僕には幼なじみがいる

上里あおい

僕には幼なじみがいる

 僕には幼なじみがいる。


 彼女の名前は金本百合。僕―近衛宗也と同じ、高校2年生。

 黒い髪を肩まで伸ばした、それといった特徴はないけど整っているかわいい系の顔。身長は僕と比較して20cmくらい低いから、大体155かそこら辺。


 性格は明るくも暗くもないけど、合唱コンクールなんかだと音頭を積極的に取りに行くようなタイプ。そんな性格のせいか彼女を嫌う人もいるらしくて、彼女のクラスの女子から偶に彼女の愚痴を僕も聞くことがあった。

 その度に心の中で顔を顰めるけど、決して表情や言葉には出さない。周囲に同調をして、雰囲気に流されて。この学校という社会の中では、そういう生き方が一番生きやすいと知っているから。



 それに幼なじみだからといって、彼女は僕にとって別段特別というわけでもない。

 母親同士が大学の同じゼミ、父親同士が地元の友達。そして、家は歩いて数分の場所にある。そこまで環境が整っていれば僕らが幼なじみにならないわけもなく、物心つく前からよくどちらかの家で両親同伴のもと遊んでいた。


 ただ、それも中学生の頃まで。

 僕はサッカー部に入って、彼女は吹奏楽部に入って。そうしてお互いの属するコミュニティが明確に分かれてしまえば、疎遠になるのにそう時間はかからない。

 次第に一緒にいることも少なくなり、中学2年生でクラスが分かれてからは遠目に見かける程度の距離感になった。


 彼女が高校受験で僕と同じ高校を受験するというのを、僕は母親から聞いた。

 ここら辺の高校の中だと偏差値も高めの高校だったし、力を抜きつつ受験するには手頃の高校でもある。だから特段、そこに驚きも感想も抱くことはなかった。


 中学3年生の夏休み。中学では最後の夏休みを友人たちと過ごしていた僕に、彼女から一本の電話がかかってきた。


『も、もしもし!』

「うん、もしもし。なんか、久しぶりに電話した気がする」

『そ、そうよね!うん、久しぶり……。……ねぇ、今何してる?』

「友達と海に来てるよ。具体的には、サッカー部と女子バスケ部で」

『う、み……』


 友達と海に行くくらい普通だろうに、彼女は何故か気落ちしたような声を出す。皆が海で遊んでいる光景を横目に、僕はこの電話の意図を問いかけた。


「それで、急にどうしたの?もし長くなる話なら、明日でもいい?」


 そう問いかければ、電話口からひゅっと息を飲む音が聞こえてきた。もしかして、何かまずいことを言ってしまっただろうか?


