黒翼の魔王

@神振千早

 

 少年は慟哭する。

 最も大事で、守れなかった少女の亡骸を抱いて。まだほのかに温かい身体からは魔素が少しずつ抜けていく。もう二度と自分の力では開かない美しい青色の瞳。艶を失っていくであろう金色の髪。

 かなり苦しんだのだろう。毒により土気色に変化した頬には涙の跡がある。胸元は槍で突かれ赤いシミが服についている。

 15歳の少女にしては華奢すぎる身体をもう一度強く抱く。

 絶対に守ると誓った少女を死なせてしまった。自責の念と、果てしない怒りが溢れ出る。

 そんな中少年は泣きながら問う。なぜ、と。


「誰でもいいから教えてくれよっ。なんで殺すんだよ。同じ人族だろうがっ。ふざけんなよっ・・・・・」


 答えは出て来ない。少女が殺された理由も検討もつかない。わかるのは目下の観客とこの国の上層部によって少女が殺されたという事実だけ。

 観客達が石を投げてくる。彼らの目に少年は魔族の協力者に味方するゴミとしてしか存在し得ないのだ。

 そのことがわかっていながらも少年は胸のうちで荒れ狂う波を必死に留める。人殺しになってあいつらと同じ土俵に下りたくないと。必死に自分を押し留める。

 そんな少年の自制心を知らない観客は叫び、その言葉に少年は凍りつく。


「あいつも魔族の味方だ」「そうだ、人族の未来のために死ねっ」「魔族の見方は死ねっ」「あいつを生かしていれば世界が汚れる」「死ねっ」「人類浄化の第一歩だ」「ルクシア王国万歳」「万歳」


 少年は己の耳を疑った。彼女が魔族の味方だ、と?

 彼女は決して魔族が好きではなかった。大切な友人が一人、魔族によって殺されている。たとえそれは魔族にどんな理由があっても、彼女に許せることではないのだ。当然ながら魔族を憎んでいた。

 それが普通の人族の反応だ。

 だから決して魔族の味方になるはずがないのだ。こいつらは一体何を言っているんだ、と少年は口の中で転がす。

 少しして少年は気づく。こいつらは俺たちが、あの時、あの穏健派の魔族を逃したことを言っているのか、と。

 彼女の決意をこの観客どもは、この国の奴らは踏みにじったのか、と。

 ユルセナイ。少年は涙を拭う。


「黙れよ」


 大勢の声に罵倒される中、少年はフラフラと立ち上がる。

 ついに限界を超えた。というよりすでに超えていた。少女が死んだ時点で、少年が最後にしたかったことは決まっていた。

 それでもずっと耐えていた。

 ずっと耐えようとしたが、大切な少女の怒りを、悔しさを、悲しみを踏みにじられた時点でストッパーが外れた。

 周りを睥睨し、小さく息を吐く。そして最も近くにいた観客に聞こえるか聞こえないかギリギリの小さな声で呟く。


「言いたいことだけ言って満足か?お前らが言うなら、本当に、なってやろうか?」


 その瞬間、高濃度の魔力が場を支配する。

 それは、野良の魔物の殺気を遥かに超える濃密な殺気。そもそもこれに比べたら野良の魔物の殺気は赤子の駄々と同じようなものだろう。

 観客は突然の変化についていけず、周囲を見回すもの、殺気に怯え蹲る者など様々な反応に分かれる。

 ただそのどれも少年の望む物ではないのだ。彼には一つのこと以外考えることはできなかった。

 復讐。それ以外は無かった。

 少年は大声で叫ぶ。


「ハハ、フフフ、アハハハハハハ。いいぜ。やってやろうじゃねえか。なってやるよ、お前らが言う、魔族の味方ってやつに。いや、魔族なんか関係ねえ。俺の出せる全力で、この国にいる奴らを殺し尽くしてやる。アハハハハハ」


 少年は泣きながら笑い出す。声にも大量の魔力が込められる。彼の視界の隅で、人族の男の呼吸が止まり、倒れる。どうやら突然の殺気についていけず、心臓が止まったらしい。

 本当に強力な殺気は人を殺せる。

 魔法とは、魔力に込めたイメージが起こす現象なので、当然とも言えるのだが。この場合、少年が込めたイメージは死だった。突然の出来事に周りの観客は戦慄し逃げ惑う。

 しかし、少年はそれを許さなかった。


「殺す。絶対に全員殺す。この国にいるゴミ共は種族、性別、年齢関係なく殺す。テメーらは生まれて、この国に来たことを後悔しながら死ね。勇者だろうが、誰がいても殺す」


 この日にしか使えない切り札を二枚切る。


「『覚醒』せよ。来たれ虚空の時録、万物を正しき姿へと繋げ。第壹階級『時録タイムクロニクル』。来いよ、『殲華』」


 少年の背中には一対の羽が生える。その翼は闇よりも深い黒を宿していた。

 右目は赤くなり、左の額に一本角が生える。そう、魔族の上位個体に外見が近づいているのだ。

 そして、一本の刀がどこからともなくやってくる。

 煌炎刀殲華こうえんとうせんか

 少年の愛刀だが、使うには相当な精神力と魔力を必要とする。ただ、暴れるだけならどんな状態でもいいのだ。たとえ、ほとんどの魔力を使い果たしていようとも。


[おめでとうございます。個体名:クロは魔王として覚醒致しました。これにより、種族の進化を確認。魔王へ進化します]


