第三話 卒業
ハイドンの告別という曲をご存知だろうか。
別れとはいつの時代も残酷なものであるが、卒業に限って言えば、それが全員に等しく一斉に起こるという点に於いて、幾分の救いがある。
告別のように楽器が一つ、また一つと消えていく孤独感を、少なくとも表面的には味わわずに旅立てることは、大きな喜びであると言えるだろう。
三月一日。聖リュンヌにも、ついに卒業の季節がやって来たのだ。
「在校生による送辞。二年B組、宝生初花」
卒業式の雰囲気に呑まれた私が、割とくだらない考え事をしている間に、教頭先生のアナウンスに呼ばれた宝生先輩が、舞台袖から原稿を持って登場した。
私はあくまでも風紀副委員長という立場なのだが、生徒会役員が人手不足だからと、水無月と一緒に、幕の上げ下ろしや放送機器の切り替えなどの仕事を任されていた。
とはいえ、それらの作業はほとんど序盤に終了しており、現在はこうして二階席の一番端の暗がりで、卒業式の進行を見守っている。
ちなみに、宝生先輩にスポットを当てているのは、何を隠そうこの私だ。
水無月のすぐ脇にもスポットライトがあるのだが、それのスイッチまで入れてしまうと、宝生先輩の手元が明るくなりすぎて、原稿がまったく読めないという事態に陥ってしまう。
「二年B組、生徒会長の宝生初花と申します。三年生の皆様、ご卒業おめでとうございます」
さっそく出てしまった、と私は思った。形式を重んじる厳粛なる卒業式のスピーチは、宝生先輩の器には狭すぎるものだったらしい。
マイペースな宝生先輩は手にした原稿を一切見ず、口調こそ上品だが、まるで友達に話しかけるようなフランクなスピーチを続けた。
「本日は卒業生の皆様に、挨拶に代わって、ちょっとした恋の助言をさせていただこうと思います。教科書に載っていることだけ頭に詰め込んでも、好きな相手の心は奪えません。大切なのは、押し倒す勇気と、肌に触れるタイミングですわ」
心から役に立たないアドバイスである。
一瞬、スポットライトを消してやろうかと思ったが、水無月に怒られそうなので、やめておいた。
「恋の正体の九〇パーセントは距離感ですのよ。状況が味方してくれるのを待つのでなく、環境を自ら作り出そうと思うくらいのアグレッシブさが必要ですわ。そのためには、授業中でしょうが食事中でしょうが、気にせず恋のトラップを考えるべきです」
在校生たちが涙ぐんでいる。
刻一刻と三年生の先輩たちとの別れが近づいていることに泣いているならわかるけれど、宝生先輩のスピーチに感動して涙を流しているのだとしたら、在校生たちの将来は大いに案じられる。
「最低限の社会的行動が取れていて、法にも触れず、自分だけではない誰かとの幸せを追求している限り、この世界は何をやっても自由なのです。空気は読むものではなくて、作るものですわ」
宝生先輩らしい、非常に外交的で積極性に富んだアドバイスである。
一方の私は、宝生先輩ほどの天文学的サイズの器を持ち合わせていないため、明日にでも活かせるような教訓を、彼女のスピーチから発見することはできなかった。
しかし、これに対する答辞は、実にしっかりとしたものだった。体育館に集まった誰もが、彼女の卒業を名残惜しく感じたことだろう。もちろん、私もその一人である。
「答辞。卒業生代表、三年A組、天野・クリスティーヌ・アヴリル」
蜜の色を流し込んだかのような金髪ハーフアップが、ステージに上がる。私がスポットライトを当てると、彼女の髪は秋雨上がりの麦畑のように煌めいた。
演壇のマイクを前に、アヴリル先輩はすぐに原稿を読み始めることなく、感慨深げな面持ちでぐるりと体育館を見渡した。
その沈黙に生徒たちはざわめくこともなく、ひたすら彼女の言葉を待った。全生徒が彼女のことを信頼している証である。しばらくして、アヴリル先輩はゆっくりと口を開いた。
「卒業生代表として、ご挨拶を申し上げます。三年A組、天野・クリスティーヌ・アヴリルです」
彼女の声はよく通る。その硝子細工のように澄んだ声音は、マイクを通しても変わらないようだ。