『……あはは、なんでもない。誰かと電話したくなっただけだから。海、楽しんで』


 それを言うなり、電話はプツリと切られてしまった。


 友人たちに彼女なのかとからかわれながら、違うよと言いつつさっきの電話の意味を考える。

 ほとんど疎遠になった幼なじみに電話をかける意味。誰かと電話をしたくなったのなら、同性の距離の近い友達にお願いをすればいい。

 となれば、頼み事か誘い事か。誘い事なら言いよどむ理由はないだろうし、その点頼み事なら言いにくいこともあるだろう。つまり、彼女は何かを僕に頼もうとしていたのかな。


 その結論を導き出した後は、海で彼女について考えることはなかった。皆と花火をして、バーベキューをして。家に帰れば、時間はもう23時前。


 そこまできて、ふと昼間の電話を思い出す。

 明日にしてほしいとは言ったものの、明日は昼間から塾に赴かなければならない。その場の思いつきで言った事とはいえ、随分と適当なことを口走ってしまったものだ。


 酷く自分勝手とは自覚しつつも、メッセージアプリで一ヶ月前のやりとりで止まったままの彼女とのトーク画面を開く。

 送る内容は、昼間の事を今からちゃんと話せないか、という旨。

 ここで彼女と話せればよしだし、彼女が断ればそれまで。もし寝てしまっているのなら、今回は縁が無かったということだ。


 そうして数分経って、彼女からメッセージが届く。ゲームを切り上げて見た文面には、予想外の返信が帰ってきていて。

 それを見て少し億劫だと思いつつも、昼間に無茶をした身体に鞭を打つ。部屋着用のカーディガンを羽織って、両親にばれないようにこっそりと家を出た。


 向かう先は僕と彼女の家の中間にある小さな池だ。

 歩いて数分。街灯も少なく人もいないような池の横のベンチに、彼女は僕と似たようなカーディガンを羽織って座っていた。


「やっほ、久しぶり金本」

「あっ……!ひ、久しぶり近衛!」


 立とうとする彼女を手で制し、僕も彼女の座るベンチに座る。僕たちの間に、人が一人入る距離感で。


「ごめんね近衛、こんな時間に呼び出しちゃって」

「ううん、むしろ僕こそごめん。昼間はちょっと冷たかったよね」

「しょ、しょうがないわよ、私の電話するタイミングも悪かったし」


 街頭に照らされた彼女の顔は赤くて、どこか火照っているような印象を受ける。格好からして、もしかしてお風呂上がりなんだろうか。


「それで金本、お昼は本当にどうしたの。電話かけてくるなんて珍しくないか?」

「そう、よね。……おばさんから聞いたんだけど、近衛ってセキワ校受けるんでしょ?」


 おばさん、つまり僕の母親から聞いたのか。


「受けるよ。金本も受けるんでしょ?」

「うん。それでね、その……」

「その?」


 歯切れの悪い態度に、どこか違和感を感じてしまう。彼女は、ここまでごにょごにょと話すようなタイプだっただろうか。


「べ、勉強!教えて、ほしいんだけど」

「勉強……」

「近衛、結構頭いいでしょ!?掲示されるテスト結果も毎回10位以内だし!」


 確かに他人に教えられるくらいには余裕はあるけど、それはそれとして彼女にか。

 僕らは恋人でなければ、なんなら友人と呼ぶかも怪しい。僕らの関係を表す言葉は、幼なじみと言う他ありはしないだろう。

 少し疎遠になった幼なじみ。彼女の為に勉強を教える時間を割くと言うことは、友人や自分の為の時間を削るということ。


 なんてごちゃごちゃ考えたけど、結局は彼女の為に時間を使いたいか否か。それだけの話だ。


「えーっと、どのくらいの期間?金本は塾とか通ってるの?」

「通ってたら近衛に頼まないわよ!ううん……、出来れば受験までは。週に2・3日くらいでもいいから、お願い!」


 拝むようなポーズをする彼女を見て、僕は少し真剣に考え始める。

 彼女は勉強を教えてもらえるメリットがあるけど、僕には何のメリットもない。他に割く時間がなくなるから、むしろデメリット多めだ。

 女子に二人きりで勉強を教えることにメリットを感じる人はいるだろうけど、生憎と僕はそうじゃない。ちらほら周囲からいいよなという声が聞こえてくるけど相手は金本だし、幼なじみ相手にそんな気は起きるとは思えない。


