1.噂の張本人
――迷宮に鼠が出る。
そんな噂が迷宮都市カラリアの冒険者ギルドに広がっていた。
なんでも、ある冒険者が迷宮内で仕留めた魔物の死骸から目を放した瞬間にその場から綺麗に消えていたというもの。
それだけであれば、そこまで気になる話ではない。だが、この体験を一人二人ではなく何十人もの迷宮冒険者が口にするのだ。
新たな魔物の発見か、既存魔物の知られざる習性か、または変な冒険者なのか。
被害が起きている階層が新人冒険者の多い上層であり、もしかしたら若い芽が摘まれる可能性もある。だからこれ以上被害が広まるようなら、冒険者ギルドとしても手を打たなければならない。
そんな話が冒険者ギルド職員の朝礼で報告された日。
ギルドの受付嬢であるサラ=エルテムは速足で目的の場所に向かっていた。
「本当に……本当に……今回はただじゃ置かないんだから‼」
白磁器のように艶やかな白髪のショートボブを揺らし、童顔の頬を可愛らしく膨らませたサラは苛立ちを露にしていた。
その様子は子供のように体全身で怒りを表しており、歩き方も普段の大人しさからは考えられない大股歩きとなっている。
会ったらなんて言ってやろうと、サラが考えながら歩いていると屋台を出している人達に馴染み深い雰囲気で話しかけられる。
「よおサラちゃん、買ってくかい? どうした、そんな頬膨らませて」
「貴方も馬鹿ね。サラちゃんが怒る相手なんて一人に決まってるでしょう。またあの子が変な事しでかしたんでしょう?」
「あ、あははは……また今度来ますね。ちょっと時間がないので」
「昔はあんなに大人しい子だったのに……困った弟を持つと大変だな」
サラはそんな大人の世間話に何とも言えずに苦笑いを返す。
身内の恥とは決して思わないが、弟が変わっているんは事実であり、手のかかるのは身をもってしている。とはいえ、愛するたった一人の家族の悪口はあまり気のいいものではない。
手を振って離れたサラは石畳の大通りを抜け、小道に入ってすぐにある工房に歩みを進める。そしてかってしたるかのように裏口に回り込んで無造作に扉を開いた。
「……見てみなさい。周りにあるこの独特な脂肪が、内臓を固定してるんだ。爆速のラビットフットが長時間走れるのは脂肪で負担を軽減しているんだ」
「師匠、この脂肪に魔法の痕跡がありますよ」
「そうだよ。調べによれば、ラビットフットの脂肪には重量増減魔法が付与されているらしいよ」
「へぇ~」
扉を開けた先には広々とした石の床が広がっていた。いくつかの大きな台と工具が置かれ、壁一面にはいろんな動物の骨やナイフや包丁が飾ってある。
そんな工房の中心にある台には一匹のウサギが乗せられており、それは一人の小太りな男と少年によって囲まれていた。
彼らの姿は皮の手袋と鼻と口を覆う布、そして血が滲んだエプロンを身に纏ったものだ。
その姿と、皮も内臓も取り出されたウサギの死骸を一般人が見たら、悲鳴を上げられて通報されてもおかしくないだろう。
師匠と呼ばれていた小太りな方の男――ビグリッド=ガーペルはすぐに入ってきたサラに気付いて、ニコッと人懐っこそうな笑みを見せた。
そんなこと全く気付かずに、ぼさぼさではあるがサラと同じ白髪をした少年――シドはラビットフットをさらに解体しようとナイフを手に取る様子が伺える。
サラはそんなシドの様子をいつものことだと受け流し、今一度作業台の上で今進行形で解体されているラビットフットに目を向けた。
冒険者ギルドから伝達された報告に直近で上がった噂の被害。
それは迷宮の上層部で
これはなにもサラがシドのことを信用していないということではない。
サラは嫌というほど知っているのだ。シドという男の馬鹿さ加減を。
――拝啓、冒険者諸君。噂の鼠の容疑者ここにあり、です。
一度大きくため息を吐いたサラは目線だけでビグリッドにそのラビットフットについて聞いてくれと訴えかける。
何度かサラとラビットフッド、そしてシドを見てから彼は小さく頷いた。
「……そういえば、シド君」
「はい、なんですか師匠。あっ師匠、こいつ背骨骨折して――」
「このラビットフットって何処からとってきたのかな?」
一瞬の沈黙が工房に訪れる。
シドが動かした手をピクリと振るわせ、顔を上げる。
その表情はサラからはちょうど背中で見えないが、幼い頃からの癖である耳の裏を掻く仕草を見れば焦っていることは顔を見なくてもわかる。
「…………それは、ほら例のあの人から」
「本当に?」
ぴしりとビグリッドに言い訳を潰されるように、真を問われる。
シドは昔から基本的に例外を除けば、諦めは良い方だ。さらに質問したのが尊敬する師匠であるビグリッドであることもあったからだろう。
サラが思った通り、諦めが早く拗ねたように肩を落として口をとがらせて話し始めた。
