天使と堕天使と悪魔の噺

紫陽_凛

ある堕天使の噺

 昔、ある国で、勇者一行が悪魔の王を滅ぼし、凱旋を行った。吉報はときの女王の耳を喜ばせた。「天」への信心深い女王は勇者一行を玉座の前まで呼びつけ、道中の武勇を聞かせてほしいと頼んだ――が、勇者は、こう答えた。


「女王様のお耳にかなうお話を私はこれしか知りません。これは私ども一行の始まりの土地、キリ村のというじじいが話していた事です。詳しいことは覚えていませんが、非常に興味深い話が聞けると存じます」

 老爺ろうやの言葉と武勇伝が並ぶものかと女王は怒ったが、勇者は臆することなく言い張った。

「その爺は、自らを、『天から堕とされた堕天使だ』と云うのです。私どもはそれを聞いて、悪魔を討伐する旅に志願をしたのです」


 女王はすぐさま使いを出させて、そのキリ村のなんとかという老爺から話を聞いてくるよう、と命令を下した。命令から月が過ぎること三度、使いは戻ってきて、玉座に座す偉大なる女王の前にその話を披露した。



『人に云う「天」とはある国のことでございます。それは空にあり、地にあり、可憐な花の奥にあり、私めのこの小さな頭の中にあるものにございます。普遍にこそ「天」は宿り、そして私どもを見つめているのでございます。

 仰るとおり、私は「天」から堕ちたのです。間違いなく私は「天使」でございました。

 嘘を言うなと、そう仰るでしょうね。あの子たちもそう言って私めに石を投げつけたものですよ、ほほ。でも不思議なことに、私めの話を最後まで聞いたあの子たちは、最後には私めの話を真に受けて、立派な剣と魔法の杖を持ち、勇敢にも悪魔の国へ攻め入り、その王のくびを勝ち取ってきたと云うではありませんか。

「天」は私めを見捨ててはおりませぬ。ただ、その国を追い、天使のくらいから堕としてその庇護を解いたというだけの話。私は「天」を愛し慕っております。その心は堕天した今も変わりませぬ。

 嗚呼、この老いは堕天の最たる証。「天」は私めから身体の自由を奪い、大きな声を取り上げ申し上げた。しかし若い肌を失った代わりに私めは「地」を知りました。そして「地」の人びとが悪魔に苦しめられていることを知りました。悪魔は「天」に仇なすもの。そして「地」を支配せんとする侵略者です。私めのようなか弱き老いぼれに、戦う力はございません。

 しかし、「地」の子供たちは違う。「天」の意志にかかわらず動く事ができ、「天」からの寵愛を受けることができる。「天」の子にして「地」に生きるもの。天地の間に座す、それが人間という存在でありましょう。私めは彼らに云いました、


「英雄になりたいか」


と。


 ……そのように根を詰めてお聞きにならずとも宜しい。気を楽にして身体の緊張を解きなされ。

 さて、この老いぼれはこのように「地」に縛り付けられ、寝たきりで何の役にも立たぬ堕天使でありますが、悪魔についてはこの「地」でもっとも詳しく語れるでしょう。彼奴きゃつらの弱点は背中の黒い翼です。あれさえ捥いでしまえば、羽を失った虫同然に弱り果てる。そこをぶすり、ざくりとやってしまえばすぐに、に殺すことができる、そう彼らに教えました。彼らは興味深くこの話を聞いていたようですよ。虫同然に弱き者へ地面の味を教えていた彼らにとって、翼のもげた悪魔などは造作も無い事であったろうと思います。英雄という言葉のあまさに吸い寄せられたとしても、彼らはよくやってくれた!

 え、ええ。なぜ私めが悪魔の弱点を知っているか? それは、使からです。

 私めをごらんなさい。もはや虫の息と云っても間違いではないでしょう? これは翼を捥がれているからですぞ。

 私めが悪魔であると? いいえ、私めは「天」に愛され「天」を愛している一介の堕天使に過ぎませぬ。私めは特別でございます。特別「天」に愛されているのです。普遍の中におわす私どもの「天」、私どもを今この瞬間も見つめている「天」、そして数々の同胞を殺しせしめた私めの言葉を「天」!

「天」への愛を忘れ、「地」を這いずるを叩き潰すことしか知らぬ、あの悪魔どもと私めは違うのですよ、ほほ、ほほほ! 使! ここに居ながら、まだ天使で居られる‼

 あの子供たちは良い子たちですなあ。疑うことを知らぬまなざし。虫を殺すような無邪気な殺意も、方向性を定めてやればこの通り。女王様におかれましては、私めの処遇をご検討いただきたい! ぜひ、王宮に暮らし遊びたい!』


 女王はこれを聞いて爺を恐れ、嘆いた。そして爺の現在を問うた。今この老人は何をしているのか。女王の頭には、この「きちがい」を獄中に入れる事しかなかった。


 しかし使いは答えた。


「老爺が三ヶ月かけてこれを話し終えたあと、我々が小屋を出ますと、ごうと大雨が降ってきて、老爺の小屋に巨大な雷が落ちました。家は燃え、老爺は焼けて死んだとされています。我々はそれを確かめてから、帰還したのです」


 女王は手を握り合わせた。そして、普遍の中に内在するという「天」に向かって祈った。そして問うた。

 「天」よ、我ら「地」のともがらを愛してくださいますか。汚れた「地」の子を、愛おしんでくださいますか。

 女王の問いに「天」は答えない。ただ花瓶の花がくるりと揺れただけだった。 

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