第113話

「何だよ? もう決めた事だろ?」


 僕が言ってやれば、美穂は「だって……」と言いにくそうに切り出した。


「だって流しちゃったら、もう取り戻せないじゃない」

「そうだな、分かってるよ」

「由佳子さんの写真も、あの時燃やしちゃったのに……。二人の形見なんだから、別にずっと持ってたっていいじゃない」

「最初から決めてたんだ。ほんのちょっとでも教師としてやっていける自信が付いたら、こうするって。いつまでも見守ってもらう訳にはいかないだろ?」

「だったら、やっぱりお墓の中にれない?」

「別々の墓に入れるなんて、可哀想だろ? もういい加減、二人きりにしてやりたいんだよ」


 僕はズボンのポケットから、二つの白い包みを引っ張り出した。一つには由佳子さんの遺髪、もう一つには兄貴の遺髪が包まれている。僕は二つの包みをそっと開いた。


 その瞬間、優しい潮風が二つの遺髪を全てさらった。絹糸のように細い髪達は、何か言葉を発する間もなく僕の目の前から遠ざかり、外海の方角へと消えていく。そのあまりにも儚く、そして呆気ない様に僕は少しおかしくなって笑ってしまった。


 美穂の待つ波打ち際まで戻ると、そのままどかりと腰を下ろした。両手を空に向かって突き伸ばし、ゆっくりと仰向けに倒れ込む。汗ばんだ背中に無数の砂がくっついてくすぐったかった。


「バカね、服が汚れちゃうじゃない」


 そう言いながら、美穂も僕と同じように腰を下ろし、ごろりと寝転ぶ。ちらりと横目で見てみると、美穂は昔と同じ優しい笑顔をしていた。


「康介さんと由佳子さん、どこまで行くのかしら……」


 美穂がぽつりと言う。僕は「さあ……」と答えた。


「本当、どこまで行くんだろうな」

「私、二人がうらやましいわ」

「何で?」

「もう、離れないですむから」

「……」

「何が起こっても、ずっと二人一緒だから」

「ああ、そうだな……」


 僕は外海の方に意識を向けた。未来永劫続いていくであろう波の音が、僕の耳に心地よく響いている。僕はつぶやくように言った。


「もう大丈夫だぞ、兄貴……」


 どこか遠くから、子供達のはしゃぐ声が聞こえてくる。それを懐かしく思いながら、僕はそっと目を閉じた。



(完)

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祈るように、僕は泣く。(令和改訂版) 井関和美 @kazumiiseki

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