ゆびきり

金沢出流

ゆびきり

 アタマを掻くと雪が降る。ながい前髪の向こうにそれがみえる。机の上におちた雪の中に、虫がいた。とてもちいさな虫だ。ダニであろうとおもった。ボクはそれを指先で踏み殺してやろうとおもった。けれど殺せなかった。どうにもちいさすぎて殺せないのである。力を入れてもういちどそうした。それでもちいさな虫はたしかに生きていて蠢いている。でもボクはどうしてもその虫を殺したかったものだから、小指を、ゆびきりのカタチにして、爪の平らな部分と木製の机に挟んで押しつぶそうとした。それでもやっぱりその虫は生きていてどうしたものかといろいろ試したがなかなか殺すことができなくて、国語の授業が過ぎてゆくばかりだ。先生はさきほどからずっと教科書に記されていることほぼそのまま語っている。そんなのは時間の無駄だと思う。読んだ方がはやい。こうしたらどうだろう? と虫を手に取り、左手の親指の爪に載せ、握り拳を作り、右手はまたゆびきりのカタチで、親指の爪と小指の爪で虫を挟んで、ちからを込めた。虫はようやく死んでくれた。ちゃんと殺せた。ボクはなぜだかそれに安堵して、アタマを掻き、また雪と共に虫が落ちたら、先の方法で次々と虫を殺していった。


 はじめは手だった。それはほうきになりやがて爪切りになった。恐らくその理由は単純かつ合理的なモノで、ただ平手で殴るのでは疲れるし、ボクが起きないことだってある、ほうきで殴ればほぼ起きるがしかし疲れる。でも爪切りなら疲れない。斯くいう理由で、いちばん疲れず、確実にボクを覚醒させられる爪切りを使うことになったのだとおもう。母にしては珍しくとても合理的でボク好みの選択であったが、やられるほうはたまったものではない。


 トイレに閂をかけられてから何時間が経ったのだろう? 眠っているあいだに左頬に刻まられたマットの痕跡を掻いて、体勢を整える。身体を起こし、伸びをする。そしてまた座って、脚を抱く。喉が渇いていた。水は目の前にある。しかしそれは汚水である。便器はところどころ黒ずんで汚れている。糞便もこびりついている。タンク式の洋式便器ではないから、水を飲むとしたら便器のなかから手で掬って飲むしかない。おぞましい。


 休み時間、ボクがいつものようにアタマからでてきた虫を殺しているとかつてのともだちに不潔さをいじられた。彼はそれを周囲に喧伝し、笑わせた。

 一年前までボクもどちらかといえばあちら側だったから、まあそうだよね、と納得はした。

 でも、鈴木? ねぇ、キミはボクのともだちだったよなあ?


 放課後、かつてのともだちの後をつける。知った道だ。なんども彼の家にあそびにいったことがある。そしてこの坂を登ればもうひとけはない。

 背中を襲った。転ばせる。乗る。そして殴る。彼はなにかを言ってるが無視して殴る。殴る。殴る。拳に痛みが走る。喋る鈴木の口をそのまま殴ってしまって彼の歯が飛んだ。

 いちど殴るのをやめて傷ついた手のひらを開いた。太陽が眩しい。今は何時だろう? 傷ついた右手の手のひらを太陽に晒してみる。傷口からはするすると体液がながれてゆく。それをみてボクはなぜだか無性に苛立ちを覚えた。さっきまで冷静にただ元友人の裏切りに対して制裁を加えていたにすぎないというのに、血をみたボクは猛り狂っていた。

 もう一度おもいきり殴る。そして立ち上がり、蹴る。蹴る。理不尽で口汚い悪口雑言を浴びせながらなんども蹴り上げる。ボクは鈴木が沈黙するまでそれを続けた。

「チクったら毎日これな」とだけ言ってボクは帰った。

 彼は口を噤んだようだったけれど、拳の怪我を隠す気もなかったボクのせいで表沙汰になった。


 喉が渇いた。やはり何時間経ったかわからない。たった八時間程度かもしれないし、もしかしたら一日経過しているのかもしれない。お腹が空いていた。なんでもいいから食料がほしかった。今なら嫌いなあずきバーでもむしゃぶりつくすだろうなとおもう。喉の渇きはもはや限界にきていた。口が渇いている。もういいや、どうでもいい。ボクはもうほんとうになにもかもどうでもよくなって、目の前の水に手を伸ばした。

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ゆびきり 金沢出流 @KANZAWA-izuru

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