 断る、という選択肢が僕の結論の90%を占めてしまって。だから断ろうと口を開こうとした時、彼女は小さく呟いた。


「……やっぱ、ダメよね」


 その声は震えていて、酷く悲しげな声音で。寂しがり屋の幼子を連想してしまって。


「いいよ」


 それを聞いてしまったら、断るなんて選択肢はなくなってしまって。僕の口からは、自然と承諾の言葉が滑り落ちていた。


「ほんとに!?」

「うん。金本に教えれば、僕もより理解できるかもしれないし」

「え、えへへ……、ありがと近衛!」


 そうして僕らは受験まで、定期的に勉強会を開くことになった。



「違う違う。その値を代入するのはこっちだよ」

「んー?……あ、なるほどね!」


 夏は過ぎて秋になっても、意外にも僕らの勉強会は続いていた。勉強があまり得意じゃなく飽きっぽい彼女だから、勉強会なんて続くとは思ってなかったんだけど。


 週に3回、月・木・土曜日の、大体17時から20時の3時間だけ。彼女の部屋で、僕は家庭教師まがいの事を続けている。

 数学が苦手で躓いているとはいえ、他の教科はやや合格ラインを下回る程度。順調にいけば、彼女の内申点なら合格は出来ると思う。


「おまたせ~!いつもいつも、ありがとうね宗くん!」

「も~、入ってこないでって言ったじゃんお母さん!私たち勉強してるんだけど!」


 彼女の両親はこのように、僕がここにいることには好意的だ。度々差し入れとしておにぎりやドーナツをくれたり、お腹が空き始める時間帯にはありがたい。

 彼女も満更でもないような反応をするから、僕らが付き合っているかもと邪推をしているんだろう。どちらもそんな気は抱いていないから、完全な空振りなんだけど。


 そうこうしながら時間は過ぎていって、季節は冬に移行する。年の瀬も近づいてきたとある日の勉強会で、彼女は僕に質問をした。


「……近衛は、さ。クリスマスイブとか、予定ある?」


 思春期の中学生にとって、この時期には鉄板の質問だった。

 ただ、僕らの今の関係値でそれを聞いても何も起こりはしないだろう。幼なじみ以上友人以下の僕らでは、この話題に花を咲かすのは難しい。


「あるよ。友達と遊びに行く」


 だから、あえて素っ気ない返答をした。


 僕はかなり余裕があるとはいえ、彼女は未だに合格ラインの少し下。周りの受験生次第では落ちてもおかしくない、そんな立ち位置に立っている。

 だからこそ、あまり他事に意識を向けてほしくはない。彼女が受からなければ、僕もかなり気落ちしてしまいそうだから。


「と、友達って?」

「あー、知ってるかな、3組の女子バスケ部の杠。彼女に誘われて、少し町中をふらつく予定」


 2年の頃に友達になった、杠かえで。ショートの茶髪と大きな瞳が特徴の、話していて楽しい友人の一人。クラスが替わってもその友人関係は途切れず、休日には偶に遊びに行くような関係になった。

 そんな杠に電話で誘われて、僕のクリスマスイブは彼女との街ぶらに決まった。杠とは気が合うので、密かに楽しみにしている予定でもある。


「そ、れって、デート……?」

「ではないと思うよ。僕も杠も、お互いにそういう目で見てないし」

「こ、近衛はそうでも、杠さんは分からないよ?」

「……そうだとして、それは金本に関係があるの?」


 なんとなく、杠を悪く言われているように感じてしまって。その話題を早く終わらせてしまいたくて。 彼女は他人の恋愛が気になってしまう女子特有のものだというのに、友人でもないただの幼なじみに詮索をされたくなくて。


