、とも取れましょう。いくつかこういう仄めかすような文面が入っています。おそらく、町医者Xは、山岡を揺すったのではないでしょうか?大臣になれたのは誰のおかげだと。自分が受託したプラセボ偽ワクチンの秘密を使って、脅迫をしていたのです。大臣になったのだから相応の報酬を寄越せと。
そんな。
いえ、そうだと思いますよ。
でも山岡にはさほど金があるわけではないのです。しかもケチだ。(ちらと、松子を見る、銭谷警部補)ああやって権力を肴にして業者、今回の場合は、製薬会社の財布を使うのは大胆だが、自分の金となるととてもケチなのです。だから、町医者の銀座での飲み代は負担をすることができたが、それ以外の財布がない。現金を山岡は支払わなかった。いや、さほど、払えなかった。
「……。」
いくら脅しても進まぬのに痺れを切らした町医者は、銀座に通うことにした。いや通わせろと言ったのでしょう。製薬会社の顔パス名簿に、おそらく何も関係しない彼が名前を載せさせたのはそう言う理由です。
・・・町医者は山岡を強請っていた。それも最初から、銀座に来る前から。五回目のワクチンだと山岡は言っていた。つまり、もう二年もゆすっていたかもしれない。
松子は、自分の気が付かないできた場所、廃屋の奥の暗がりに、小さく灯りがついたような気がした。その様子を確認するようにして銭谷警部補は言葉を続けた。
「ただそれだけでもない気がします。」
「どう言うことですか?」
「町医者Xさんは、独身でしたね。」
「そうでしたかしら。」
「なぜ、銀座に通ったのでしょうか。山岡のいない日にも足繁くでした。彼の目黒の医院からは遠いし、渋谷にも六本木にも彼は通った店はあるし、女性関係もそちらにあったが銀座に通うようになってからやめてしまっていました」
「なぜでしょう?」
「ご理解ないのかもしれませんね。彼はあなたを好きだったようです。」
「まさか。」
銭谷警部補はこの時は明確に見透かしたような目をした。
「そう。そのまさかかもしれない。人間は不思議なものです。そうなると一つの真実が目の前にくる、同級生の山岡の愛人だということです。嫉妬です。おそらく山岡があなたを愛人にしているのも許せなかったのでしょう。まあ店に通えばそこにいる男女がどういう関係かぐらいはわかるものです。意外なことに町医者はあなたを純粋に恋焦がれていたのかも知れません。だから、町医者は山岡に嫉妬をした。なおかつ、山岡は自分の言うことを聞かない。金を払おうとしない。
そのうちに、恨みが頂点に達して、そうして娘さんへの注射を細工したのかもしれません。
ワクチンを?
ワクチンが悪かったのかは分かりません。でも、恨みがあるなら、医者の悪意で注射液には何でもできますでしょう?そうではなく、陰謀が言うようにまだ治験もされぬワクチンが本当に相性が悪いと猛毒になったりしたのか。私にはわからぬことです。」
「……。」
「まさか娘さんが注射針を見て中身を指摘できるとは思えませんから。ただ、青酸カリを入れるような冒険は流石にしていない。とすると町医者のしたことは単純に通常のワクチンを接種させただけかも知れません。ワクチンが通常通り接種され、その結果娘さんをなんらかの理由で死に至らしめた、単純な事故だったのかも知れません。どうだろう、穿った見方をすれば、三回目、四回目からこう言うことをしていたのかもしれない。今となっては藪の中です。この部分は厚労省のほうで色々あるようですが。あくまで死因は藪の中です。」
「……。」
「ただ、娘が死んだときに、山岡大臣は町医者が約束を破った、@@@と言ったワクチンを無理やり打ち、殺した、と考えたのは想像に容易い。そもそも町医者は山岡に過去、娘に四回プラセボをしたことを公表するぞと、脅していた可能性がある。だから山岡は町医者Xを殺人犯だと思ったに違いありません。その時にあなたに相談したんですよ。」
「馬鹿げてます。」
「まあ、その点は一回おきましょう。ただあなたはその山岡の恨みの言葉をどこかで聞いたのだと思います。」
「……。」
「最初は愚痴か何かだったかも知れない。娘を失って落ち込んでいる山岡に同情もあったのかも知れない。相談を、聞くようになっていったのでしょう。町医者に山岡が復讐する気持ちでいる真横にいて、色々彼の言葉を聞いていた。その結果、復讐に協力をすることにしたのです。」
「随分と飛躍しますね。」