 今、王国の滅びの日が始まる。

 少年は第參階級『暗黒領域ダークネスフィールド』で、回復系の魔法を使えないようにする。どうせ自分に回復を使わせる程の相手はいない。ならば国民に回復を使われて逃げられるのも面倒なので、使えないようにしたほうがいいのだ。

 その後、第伍階級『脱出不能領域アンチエスケイプエリア』を使い、転移して逃げることを防ぐ。物理的に歩いても結界があるから出られない。かなりの強度が結界にはあり、勇者ですら壊せないだろう。壊せるとしたら賢者のスキルくらいか。

 ただ、一度壊したくらいでは再び結界が作られるので意味がないのだが。その上、今は賢者も勇者もこの国にはいない。

 国を完全に閉じ込めてから少年は動き出す。


「デスゲームの時間だ、ゴミ共。かかって来いよ」


 血の涙を流しながら、少年は王城の近衛騎士を殺し尽くし、国王を拷問する。

 第肆階級『精神保護メンタルプロテクト』とは、本来精神を保護する魔法だ。それを使えば、どんなことをしても精神が壊れることはない。普通の人にすれば頭がおかしくなるようなことでも、全く精神には影響がないのだ。

 指を一本ずつ切り落とし、腕を、足を切り落とした後、内蔵を取り出し目の前で切り刻む。それを口に突っ込んで、頭を踏み潰す。

 簡単に殺してはいけない。苦しみを味わってもらわなければ気が済まない。

 その後、ひとまずもう一度苦しめるため再生させようとしたが、自分がかけた魔法を思い出す。最後に首を落とし、一気に冷める。


「もう、いいや。せいぜい苦しんで死ねよ」


 少年は、頭に浮かんだ一つの魔法を使おうと決意する。危険すぎて封印した失敗作だ。

 魔法第壹階級『久滅エターネルエンド』。

 『エターナルエンド』なんて如何にもカッコつけた名前が付いているが実態はただの炎だ。

 ただ、その熱量が問題なのだ。この範囲で使う場合、平均の温度でエリア内は五京℃だ。基本的にどこにいようが高熱なのは変わらず、しかもそれが何分も続く。文字通り灼熱地獄だ。

 普通、これほどの熱を持つと大抵のものは蒸発する。しかも、魔法や魔力そのものすら燃やす性質を持っているため、より質の良い魔力をより緻密に制御しなければ魔法を使ってもただ蒸発するだけだ。

 正面から対抗する方法は同じくらいの量の魔力を使って熱を吸収するか、結界に引きこもることくらいだが、そもそも彼ほどの魔力を持つものもいないので、できることはないだろう。

 要するに、範囲内にいて、魔法を浴びるとまず間違いなく死ぬ。かろうじて攻撃の無効化をできる特殊なスキルを持っている人は生き残る。ただ、このスキル自体が魔王のものなので持っている人は今、少年以外にいない。

 問題があるとすれば、このときのように、完全に外部と遮断する方法がないと、ただの魔力の無駄使いとなる。熱を逃がしてしまうからだ。

 しかし、範囲外への影響が全くない場合、非常に強力になる。

 限られた範囲の全員を殺し尽くす、この場における最も適切な魔法の一つなのだ。


「全て燃え尽きて消えろ」


 準備を始める。気合と覚悟を入れ、魔力にイメージを込める。

 込めたイメージは炎。全てを、何もかも燃やす究極の炎。

 魔力が高まる。作ったは良いものの、危険すぎて使ったことがない魔法なのでイメージの手助けとして、詠唱を必要とする。

 もっとも、第壹階級は制御が難しいので暴発しないためにたいていの場合詠唱はするが。


「来たれ終焉の焰、我が敵に滅びを齎せ。第壹階級『久滅エターナルエンド』ッ!!!」


 轟ッ、と炎が広がる。炎は全てを無に返しながら広がり、やがて止まる。結界に当たった炎はそこでまた中心へ戻る。

 その日、この星から栄華を極めた一つの大国の王都が姿を消した。一かけらも残さず蒸発して。それは、死者約100万人という史上最大級の大破壊である。それもたった一人の人族から生まれた魔王によって。

 そして、少年の慟哭が再び木霊する。

 一通り泣いたあと、少年は魔法で熱を吸収し、転移阻害の結界と回復不可能の闇を解除し、その場から離れる。

 少年は少し悩んだあと、海の方へ足を向けた。そこには、リアと初めて会った、あの場所がある。

 当然のことながら『覚醒』には代償が伴う。誰も彼もがポンポン覚醒していたら世界のパワーバランスは一瞬で崩壊する。代償として、一気に覚醒すると体が耐えられなくなって壊れる。

 魔王の覚醒はほかのクラスの覚醒より遙かに本人の肉体的な代償が少ない。ただ魔族であれば、魔族並みの強度の肉体を持っていれば良いのだから。

 だが、少年は大切な少女と一緒にいるためには魔族の姿になるわけにはいかなかった。だから身体に覚醒の準備は施していない。それなのに今はまだ崩壊していない。

 ああ、失敗か。

 地獄の中で見えてしまった光に手を伸ばすと、それは手のひらから滑り落ちる。 今度こそ。

 何度その言葉を繰り返しただろうか。前と同じような感覚が指先にあり、ふと見た。

 また、少年は指先から崩壊していった。

 戻る。

 希望があるからと、またあの場所に。

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