死んだ真弥ちゃんが畜生道に落ちても、何度でもめぐり会い、幸せになる俺

宮詮且(みやあきかつ)

第1話 真弥ちゃんが死んだ日


 零巡目 

 

 

 真弥ちゃんが、死んだ。

 俺は不死であるから、真弥ちゃんがいずれ死んでしまって、俺を残していく日があるのだろうということは、常に頭の隅にあった。

 しかし、全身の血が逆立ち、内側から俺を引き裂くような心痛、喪失感は、あらゆる想像をこえていた。今ほどあたたかい手のひらを求めたことなどなかっただろう。しかし、俺のこころを抱き止める手は、もう冷たくなって動かない。

 漠然としていた恐怖が現実に起きていたが、俺は部屋の中に座り込み、真弥ちゃんを探していた。

 真弥ちゃんがいなくなった家は、伽藍堂のようで、恐ろしく静かだった。

「真弥ちゃん……」

 ひとり、真弥ちゃんを呼ぶ。

 返るあの声はない。かわいらしい笑顔も、さらさらの黒髪も、佐伯さんと俺を呼ぶ時に見える、はにかんだ八重歯も、丸くふっくらした唇も。

 両手を広げて、俺を向かい入れ、抱きしめてくれる細い腕も、柔らかい胸も、なめらかな腰の曲線も。丸くすべすべしたお尻も、指に吸い付くような白い素肌も、あまいにおいのうなじも。

 俺は全てを失ってしまった。

 俺は、なにもかもが嫌になってしまって、毎日布団の中で、なにも飲まず食わず、ただ真弥ちゃんとの思い出を夢想し、眠り、真弥ちゃんの夢を見て過ごした。餓死を繰り返して、何度死に戻っても、やはり真弥ちゃんとのしあわせな触れ合いを忘れることなどできなかったのだ。

 貞沼や刈賀。そして神鳥が俺の様子を見にきても、俺は三人の顔をうまく認識することもできなくなっていた。

「真弥ちゃんは?」

 俺は、三人のうちの誰かにそう聞いた。誰も何も答えなかった。いずれ、刈賀とおぼしき男が、俺の頬を四、五回強く殴打していった。何事かわめいていた。俺の顎の骨が砕けたが、俺はそんなの構わなかった。俺は布団の中で目を閉じた。

「真弥ちゃん……」

 かすかすの喉が、真弥ちゃんの名前を呼んだが、その声は塵のように消えた。

 家の中にも外にも、真弥ちゃんがいた気配が残っているのだ。外に出れば、あらゆるものに真弥ちゃんを見る。出かけたことのある店、いつか行こうと言った場所。髪の色の似た人。真弥ちゃんが好きだった動物。本。映画。色。食べ物。におい。

 家の中にも、真弥ちゃんのにおいがする。真弥ちゃんがキッチンに立っている気がする。トイレにいるかもしれない。お風呂に入っているのかも。

 もしかしたら車で出かけていて、両手に食材の入った袋を持って、「佐伯さん、開けて〜」と、玄関から呼ぶかもしれない。だから家から出るわけにはいかなかった。

 真弥ちゃんのお気に入りだった、大きなふわふわのうさぎのぬいぐるみからは、真弥ちゃんのにおいがする。真弥ちゃんの布団は真弥ちゃんが起きた時のままだったから、俺は真弥ちゃんの枕に顔を埋めて、何度も自慰行為をした。

 そうしたら、真弥ちゃんが「佐伯さん、またやってるの?」と、わざと意地悪い声でやってきて、俺の背中に胸を押し付けて、耳を舐めて挑発してきてくれるような気がするのだ。

 けれど、なにも起きなかった。

 俺が動かした物は、俺が動かさなければ動かない。

 家の中は、俺が汚さなければ汚れない。積もった埃も、俺が拭き取らなければ降り積もるばかり。しかし、手を加えれば、真弥ちゃんの気配が消えてしまうようで恐ろしかった。

 なにも触らなくても、真弥ちゃんの気配は薄れていってしまうのに。

 せめて留めたいと思っても、俺のみじろぎひとつすら、真弥ちゃんのなにかを薄れさせる原因になるような気がしてならなかった。

 埃がつき、くすんでいくかわいい色合いのマグカップも、真弥ちゃんが毎日髪を梳かしていたヘアブラシも、生理用品も、もう手に取られることはない。化粧品や季節の服も、新しいものに入れ替わることもないのだ。

 机に置かれた、真弥ちゃんの香水の中身が、使ってもいないのに少し減っていることに俺は気がついていた。

 どうしなくても、この香水のように、真弥ちゃんの気配は揮発して、いずれなくなってしまうのだ。

 真弥ちゃんがいないという事実だけが、どうしようもなく鮮やかに見えていた。

 真弥ちゃんのいないこの世界は、もう色も音もなくて、俺はやはり、布団の中で真弥ちゃんを夢想することしかできないのだった。

 

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