 そんな打算と少しのいらつきで、僕は強く彼女に当たってしまった。


「……ごめん。今のは、その、少し強く言いすぎた」

「…………近衛にとって、私ってなに?」


 おっと、彼女の気の強い一面が出てきたか。売り言葉に買い言葉のように、彼女の中の何かに火をつけてしまったんだろうか。

 若干の涙目で僕を睨む彼女に、僕は自分の数十秒前の行動を少しだけ後悔する。適当に合わせていれば良かったはずなのに、どうしてあんな事を言ってしまったんだろうか。


「なにって?」

「私の勉強を見てくれてるのはどうして?私に、優しくしてくれるのはどうして!?」

「どうしてって言われても……」

「答えてよ近衛。私たちの関係って、どういうものなの?」


 彼女は僕に詰め寄るように近づいてきて、僕の胸元に縋り付く。

 どこか恋愛映画で見たようなシチュエーションだけど、感情は映画のそれとは全く違う。こんな場面を誰かに見られるのも嫌だし、正直に言って離れて貰おう。


「僕がこうして教えているのは、本当にただの気まぐれなんだ。たとえ金本じゃなくても、僕はこうして教えていた可能性がある。それが友人なら尚更」

「……」

「僕らの関係は、幼なじみでしかないんじゃないか?それ以上でもそれ以下でもない、恋人や友人とは独立した存在。少なくとも、僕はそう思ってる」


 これがきっと、僕の本心だ。他にも細かな考えはあるだろうけど、そこまで拾っていたらきりが無いし。

 恐らく彼女の求めるものとは違うだろうけど、だからこそ冷静になってくれるとありがたい。


 だけど彼女は僕に縋り付いたまま、僕の服を離そうとしない。そしてそのまま喉を震わせながら、振り絞るように彼女は声を発した。


「そんなの、嫌……」


 彼女のその一言で、僕の中にうっすらとした仮説が出来上がってしまう。

 彼女があの日、僕に電話をしてきた意味。他の誰でもなく、僕に勉強を見てくれるよう頼んだ意味。杠の話を聞いて、こうして僕に半ば抱きついている意味。


 でも、そんなはずがない。僕は彼女に対して、特別なことは何もしていないんだから。

 頭の隅に仕舞って、この仮説をシャットアウトする。目も当てられないような事態にならないためにも、僕はこれから鈍感を演じなければ。


「僕と幼なじみは嫌?」

「そうじゃない!……てか、なんでここまでして分からないの」

「それなら良かった。僕らはこれから先も幼なじみだ。金本が僕と同じ高校に受かれば、少なくとも3年は今と似たような時間が続くと思うよ」


 彼女の肩に両手を置いて、力を入れつつゆっくりと僕から遠ざける。

 僕の分かりやすすぎる慰めが効いてくれたのか、彼女はすんなりと身体を戻す。まだ不満そうな表情はしているけど、でも言いたいことは飲み込んでくれたみたいだ。


「……クリスマスさ、勉強教えてよ。イブはいいから」

「分かった。それじゃあ、クリスマスは金本のために空けておくよ」

「なっ!?い、言い方がずるい……!」


 さっきまでと違って、場の雰囲気はいつも通りの勉強会に戻ってくれた。赤面する彼女に僕が苦笑いをして、いそいそと勉強を再開する。そんな幼なじみの距離感。


 彼女のことが嫌いなわけじゃない。気の強い一面は素敵だと思うし、自分の意思をはっきりと持っている部分は好ましいとさえ感じる。

 ただ単純に、彼女の優先順位が低いだけ。幸いにも僕は友人が多い方で、とりわけ性格のいい人たちに恵まれている。


 彼女はそんな人たちと未だに出会っていないだけだ。だからただの幼なじみの僕に、少しばかり執着してしまっているだけ。


「あはは、それじゃあさっきの問題の続きだけど――」


 きっと、高校に入れば彼女の目も覚めるだろう。

 僕より魅力的な異性なんて、見渡すだけでそこら中にいる。僕なんかじゃ、彼女には釣り合うはずもないんだから。


 そうしてクリスマスを越えて、年が明けて。勉強をして、教えて、友人と遊んだりして。

 そんな日々を過ごして、僕らは高校生になった。


「やっほ、お待たせ金本」

「やっほ、おはよう近衛!」


 セキワ校の制服に僕らは身を包み、この春からこの高校に通っている。

 金本はちゃんと高校受験を乗り切って合格して、無事この高校に通うことになった。高校は歩いて20分ほどの場所にあるので、入学してからこうして二人で登校をしている。


 この時間で交わされるのは、なんてことの無い会話。もう友人は出来たかとか、あの先生は宿題が多そうだとか。上っ面だけの、深くは踏み込まない会話。

 それでも会話の節々から窺えるものはある。新しい環境への期待と、人間関係の変化の兆し。幸いにも僕の周りは積極的で面白い人たちばかりで、既にクラスメイトの事が好きになっていた。

 彼女はというと、どうやら新しい人間関係にはまだ上手く馴染めていないみたいだ。もっともこれは彼女からではなく、彼女のクラスの知り合いに聞いた話ではあるけれど。


 それでも、本人なりに頑張ってはいるみたいだ。だったら、僕がすることは何もない。僕らは部活に入れば朝の登校時間も違ってくるだろうし、自然と離れていく関係でしかない。

 中学の時のように、緩やかに僕らの関係は終わる。残念ではあるけど、仕方のないものだとも思っている。


 僕らは、ただの幼なじみなんだから。



 そうして、高校生活も順調に過ぎていく。

 僕は中学と同じくサッカー部に、彼女も中学と同じく吹奏楽部に入部した。クラスも離れて、部活の為に登校時間も下校時間もずれていって。案の定、僕たちの関係は中学3年生の夏前まで巻き戻った。