「本日は、私たちのためにこのような心のこもった卒業式を挙げていただき、ありがとうございます。生徒会長の有益な助言を胸に、今日、私たち一二一名は、聖リュンヌ学園高等学校を卒業します」
宝生先輩の助言のどこが有益だったのか、凡人の私にはやっぱりわからない。
けれど、アヴリル先輩は宝生先輩への賞賛を交えながら、学園生活を振り返った上での感謝や別れの言葉を述べていく。
思えば、アヴリル先輩との思い出は多い。あるときは木陰に連れ込まれ、またあるときは風紀委員会室でキスを交わし、体育祭の日には校舎裏で、文化祭の日には生徒会室で抱かれた。
そのすべての記憶が、まるで美しい思い出だったかのように書き換えてしまう卒業式の魔力に恐れを覚えつつも、私は少しだけ切なくなった。
いよいよ、今日でアヴリル先輩は聖リュンヌからいなくなってしまうのである。
卒業証書を受け取るときも、論文の表彰を受けるときも、そして退場するときも、アヴリル先輩はいつもと同じ余裕の笑みを浮かべたまま、表情を変えることがなかった。
私には、それがひどく物足りないような、寂しいような感じがした。
「アヴリル先輩……」
卒業生が退場したあとはPTAの役員が退場し、続いて在校生の退場となる。
私は残りの仕事を済ませると、水無月と合流して、クラスメイトたちより少し遅れて体育館をあとにした。
「なんだか、あっという間だったねぇ。私たちも二年後には卒業なんて、嘘みたい」
「そうだね」
他愛のない雑談を交わしながら、渡り廊下を歩いて校舎のほうへ戻ろうとした、そのときだった。
不意に、グラウンドを横切る一つの影が見えた。ちらりと見えた人影に、私は思わず息を呑む。
「どうしたの? 弥生ちゃん。いきなり血相を変えて」
「……ごめん、水無月。私、ちょっと行ってくる!」
「え、ちょっ、弥生ちゃん!? ホームルームはどうするのぉ!?」
水無月の叫び声を背中に聞きながら、私は駆け足気味にグラウンドを突っ切った。
さっき、視界の隅に入った影。あれは、間違いなく。
***
「アヴリル先輩。こんなところで、何をしてるんですか?」
予想通り、校舎裏の壁にもたれていたのは、私の大切な恋人であるアヴリル先輩だった。
「今頃、卒業生のクラスは最後のホームルームですよね?」
「そうね。だけど、先生のお話ならいつでも聞けるから。それより、今は綺麗に咲いた桜を見ていようと思って」
彼女の微笑がどこか寂しげに見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
「私が聖リュンヌで迎える春はこれで最後。もう、見納めになってしまうからね」
「……好きだったんですね」
私が尋ねると、アヴリル先輩は静かに頷いた。
「ええ。校舎裏でひっそりと咲いている、この桜が好きだったの。とてもね」
ひらひらと舞い散る桜の下で微笑んでいるアヴリル先輩の姿は、なぜかとても儚げに見えて。このままアヴリル先輩が消えてしまうのではないか、とさえ思った。
だから、彼女をこの場に引き留めたくて、私は振り絞るような思いで口を開く。
「先生にいつでも会えるように、この桜だって、アヴリル先輩が望めば、いつでも会えます」
私はアヴリル先輩をまっすぐ見つめて、言い募る。
「見納めになるなんて言わないで、またこの学園へ遊びに来てください」
「そうね。あなたの卒業式にでも、見に来ようかしら」
「……寂しくなります」
思わず漏れた私の本音に、アヴリル先輩は目を細めた。茶目っ気を含んだ、けれど優しい眼差しで、私の顔をじっと見つめ返す。
「卒業しても会いに来るわ。帰りが遅くなる日はメールをして。迎えに来るから」
「そ、そんな……」
それはさすがに申し訳ないと、慌てて断ろうとする私の先を制して、アヴリル先輩は続けた。
「私がそうしたいのよ。この一年で、あなたはとてもとても可愛くなったから、心配なの」
「アヴリル先輩……」
「そして週末には、二人の時間を過ごしましょう。あなたの家でも、私の家でも構わないし、遊びに行くのもいいわよね。連休には、少し遠出をしてみましょうか?」