「ええ。まず、協力がしやすい位置にあなたはいたのです。というのも繰り返しですが、町医者は、あなたを好きだったのです。あなたは銀座の夜の人間です。彼のような純粋な男の感情のきびを分からないはずがない。さらに町医者とは電話番号も何も交換をしておらず連絡のつながりも何もない。いまどきスマートフォンでの繋がりのない人間を相手にする事件は捜査線上に出にくいのです。あなたは町医者をうまく御する自信があったのでしょう。何のために御そうとしたかは、一回おきますが、かわいそうに、町医者はあなたに指示されればそこに行ったのだと思います。あなたは彼の好意には気づいていて、それを利用したわけです。なおかつスマートフォンではなく口頭であればどこにも履歴は残らない。」
「利用したなんて。」
「町医者が亡くなった日にはあなたはどちらに?」
「私を疑うのですか?山岡大臣ではなくて。」
「山岡大臣は、首謀者かもしれません。あなたはそこで何か対価を得ようとしたのかも知れないですね。ただ山岡議員は明確なアリバイがあります、と申し上げました。」
「なぜ私が?覚えていませんが、、。。私(松子)を疑うにも、町医者さんとはなんの関係もなく、殺す理由がないでしょう?そうです。なぜ私が山岡議員の恨みを晴らすために人殺しまで買って出る必要があるのです?」
「あなたが、町医者Xを殺す理由ですか。はい。先ほども置いておきます、つまり、後に述べます、といたしましたが、実は一つあるのです。」
「ひとつ?」
「ええ。あなたが町医者を殺す理由です。」
「松子さん、あなたはご自分の娘さんを亡くしていますね」
「……。」
「亡くなったのをいつしか、ワクチンのせいだったと思い込むようになりましたね。」
「そんなことは、なぜ決めつけるのですか」
「残念ながら、こちらがあなたの検索の履歴です。ある時期から、明らかに閲覧がそう言う方向に変化しています。町医者Xさんが、銀座に通い出し、山岡が厚労大臣に上り詰めた頃からでしょう。
日を追うごとに、検索の履歴が強まっている。その合間に娘さんの写真を何度も見ている。私はこの履歴の繰り返しを見た時のあなたの心情を察するに、非常に重いものがありました。辛かったのではないでしょうか。自分の娘もワクチンで死んだのかも知れない。その死んだ理由には、確実に世の中の空気というものがありました。娘さんが打つか打たないか、別に親が政治家でもないあなたには義務などはなかった、でも世の中には空気があった。打つべきだ、まわりが打つのだから、世の中のために打つべきだというあの同調圧力です。そしてその空気を作っていた人間といえば、まさしく山岡衆議院議員であったはずです。
あなたは大臣となった山岡議員を誰よりも許せなくなったのではないですか?」
「そうして、山岡の娘が亡くなった。
おそらくそれが町医者の仕業だと考えた。いや少なくとも山岡はそう繰り返したのではないでしょうか?愛人として山岡の近くにいたあなたはその怒りが手に取るようにわかったのでしょう。
つまり、山岡が、死ぬほど町医者Xを恨んでいるのがわかった。
殺してやりたい、あなたにも俺の代わりに殺してくれ、とまで迫ったのかもしれません。」
「荒唐無稽ですね」
「いえいえ。そんなことはない
あなたは頭のいい人だ。とてもいいひとなんです。」
「……。」
「あなたはそこで、一つのことを発見したのです。誰かが、いま町医者を殺す場合、実は、警察は確実に山岡に向かうはずだ、と。銀座で誰もが見る前で喧嘩もしている。当然、山岡の仕業だと思うに違いない。本人のアリバイがあっても、関係なく、誰かを使ってでも殺したのだと思うに違いない。かつ、町医者について、連絡先も知らないあなたは、疑われる可能性がほとんどない。そう、あなたは町医者に連絡先を教えてさえいない。」
「たとえば、万が一、町医者を消せたら、見返りをもら得ますか?」
最初は冗談でも言うように、山岡に提案をしたのかもしれません。
「本当か?どんな見返りでも用意するだろう、絶対に俺はあいつを殺したい」
と、娘を失った山岡には発言があったかもしれません。
ただ、その時点で山岡はあなたがまさか本当に殺すとは思っていなかったはずでしょうが。そして、まさかあなたの本当の目的が、別にあることも一切知りもしなかったでしょう。
あなたは彼の病院に非通知で電話したのかも知れない。銀座に一人で来た際に、待ち合わせの場所を告げていたのかも知れない。いずれにせよ、あなたは賢く履歴が残らないようにする計算を随分と行なったはずです。小さな医院ですから取次はないことはお店で自然に会話で引き出した。きっと町医者に直通なのも知っていましたね。携帯電話でもない番号ですから会話の履歴も残らないはずです。そこで、会いましょう、という話をした。まあ、そんなこともせずにいきなり医院の近くの公衆電話から名前も名乗らず電話しても、どうにかなると思っていたのかも知れない。