 だけど、中学の時とは少し違う。なぜなら、彼女の事を彼女のクラスメイトからよく聞くからだ。

 そして、中学3年の時の事が頭から離れないからだ。


「お昼とかね、ふらっとどこかに行っちゃって。宗也くんの幼なじみだし、色々話してみたいなとは思ってるんだけど」


 どうやら彼女は、未だにクラスで馴染めていないようで。

 昼食を食べるときなどは教室や学食にはいないらしい。外階段で見かけた人曰く、一人でお弁当を食べていたそうだ。


「もしかして、いじめとか?」

「ううん。むしろ、クラスの皆どうやって接していいのか分からなくて。金本さん、1年の後半くらいから目に見えて暗くなっていったから」

「1年の後半?」

「そのせいであんまり人付き合いが出来ていないみたい……。ねぇ宗也くん、わたしどうすればいいと思う?」

「心配しないで。ちょっと僕の方で聞いてみる」

「……うん、じゃあ宗也くんに任せるね」


 彼女のクラスメイトにそう返事をして、僕はゆっくりと目を瞑る。その後の彼女のクラスメイトの話は、あまり耳に入ってこなかった。


―――


 雰囲気に流されて、周囲と歩調を合わせて。選ばなくてもいい状況を作って、自分の意思を介入させない。僕はそうやって、最適な温度で生きている。

 地頭と要領がいいと言われることが多いけど、その多くはこの生き方に起因しているものが多い。


 そしてその中で、自分の明確な意思で選択をしたものがある。

 それは金本との勉強会。断る選択肢があったのに、何故か僕は彼女に勉強を教えることを選んでしまった。彼女に関わることを決めてしまった。


 そういった意味で、自覚がないままに金本は僕の特別だったのかもしれない。こうやって高校生活を過ごすことで、それがようやく分かった。

 だって、あの勉強会の時間が楽しかったと、今になって感じているのだから。


「やっほ、久しぶり金本」

「なっ……!?」


 彼女のクラスメイトと話をした、翌日のお昼休み。

 クラスの友人達に断りを入れて、僕は金本がどこにいるかを捜索することになった。教室も食堂も中庭も、以前に目撃情報があった外階段もおらず。

 彷徨うように校内を歩いていると、ふと1年生の頃の金本との会話を思い出した。そうして職員室を経由してその場所に行けば、僕の勘は当たってくれていた。


「ど、どうして近衛がここに……!?」

「どうしてって言われると……、気まぐれ?」

「……はぁ、なによそれ」


 屋上に繋がる階段。その一番上の場所に、金本は居てくれた。

 ウチの学校は平時だと屋上を開放しておらず、それを教員側が生徒へ周知しているから人は滅多に来ない。人目がなく、かつ外の天気にあまり左右されない。

 一人ご飯をするには、きっと最適な場所だ。


 どうして金本はこんな場所に一人でいるのか。そんなことを無神経に聞けるほど、僕はもう無知ではなくなってしまった。

 だからこそ、僕は偶然を装って金本に接触する。お互い、感情だけで話すような子供じゃない。僕の意図をある程度汲んでくれるという期待を、金本に抱いて。


「もうご飯食べちゃった?」

「……まだ。近衛はいいの?他の女の子と食べなくて」

「なんだそれ。いつも一緒に食べてる友達は食堂だって。それで、折角だから屋上で食べようかと」

「屋上って……、近衛は知らないの?この学校、屋上は封鎖されてるわよ?」

「勿論知ってるよ。でも、今日は違う」


 そう言って、僕はズボンのポケットから鍵を一つ取り出した。さっき担任に頼み込んで貸して貰った、屋上を開ける鍵だ。

 金本の横を通って、その鍵を使う。軋むような音を鳴らしながら、屋上の扉をゆっくりと開いた。


「ほら、今日だけは屋上が開放されてる」


 そう言って、座っていた金本に手を差し出す。金本はすごく困った顔をしたけど、そこからゆっくりと笑顔になった。

 僕に出来る事はここまで。場を整えても、金本が何も話してくれなかったらそれまでだから。

 こんな事をするのは柄じゃないって思ってるのに、僕は特別を自覚をしてしまったから。だから金本に手を伸ばす。


 たった一人だけの、特別で大切にしたい幼なじみに。



 私には幼なじみがいる。


 彼の名前は近衛宗也。私――金本百合と同じ、高校二年生。

 黒い髪を真ん中で分けた、目元のほくろが特徴の今風のイケメン顔。身長は私と比較して20cmくらい高いから、大体175かそこら辺。


 パッと見は大人しめなのにノリが良くて、いつもクラスの中心で笑っているようなタイプ。そんな性格のお陰か近衛を嫌う人はあんまりいなくて、教師や大人も近衛には全幅の信頼を置いている人が増えていった。

 その度に心の中で勝手に誇らしく感じることが多々あって、近衛の幼なじみだという事実に幸せを感じていた。近衛にとって、私はただの腐れ縁に過ぎないというのに。



 私にとって、小さい頃から近衛は特別な存在だった。

 母親同士が大学の同じゼミ、父親同士が地元の友達。そして、家は歩いて数分の場所にある。そこまで環境が整っていれば私たちが幼なじみにならないわけもなく、物心つく前からよくどちらかの家で両親同伴のもと遊んでいた。

 