私は小さく頷く。宥めるようなアヴリル先輩の言葉が、私の胸にじんわりと染み入ったからだ。
「ああ、そうだわ。第二ボタンの代わりと言ってはなんだけど、私のネクタイを貰ってくれる?」
「え?」
「これからも聖リュンヌに残るあなたが、寂しくならないように。それとも、弥生はこういう古風な習慣は嫌いかしら?」
困ったように眉尻を下げるアヴリル先輩の問いに、私はぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「……好きです。大事にします」
優しさに溢れる言葉に釣られて、私もちゃんと笑うことができた。
だから、もう大丈夫だと自分では思っていたけれど、アヴリル先輩は、まだ私の胸の奥には悲しさの色があることを見抜いていたようだ。
「弥生がそんなに不安なら、とびきりの元気が出る魔法をかけてあげる」
「魔法……?」
思わず目をしばたたかせた私を見つめ、アヴリル先輩は甘く囁いた。
「これからも私たちは、絶対に、ずっと一緒にいられるという誓いを、あなたに捧げるわ。さあ、目を閉じて」
彼女の指先が、促すように、私の頬を軽く撫でた。私が素直に従うと、唇に柔らかな感触が降ってくる。
それは、私の不安や悲しみをすべて拭い去ってくれるような、甘く蕩けそうなキスだった。
静かで、優しく、穏やかで。この世の何よりも神聖なもの。
唇の温もりが教えてくれる。彼女の想いが伝わってくる。アヴリル先輩は、私のことを心から愛してくれているのだと。
桜が舞い散る春の日、私たちの心が、今まで以上に強く結ばれたのを感じた。
口づけは始まりと同じく、緩やかに終えられた。アヴリル先輩はゆっくりと身を引くと、私の瞳を覗き込みながら言う。
「大丈夫よ。私と弥生は、ずっとずっと一緒だから」
「アヴリル、先輩……」
私の眦に浮かぶ涙が、ほろりと零れて頬を伝った。
「……大丈夫です。ちゃんと、信じられます。例え、少し距離が離れたとしても、ずっと一緒にいられるって」
私の言葉を聞いたアヴリル先輩は、少しだけ擽ったそうに苦笑すると、首を傾げた。
「それなら、なぜ泣いているの?」
「これは、嬉し涙です」
アヴリル先輩がくれた誓いがとても嬉しくて、自然と泣けてしまっただけ。
卒業していくアヴリル先輩を、見送らなければならない。それは、とても悲しい現実。だけど、私の胸は今、寂しさよりも、もっと大きな幸福感でいっぱいになっている。
私とアヴリル先輩の関係は、これからもずっと続いていく。彼女がくれた未来の予感は、卒業の寂しさ以上に、胸を甘く切なく締めつけるようだった。
卒業する彼女に負けないように、私ももっと成長していきたい。なぜなら、大人になっていくアヴリル先輩は、今まで以上に私の心を奪うから。
***
空も、木々も、そして人々も、冬の重い衣を脱ぎ捨てたくなるような、柔らかい日差しが降り注ぐ三月十四日。
春色に染まり始めた街並みを眺めながら、私は駅前へ続く道のりを歩いていた。
「待ち合わせ時間まで、あと二〇分くらいかな」
ちらちらと時計を見ながら、私はゆっくりと踵を進めていく。
気づけば幸せで頬が緩んでしまうのは、三日ぶりに会うアヴリル先輩の笑顔が、自然と頭を過ぎってしまうから。
『弥生、一つ聞きたいのだけど。十四日の放課後は空いているかしら?』
『はい。風紀委員会の仕事がありますが、それ以外の予定はありません』
『そう。では、一旦帰って着替えてからでいいわ。あなたさえよければ、デートをしない?』
そんなやり取りをしたのは、つい数日前のこと。いつものようにさらりと話を振ってきたときの、しかしこの上なく優しい彼女の表情は、今でもはっきりと思い出せる。
アヴリル先輩とのデートは、これで何度目になるだろう。
イベントや大切な日はいつも二人で過ごしてきたけれど、彼女が聖リュンヌを卒業してからは、これが初めてのデート。
だからなのかはわからないが、昨日はほとんど眠れていない。その様子は、まるで初デートに浮かれる男子生徒の状態とでも言うべきだろうか。
そして結局、私が目的地に辿り着いたのは、予定時刻の十五分前だった。