「……迷宮でちょろっと。ま、まぁ今のところ見られてないですし、だい――」
「――丈夫なわけないでしょ、シ~ドォォォ‼」
シドが白状した瞬間、サラは極めて冷静であろうとして我慢していた怒声を吐き出した。それはまさに般若のよう。
「げっ、姉さん。なんで……」
「なんでもなにもないっ‼ この馬鹿っ‼ なんてことしてるのよっ!?」
サラはずかずかとシドの前に来て、その首元を掴んで前後に揺らす。力任せで揺らされるシドの悲鳴が面白おかしく工房内に響いている。
「ね、姉さんっ……や、やめ……の、脳がゆれっ」
「自分がやってることわかってるのっ!? 魔物解体師見習いのシドが勝手に迷宮に入るなんて立派な迷宮管理法の抵触する犯罪なんだよっ!? シドは犯罪者なんだよっ‼ 私犯罪者のお姉ちゃんになっちゃったんだよ。私、どうしたらいいのっ‼」
「ちょ、ちょ、ちょっと……まって……ね、姉さんっ‼」
涙目で今後の不安を口にするサラはシドを見ているようで見ていなかった。
大きめなシドの声にはっとした顔となったサラは自分の昔からの悪い癖がでていることに気付く。
サラの性格上、不満や不安を胸に秘めるタイプだ。だが、唯一の肉親であるシドを前にすると無意識にそんな我慢が崩れてしまう。
優しくて、強い姉であろうとすればするほど弟の前では弱さが零れる。
「ふ、ふぃ。死ぬところだった……師匠助けてくださいよ」
「サラちゃんの話を聞く限り、これはシド君のせいだと分かったからね。罰は受けるべきじゃないかな。……まったく、家族にはきちんと報告してるもんだと思ってたんだけどな。いや、これは僕のミスでもあるかな。ごめんね、サラちゃん」
「……ふぇ? どういうこと?」
突然頭を下げたビグリッドにサラは目を丸くする。
視線を向ければシドがすっごい気まずそうに目を泳がしており、申し訳なさそうにサラを見ていた。
「えーっと、姉さん。報告があります」
「……うん」
「僕……この度――E級魔物解体師になりました。はいっ、パチパチパチ」
「…………は?」
サラは自身でも聞いたことないほどの低い声が無意識にでる。
シドの表情はどんどんと沈んでいき、ついには青い顔となっていく。
まるで悪魔でも見るかのよう表情になったシドにサラは涙を引っ込めて、可愛らしく満面の笑みを見せた。
「いつから?」
「に、二週間前……、いや一週間ちょっとだったかもぉ」
「つまり……晴れて見習いから正式に魔物解体師の免許を持ったシドは、上級冒険者の許可さえあれば迷宮に入れるようになったから迷宮管理法には触れない。だから、私の心配は私の無知が招いたいらない心配だったっていうこと?」
「……い、いやそこまではいってないけど。ほら、俺も言うの忘れちゃってたし」
「ふふふっ……忘れてた? 私、昔からから言ってるよね。どんなに集中しても、大事なことは私にちゃんと言ってほしいって」
サラは自分の腹の底からふつふつと燃え上がるものを感じている。さっきのような爆発的なものではなく、昔からの蓄積された怒りが湧き上がっている。
――シドは一度一つのことに集中すると、他全てのことが散漫になる。
そうだ。知っていたじゃないか。シドという人間がどんな子なのか。
サラが冒険者ギルドで働くようになり、ギルド職員との交流が増えたことで当たり前のことを当たり前だといつのまにか思ってしまっていた。
すぐ側に当たり前が通用しない弟がいるのに。
「そう……そういうこと。これは私もよくなかった。もっと様子を見に来るべきだった」
「……うぇ? い、いや姉さんは別に」
「ううん。私が普通に慣れ過ぎていたの。シドという魔物馬鹿が身内にいるにも関わらず」
唯一の弟に対してひどい言い草だが、シドはまずいと言わんばかりに顔を歪める。シドも知っていることだろう。
このサラの怒り方の後自分にどんな罰があるのか。
サラは懐から一体の可愛らしいくまの人形を取り出した。その人形はひとりでに彼女の手のひらから床に降り、主人と同じ冷たい瞳でシドを見上げる。
引き攣った表情をしたシドは後ろ足を踏んでいる。きっと思い出している頃だろう、かつてのトラウマを。
「最近、お姉ちゃん忙しくて構ってあげれなかったもんね……」
しなやかなサラの手がシドを指さす。
その手の甲には幾何学的な紋様――魔力回路が露わになる。
全ての生物が持つ第二の記録媒体とされる魔力回路に魔力が流れ込む。血が通うように現れた赤い魔力は魔力回路を読み込む。トレースされた魔力は魔法という形で発動する。
「忘れたなら思い出さしてあげる。シドの馬鹿っ‼」
同時にサラの魔力回路が煌びやかに光り、呼応したくまの人形が力強く床を蹴り上げた。一本の矢のごとく、その拳はシドの額を殴り飛ばした。
あとがき
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