 きっかけは、幼稚園の年少さんの頃に海に行ったとき。

 ベタな話だけど、私が溺れていたところを近衛が助けてくれた。勿論、それだけじゃ恋心はここまで続いてくれない。


 普段はぶっきらぼうで、小学校でも中学校でも話すのは少しだけ。でも、近衛は私を見つけると絶対に手を振ってくれる。どれだけ離れていても、誰と一緒にいても。

 中学生なんて色恋で皆うるさくて、近衛は皆の中心に近い人間だからそれも多い。近衛も皆に言われることは多いはずなのに、それでも私にそうしてくれる。

 誰にでもはしないそれに、何度か他の女子から妬みの籠もった視線を受けたこともある。でも、そんなのは気にしない。近衛にちゃんと見られているのは、私だけなんだから。


 それから程なくして、近衛がセキワ校を受験するのを知った。

 毎試験で10位以内に入る近衛とは違って、私は200人中70位前後をうろうろしている程度の学力。とてもじゃないけど、偏差値がここら辺ではトップクラスの学校には入れない。


「も、もしもし!」


 3年の夏休み。それまでは自分で努力をしたけど、どうにも成績は伸びず。最後に考えていた博打のような手段の為に、近衛に電話をかけた。

 電話口から聞こえる近衛の声は、私の心臓にかなりの負荷をかけたけど。


『うん、もしもし。なんか、久しぶりに電話した気がする』

「そ、そうよね!うん、久しぶり……。……ねぇ、今何してる?」

『友達と海に来てるよ。具体的には、サッカー部と女子バスケ部で』

「う、み……」


 相変わらず行動が陽の者過ぎるとか、女子バスケ部も一緒なのとか、私も近衛と二人だけで海に行きたいだとか、受験勉強は大丈夫なのとか。

 そんな思考がグルグル回り始めた私に、近衛はいつも通りの声音で問いかけてきた。


「それで、急にどうしたの?もし長くなる話なら、明日でもいい?」


 たったそれだけの言葉で、自分がここまで苦しむなんて思ってなかった。


 私は近衛ほど要領がいいわけでも、皆に好かれてるわけでもない。少しの友人と教室の後ろで話しながら、時々悪口を囁かれるような普通の子、それが私だ。

 でもそんな私だからこそ、強い心を持っていると思っていた。いろんなイベントに慣れないながら参加して、いろんな人を見てきた私だから。そんなのじゃ傷つくはずないって、思っていた。


「……あはは、なんでもない。誰かと電話したくなっただけだから。海、楽しんで」


 そんな事を言うのが精一杯。泣かないでいるのが精一杯。

 私は、私が自覚をしている以上に近衛のことが好きで。近衛は、私が思っている以上に私について興味が無い。

 その事実を突きつけられて、私は電話を切って泣くことしか出来なくて。その現実から目を逸らすために、眠ることにした。


 目を覚ますともう22時過ぎで、一日を無為に過ごしたことに少しの罪悪感を覚える。でも、私の胸の痛みは消えてくれてはいなかった。


「近衛ぇ……」


 物心つく前からの幼なじみなのに、未だに下の名前で呼び合うことすら出来てない。たったそれだけの事実に、また涙が出てきそうになる。

 客観的に見ても、私は目立つような可愛さは持っていない。華やかでかっこよくて、学校内外問わず友人が多い近衛には、きっと釣り合ってなんかない。


 そんな事分かってるはずなのに、痛いほど理解してるはずなのに。

 どうして私は、近衛への恋心を諦めることが出来ないんだろう。


 そんな折、胸に抱いていたスマホがメッセージアプリの通知を知らせる。23時前のこんな時間に、いったい誰からだろう……。……っ!?


「こ、近衛から!?」


 送り主は、私の最愛の人。そして内容は、昼間の事を謝りたいから話す時間が欲しい、との事だった。

 至って簡素で、何の飾りっ気もないメッセージ。しかもこんな時間に送ってくるなんて、ほんと自分勝手だし。


 なのにこんなに胸が高鳴るなんて、近衛はズルすぎる。


―――


 あの日から、近衛は私に勉強を教えてくれることになった。勉強会という名のお家デートだと、私は密かに考えてるけど!

 そして一つ分かったこととして、近衛は人に物事を教えるのがとても上手だ。教え方も優しいし、なんなら距離も近い。それでいて私のレベルにあった小テストを毎回用意してくれる。お金を払った方がいいかなと真剣に考えるくらいに、近衛は真摯に私に向き合ってくれている。


「近衛はさ、クリスマスイブとか予定ある?」


 年の瀬が迫った、12月の初め頃。私の口から、不意にその言葉が漏れ出てしまった。相変わらずバグのような距離感で接してくるから、気が緩んでしまったのかもしれない。


「あるよ。友達と遊びに行く」

「と、友達って?」

「あー、知ってるかな、3組の女子バスケ部の杠。彼女に誘われて、少し町中をふらつく予定」


 女友達とクリスマスに遊びに行くと言ったことに途轍もない嫉妬が生まれたけど、相手の名前を聞いて少し納得してしまった。

 杠かえで。明るくて運動も出来て、それでいて近衛を好きだという噂が女子の中で密かに流れている子。私とは似ても似つかない、綺麗で強い陽の人。クラスの男子からも人気だと聞くし、異性にモテる二人がひっつくのは当然で。