「確か、待ち合わせ場所は、っと……」
時計から顔を上げ、軽く周囲に視線を向けてみる。すると、人混みの中でも、ひと際目立つ金髪ハーフアップが視界に飛び込んできた。
「アヴリル先輩、もう来てたんですか? すみません、お待たせして。急いだつもりだったんですけど……」
「いえ、大丈夫。私も今、来たところよ」
そんなベタすぎる言葉を交わしたのち、私たちは肩を並べて歩き出した。
「そういえば、アヴリル先輩。これからどこに行くか、決まってるんですか?」
「ええ。実は、夕方になったら一ヶ所、あなたと一緒に行ってみたい場所があるの。とはいえ」
ふと、アヴリル先輩は頭上に広がる青空を仰ぎ見た。
「……まだ少し早いわね。それまでの時間をどう過ごしましょうか」
「それなら、色々なお店を見て回りませんか? 二人で足の赴くままっていうのも、きっと楽しいと思います」
そう提案すると、アヴリル先輩は笑って頷いてくれた。
並んで歩いて、一緒に買い物をする。デートとはいえ、普段から女友達としていることと、ほとんど変わりはない。
それなのに、なぜだろう。アヴリル先輩と二人で歩くだけで、交際を始めたときから変わらないときめきに、胸が高鳴るのを感じた。
そうこうしているうちに、時刻は十七時。楽しい時間が早く過ぎるというのは、やっぱり本当の話なのだと実感してしまう。しかも、それが休日ではなく、平日の放課後だったらなおさらだ。
気づけば、気の早い太陽は空に背を向けて、そろそろ月が一人ぼっちになる頃合い。
私たちが最後に足を運んだのは、正月にも初詣で訪れた場所。街を一望できる神社の境内だった。
「アヴリル先輩の行ってみたい場所って、ここだったんですね」
駅、私の家、住宅街、そして、私たちが一緒に過ごしてきた聖リュンヌ。山の中腹にあるこの神社からは、すべてが一望できる。
消えゆく光が染めていく街並みを眺めながら、私は感嘆の息を漏らしていた。
「すごい。ここからだと、まるで街が掌に収まるみたい……」
黄昏の世界に見惚れる私を静かに見守ってくれていたアヴリル先輩は、そこで軽く頷いて、私に向かって小さく手招きをした。
「弥生、こちらへ。確かに、ここからの風景も見事なのだけど、私が本当にあなたと一緒に見たかったのは、この風景なの」
「……桜?」
アヴリル先輩に促された場所から見える風景の中に、たった一本の桜の木があった。それを見つけた私の口から、掠れたような驚きの声が漏れる。
その桜は黄昏の光の中で、花びらをいっぱいに開き、優雅に咲き誇っていたのだ。まだ三月半ばなのに、次々と花を開くその様は、まるいで狂い咲きのようだった。
「狂い咲き、というわけではないわ。この木は、寒咲の大島桜だからね。私の知る限り、この木が、この街で一番最初に花開く桜よ」
アヴリル先輩は、私の驚きを汲み取ったように説明をしてくれる。
「この木は元々白い桜で、それ自体でも綺麗な花なのだけど、一日のうちでこの時間だけは、ほんのりとオレンジに色づくわ。その姿を、あなたと見たかったの」
「アヴリル先輩」
「それに、今日はホワイトデーでしょう? トリュフのお返しに、この瞬間の景色をあなたにあげようと思って」
「……」
オレンジに色づく最初の桜を見ながら、綺麗、という言葉でさえ表現し切れずに、私はただ言葉を失っていた。そのときだった。
「へえ、さすがは天野。中々気の利いたプレゼントじゃないか」
「確かにね。この狂ったみたいに咲いてる桜、私は嫌いじゃないわ。これはこれで、風情があるもの。ねえ? 燕」
「あたしはそこまでの境地には達してないね。桜の命は短いからこそ綺麗なんだと思うよ」
いつの間にか、背後に立っていた三人の少年少女たちが口々に感想を言い合う。
その聞き覚えのありすぎる声に半ば反射的に振り返ると、そこには予想通りの人物が佇んでいた。皐先輩と舞先輩、そして燕先輩である。
「……お三方、どこから出てきたんです? 地面から?」
皐先輩ならまだしも、この状況で最も会いたくない二人の登場に、私は口元を引きつらせながら尋ねた。