つまり、無防備であなたに好意のある男を殺すことは、難しくはなかったはずです。ウィスキーでも飲みましょう、と訪れることは可能だった。
大臣は驚いたはずです。
あなたが本当に殺すとは思っていない。
でも松子さん、あなたは、それが狙いだったのです。
「山岡大臣に命令された」と言えば、世間からすれば大臣は致命傷だ。だから大臣はそれからあなたに言いなりになるだろう、あなたはそう見込んでいた。
いや、あなたは、金だけが欲しかったのではないかも知れない。娘を殺した世の中の空気が嫌だった。許せなかった、そしてその空気を作った人間が厚労大臣になったことも許せなかった。彼の娘がワクチンで死んだとしても、自分の娘が帰ってくるわけでもない。あなたは少し自暴自棄にもなっていた。だからその捌け口に、厚労省という権力の頂点にたつ人間をあなたの意のままに操縦したかったのかも知れません。いや、私はその可能性が一番高かったと思っています。」
「操縦?」
「ええ。権力に裏切られた人間は、しばしば権力を求めるのですよ。」
「目の前の山岡の弱みさえ握れば、厚労省も、@@@も日本の医療をすべてを牛耳る大臣を自分の意のままに動かすこともできるし、かれを失脚させることもできる。権力の頂点に立った人間を脅迫することは、あなたには唯一の吐け口だったのではないでしょうか
メモ)雨の日ばかり会っている
しかしです。
意外にも大臣は頑なだった。たとえば、あなたに追加の金を払わなかった。
前述の通り、今時の政治家は自分の自由になる金などないのです。さらには、山岡はあなたの言いなりにもならなかった。
いや、実はむしろ、あなたが殺人犯だと言うことを逆に警察に言うことを仄めかした。
これは、他の捜査で分かったことですが、山岡大臣はもう政治家を辞めたいと言っていたそうです。娘を失った山岡は、正直、大臣のポストもどうでも良くなってしまったのかもしれない。政治にしがみつく気持ちのない山岡にとっては貴方の脅しは効果は鈍ります。あなたは、この点は予想外だった。銀座に通う男たちを幾人も見てきた貴方にとって、山岡が、まさかそうなることは想定外だった。
そうです。
実際、銀座のお店の接待契約も破棄してしまいましたね?もう酒を飲みたくないと山岡は言っていた。権力にしがみつく気のない人間にとっては、銀座で製薬会社にたかる、いや、失礼、銀座のような成功者の空間設計などは興味もない残業でしかない。
となると、店に関係する愛人契約も意味がなくなる。
(山岡は唯一、抱かれるのだけは、継続しようとしていた)も嫌だ。
逆にあなたは殺人を弱みとして握られただけになった。
それを肴に、山岡はあなたと会うことを要請するようになった。
一円も使わずにあなたを抱くことになった。
雨の日に、なんの連絡もなくても貴方の家には山岡はやってくるのです。無論、逃げでもしたら警察に言うぞという空気を纏って。
「随分と、大胆な仮説を。でも山岡大臣は、自然死でしよう」
そうです。一見、自然死に見えますね。
そこで銭谷警部補は一枚の資料を出した。
ブルックベンド荘の悲劇
雷雨の日に被害者を感電させ、落雷による感電死にみせかける。
アーネスト・ブラマの推理短編小説。この短編は犯行を未然に防げるかどうかという構成になっている。
あなたの検索履歴には、この小説が載っていました。
おそらくヒントを得たのかも知れません。また、秋葉原の電気街に、幾度となく通われた様子もありますね。
山岡大臣は雨の日に、ご予定の空白が常にありました。娘さんを大事にしていた、家庭を最優先していた彼が、香水の残りにくい雨の日を不倫の日にちにしていたのは、秘書の間では有名なことです。あなたは最近多いゲリラ豪雨の雷を使ったのです。最も雷に実際に打たせるわけではなく、部屋で感電させたものを雨の降る路上に遺棄されたのだとは思います。
よければ、この部分を詳しく本日はお聞かせ願いたいのです。
秋葉原で購入されたこの部品は、何にお使いされましたか?
あなたは雷雨の日にあなたを抱いて眠る山岡を、感電させました。そのまま、ゴミ袋にいれてマンションを出ていますね。大きな袋は大変だったようですね。
深夜の大雨の日でした。雷を伴う大雨です。東京の街の目黒川沿いでも、死体を置いて帰ることくらいはできたのかも知れません。
終
プラセボ 北沢龍二 @shimokitazawa5
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