 だから、どす黒い感情が心に渦を巻いてしまった。


「そ、れって、デート……?」

「ではないと思うよ。僕も杠も、お互いにそういう目で見てないし」

「こ、近衛はそうでも、杠さんは分からないよ?」

「……そうだとして、それは金本に関係があるの?」


 私達はただの幼なじみ。確かに色恋に突っ込むのはおかしいけど、それでも関係が無いなんて言われたくない。


「……ごめん。今のは、その、少し強く言いすぎた」

「…………近衛にとって、私ってなに?」

「なにって?」

「私の勉強を見てくれてるのはどうして?私に、優しくしてくれるのはどうして!?」

「どうしてって言われても……」

「答えてよ近衛。私たちの関係って、どういうものなの?」


 近衛に身体を預けるようにしなだれかかって胸元にしがみつく。

 私の望む答えは返ってこないと分かっているのに、私の激情は雪崩のように転がり落ちる。好きだという気持ちは、止まってくれる気配はない。


 知っている。近衛は誰にでも優しくて、私は幼なじみだから他の人より少し甘いだけ。私のポジションに他の誰がいても、近衛は同じ対応をする。

 私は決して、近衛の特別なんかじゃない。そんなの、嫌でも知っているのに。


「僕がこうして教えているのは、本当にただの気まぐれなんだ。たとえ金本じゃなくても、僕はこうして教えていた可能性がある。それが友人なら尚更」

「……」

「僕らの関係は、幼なじみでしかないんじゃないか?それ以上でもそれ以下でもない、恋人や友人とは独立した存在。少なくとも、僕はそう思ってる」


 好きだって言ったら、きっと取り返しがつかなくて。近衛と自然に距離が離れるのも、明確に拒絶されて距離が離れるのも。

 ……近衛と、こうやって一緒に居れなくなるなんて。


「そんなの、嫌……」



 後から聞いた話だと、杠さんはイブに近衛に告白をしたらしい。

 ただどうしてか近衛は断ったようで、少しの間だけ学年の噂はそれ一色になった。受験の影響も相まって皆もその噂をしなくなったけど、私だけはそれが心に残り続けて。


 でも結局、その噂の真意を近衛に聞くことは出来なかった。



そうしてクリスマスを越えて、年が明けて。勉強をして、教えられて、友人と遊んだりして。

 そんな日々を過ごして、私達は高校生になった。


 近衛の協力のお陰で、私はなんとか受験を乗り切ることが出来た。それでも結構ギリギリの点数だったから、日頃の内申点は馬鹿に出来ない。

 まぁ、なにはともあれ。私はどうにか、近衛と同じ高校に通えることになった。


 入学してから2週間ほどは本当に楽しかった。

 大好きな近衛と一緒に登校をして、少し無理を言った形だけど近衛と一緒にお昼ご飯を食べた。勉強会でまた沢山話すようになって、仲の良さで言うと幼稚園生の時くらいには心の距離が縮まってくれてる、と思う。

 近衛の自然な笑顔も増えて、それに何度もときめかされて!この先の関係を少しだけ期待してしちゃったりして!


 そんな生活は、私達が部活を始めてから終わりを告げる。


「あ、明日もなの?」

『うん。部活で朝練が始まっちゃったから、これからは一緒に登校するの難しいかも。お昼に関しても、友達が一緒に食べたいって言うから。前もって言ってくれたら一緒に食べれる、位の頻度になると思う』