「皐と燕ならともかく、私が地面から現れるわけがないでしょう。地面は歩いたり、弥生を埋めたりするものであって、自分が潜る趣味はないわ」
「姉さんは面倒くさがりだから、砂埃が付着する地面への潜伏は、あとが面倒だから嫌いなんだよね」
「いえ、そんな話はどうでもいいんですけど」
さらりと補足を付け足した皐先輩に突っ込みを入れると、舞先輩はそうね、と頷いた。
「それで、あなたたちは夕暮れの神社でデートの途中? また、ずいぶんと古風な場所を選んだわね」
「それはこちらの台詞よ。舞こそ、水無月さんを放ったらかして何をしているの? 三人でデート?」
アヴリル先輩が負けじと応戦すると、舞先輩は明らかに嫌々といった感じで、肩を竦めた。
「こいつらとデートをするほど暇でもないわよ、私は」
「その台詞は、そっくりそのまま返させてもらうよ」
「僕も高屋敷に同意かな」
舞先輩の言葉に、燕先輩と皐先輩が即座に切り返す。
かく言う私も、舞先輩とデートをしろと言われたら、地の果てまでだって逃げるだろう。水無月は、よくこんな毒の塊と付き合っていけるものだ。
「ふむ、弥生ほど考えが顔に出る人間も珍しいわね。出にくくなるように、私が形を変えてあげましょうか?」
「え、遠慮しておきます」
本気なのか冗談なのかわからない舞先輩の台詞に、私はぶんぶんと首を横に振る。
「まあ、いいわ。私たちは暇潰しに街中を歩いてただけよ。まさか、暇だけじゃなくて、弥生まで潰せるとは思わなかったけど」
「待ちなさい、舞。今日という日が終わるまでは、彼女を潰しては駄目よ」
「今日が終わったら潰されてもいいんですか!?」
アヴリル先輩のとんでもない発言に、思わず声を荒げてしまう。
そんな私の反応に構わず、舞先輩はカーディガンのポケットから携帯電話を取り出し、嬉々として画面をタップした。
「いつがいいかしら。カレンダーに予定を入れておいてあげるわ」
「た、楽しそうに悩まないでくれる? さっきのは言い間違いだから、まずは私の話を聞きなさい」
「聞くだけならいいわよ」
舞先輩とアヴリル先輩が、わいわいとどうでもいい話で盛り上がり始める。
その姿を見ていると、彼女たちが聖リュンヌを卒業したということを忘れてしまいそうになる。
思い返せば、私が聖リュンヌに入学してから、本当に色々なことがあった。
水無月に誘われなければ、私が風紀委員会に所属することも、舞先輩と皐先輩と燕先輩に出会うことも、アヴリル先輩と再会することもなかっただろう。
聖リュンヌで過ごした一年間で、アヴリル先輩に対する気持ちは大きく変わっていった。
未だに私なんかでいいのかなと思うときはあるし、夜は変態で痴女だけど、以前より、彼女のことがわかってきたように思う。
ちなみに、聖リュンヌを卒業した彼女は、公募制の推薦入試の成績が認められ、ミッション系の大学の推薦入学を勝ち取った。合格したと聞いたときは、私のほうが喜んでしまったほどである。
また、学部こそ違うものの、舞先輩と皐先輩もアヴリル先輩と同じ大学へ進学することが決まり、燕先輩はバレーボールの強豪校に入るとのこと。
そして、私にはあと二年、聖リュンヌでの日々が残っている。
アヴリル先輩を始めとする先輩たちがいない学園生活は寂しいけれど、今まで以上に頑張りたいと思う。
私が聖リュンヌを卒業したら、そのときは、アヴリル先輩と同じ大学へ行きたいと思う。もしも私が同じ講義を取れば、彼女の隣に座って授業を受けることができる。
聖リュンヌでは学年違いだったので、そんなことはありえなかったけれど、だからこそ、大学ではアヴリル先輩と同じ教室にいることを夢見てしまう。
尤も、こんな小さな夢を話したら笑われてしまいそうだから、みんなには秘密にしているのだが。
そんなふうに、いつかの未来に想いを馳せながら、私は目の前でじゃれ合う先輩たちを、微笑ましい気持ちで眺めていた。
©️一ノ瀬友香2024.
めぐる恋の季節 一ノ瀬友香 @icnstmk
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