「そ、っか……」


 それから近衛をまた誘う勇気も出ず、ズルズルと関係が薄くなっていった。


 私はといえば、クラスに友人はいるけど休日に遊ぶのは少しだけ。

聞く話によれば、近衛はすっかりクラスの中心人物。学内外問わず知り合いが多くて、うちのクラスの女子にも近衛を狙っている子がいるらしい。

 私はただの幼なじみだから、嫉妬をする権利なんか無い。


 そうして高校1年の12月。クリスマスイブの日に、とても綺麗な女性と一緒に歩いている近衛を私は町で見かけた。

 声をかけることは、出来なかった。


―――


 それからは酷い物で、過去の思い出に縋って一人で泣くことが増えた。後悔してももう遅いというのに、私は近衛を諦めることが出来ずにいて。

 そんな自分の醜さに、ほとほと呆れてしまう。


 そんな考えは高校2年生になっても相変わらずで、上手く他人と関わることが出来ず。生来の自分の暗い部分が前面に出てしまって、私はクラスで孤立し始めた。

 別に孤立したくてしたんじゃない。ただ、誰とも関わろうとしなかっただけだ。


「……うん、今日も誰もいない」


 そんな私は、昼休みになれば教室から抜け出す。

 他のクラスの友人と食べるわけでも、1年生の最初の頃のように近衛と食べるわけでもない。ただ、教室で1人で食べるのが苦痛なだけ。ただの逃避行動でしかない。


 そんな私の隠れ場所は、この学校で唯一の屋上へ繋がる階段。

 うちの学校の屋上は開放されておらず、かつ旧校舎で職員室がすぐ下にあるので中々生徒が来ることはない。外の天候にも左右されず、聞こえるのは廊下を歩く人の声だけ。

 1人で過ごすにはちょうどいい。


「やっほ、久しぶり金本」


 そう思っていた私の前に、そんな軽い調子で声をかけてくる幼なじみが現れた。


「なっ……!?」


 近衛は高校2年生になってからも背が伸びて、より大人の男に近づいていた。

 柔和な笑みはそのまま、私を安心させてドキドキさせる。誰よりも格好いい、私の幼なじみがそこにいた。


 彼は言う、ここに来たのは気まぐれだと。友人と食べる予定がなくなって、偶々ここに来れば私が居ただけなのだと。

 じゃあ、どうして息を切らしてるの?どうして、私を見つめる顔がそんなに嬉しそうなの?

 ただの幼なじみでしかないのに、恋人でも何でも無いのに。


 どうして、私をこんなに近衛に夢中にさせるの。


「ほら、今日だけは屋上が開放されてる」


 そんな私の恋心を知ってか知らずか、近衛は私に手を伸ばす。屈託のない笑顔で、私を陽の当たる場所へ連れ出そうとする。

 本当に困ってしまう。近衛がこうやって私の事を考えてくれているだけで、たったそれだけで私は嬉しくてしょうがない。心が弾んで仕方が無い。


 ゴツゴツしていて、私よりも大きい男の子の手。私に初恋を教えてくれた、私の大好きな近衛の手。私はきっとこれからも、この手に助けられていく。

 しょうがないよね。だって、私はとっくに近衛に堕ちてしまってるんだから。

だから私は、ゆっくりと自分の手を重ねる。


 たった1人だけの、特別で大切な幼なじみの手に。



「そういえば、私たちが高校1年生の時のクリスマスイブ。宗也ってデートしてたわよね、あれ誰?」


 夕食が終わってゆっくりとソファで過ごしていた僕に、百合はそんな話題を投げ込んだ。

 百合の顔には「私、嫉妬しています」と書かれていて、それを見て思わず笑みが零れてしまう。僕の彼女は、相変わらず嫉妬深いようだ。


「もう5年も前の事を……。部活の先輩で、マネージャーだった人だよ。僕は友人と、あの人は彼氏と待ち合わせしてて、少しの間一緒に歩いただけ」

「……ふーん」


 どこか納得のいっていない様子で、百合は僕の腕にひっついてくる。

 大学に入る為に地元を出て、そこから同棲が始まって2年と少し。なんとなく、百合がこういうときに何を求めているのかが分かるようになった。

 百合の手を取って、僕は自分の本心を告げる。


「僕の特別は百合だけだよ」

「うにゅう……!そ、宗也はズルいのよ……!」


 そう言いながら、百合は僕の手を強く握り返す。

 そんな嫉妬深くて可愛い百合が愛おしくて、心が満たされていくのを感じた。


「好きだよ、百合」

「……えへへ。私も、大好きよ宗也」


 ただの幼なじみから始まった僕らの関係は、きっと収まるところに収まった。

 思春期特有の感情を乗り越えて、本音で話せるように成長して。そうしてようやく、僕らはこの場所にたどり着くことが出来た。


 これから先、何度もすれ違って何度も喧嘩して。それでも僕らは、この場所に帰ってこれると断言できる。だてに、物心つく前からの幼なじみじゃないんだもの。だから今は安心して、この場所に2人でいよう。


 僕たちで未来の事を考えるには、きっと少し早いのだから。


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僕には幼なじみがいる 上里あおい @UesatoAoi

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