第16話 居酒屋センチピードにて
「ありゃいったい何なんだ――」
樽ジョッキに注がれた麦酒の水面を見つめ、ダレスは店の主に問う。
武闘会へのエントリーを終えた勇者一行は、王城から場末の酒場へ場所を移していた。ダレスの隣には、ミルク入りの樽ジョッキを手に「マの字」二人がちょこんと座り、カウンター席を埋めている。他に客の姿はなく、本日貸切の状態だ。
「何って訊かれてもねえ」
居酒屋センチピードの女将は、豊満な胸を下支えるように腕組みして、浮かない返事。
「大魔法使いエメなら判るんじゃねーのか」
どう見たって魔法の類だろ。ダレスがカウンターへ身を乗り出すと、エメという名の女将はため息で返す。
「あたいの【全知】は、過程の理解をすっとばして結果だけ出力するの」
「権能を抜きにして、魔法の知見はフラウ随一のはずだ」
「えらく持ち上げてくれるじゃないか」
エメはおもむろに煙草を一本咥え……たところで、マーガレットとマオを一瞥し、ばつが悪そうに一服せず仕舞った。
「あの、権能って何ですか?」
「そっちを突っつかれちゃうか」
マーガレットの質問には頬をゆるめて、ダレスとは逆向きにカウンターへ肘を着く。
「このお姫様はどこまで知ってるの?」
「俺が勇者代行だったことは知ってる」
「――訂正させてください」
マーガレットが樽ジョッキをぎゅっと握って続ける。
「ダレスさんは勇者です!」
「ふうん。アンタにも、持ち上げてくれる子がいるじゃない」
じゃあ話そっか。涼やかに瞼を閉じたエメの目もとから耳にかけて、マーガレットに譲っていた黒縁眼鏡が〝再生〟した。マーガレットが掛けている一本はそのままに、無から有を創造したのだ。
「こ、これも付与術!?」
目を白黒させたマオの推測を、ダレスは「いいや」と否定する。
「分類不能な、逸失した古代魔法……あるいは人間が未だ獲得していない未来魔法だ」
諫める声色で大魔法使いの名をダレスが呼ぶ。しかし当人はどこ吹く風である。
「説明するより見てもらうのがイチバンよ」
お姫様には一度見せているわよね。フレーム越しのまなざしを、マーガレットもまた同じフレーム越しに受けて首肯する。
「あらゆる魔法を使用可能にするコレが、同じく魔法というのは道理が通らない。だから区別するために『権能』と王が名付けた」
「王……お父様が」
「ええ。本題から逸れる上に、ちょっと長くなるけれど」
「そういう話をするために、酒場というのはあるのでしょう?」
「お姫様なのに言ってくれるじゃない♪」
封は切られた。秘匿されている歴史がエメの口から明かされる。
「二十有余年前、世界のパワーバランスは魔物側へ大きく傾いていたわ」
魔王麾下【
白兵戦にめっぽう強く、瞬きする間に十人以上の首が飛ぶ。どんなに剣技に長けた者をぶつけようと屍が増えるばかり。人類は撤退戦を繰り返すほかなかった。
【全伐殲将】が率いる魔物の部隊が、いよいよ首都フラウへ迫ろうとしていた時――魔王軍の使者を名乗る一体が謁見を求めてくる。海月のような頭部と枯れ枝のような体躯、あまり強そうではないが人語を操る魔物だった。
本来なら謁見など決して許されなかっただろう。打つ手なしの状況にあって時間稼ぎになればと、厳戒態勢のもと使者は王前へ通される。
『ほう。王へ傅く礼儀はわきまえているらしい』
『私の前世は営業職だったものですから』
三対の腕をすべて縛られ、無数の矛先を向けられた使者は、それでも人間のごとく片膝を着いて首を垂れる。
『私は【
『わけの解らぬ御託はいい。用件を言え』
『人間を勝たせるべく参りました』
……。
「王の問いに、【全知大公】を名乗る魔物は答えたわ」
「その場に、エメさんは立ち会っていたのですか?」
語り部はマーガレットへ鷹揚に頷く。
「勇者リリベルの一行は、首都防衛のため呼び戻されていたの。あたいは魔石を片手にいつでも雷撃を放てる態勢だったし、ダレスも長槍を構えていた」
「では、お母様も――」
「すでに
勇者の役目は「刺し違えてでも【全伐殲将】を討ち取る」ではなく「温存して次代へ【輝ら力】を繋ぐ」にシフトしていた。将軍格の魔物を斃しても、先には魔王がいる。
「話を戻すわね。寝返りを告げた魔物は、槍の穂先へ頭から刺さりにいって――海月みたいな頭部を器用に開いていったわ」
「うっぷ」
迂闊に想像したのか、マオが口もとを押さえて嘔吐く。
「そして、開頭し終えると言ったの……『私をお食べなさい』って」
「待ってください! いにしえより魔物喰いは禁忌だと」
訴えるマーガレットの視界から外れて、マオがさらに表情を険しくさせる。
「伝承は正しいわ。魔物を喰らえば魔物と化してしまう」
エメはさらりと肯定して、また創造魔法を披露する。空の樽ジョッキがいくつも虚空より生まれ、ずらりとカウンターテーブルに並ぶ。さらには麦酒で満たしてみせる。
俺のぶん、まさか無から生み出したやつじゃないだろうな……。
「その魔物の力をもって、魔物を討てと言うのよ。当の魔物さんがね」
「エメさんが、食べた」
「魔物さんのご指名でね。その場にいる魔法使いじゃ一等賞だったからかな」
創造した麦酒入りジョッキを、エメは虚空へ消滅させる。これも現代にはない魔法だ。
「【全知大公】の力を継承しつつ、自我を失わないライン――過程の理解をすっとばして結果を出力できるようになる〝分量〟まで、アイツはご丁寧に示してくれたわ」
「動機は、何だったのでしょう」
「気になるわよねえ」
もったいぶるエメに代わり、ダレスは麦酒を飲み干して答える。
「この世のすべてを知ると、何もかもが空しくなるのだそうだ。それが【全知大公】に課された罰であり、人間に与するのは彼奴なりの自己実現らしい」
「あたいもアイツを全部喰ってたら、そうなったのかもねえ」
魔王の前で開頭するエメは見たくねぇな……。
「かくして人類は『権能』を手にしたってわけだ。おかわり。オイッ無から生成すんな!」
ちなみに魔法と区別がつけば良いから、俺たちはこれを「能力」とか自由に呼んでいる。
「【全知大公】の権能は【全伐殲将】に対して相性抜群だった。あたいはフラウをまるごと囮にして、魔法で沼地に変えた。そして石礫の雨を降らせ、飽和攻撃によって討ち取ったの」
現在ある首都フラウは、もともと第二の首都としてフラウそっくりに造られていた「ブルーミ」という都市だ。かつての首都は衛星都市ガークの北側ではなく南側、より住みやすい土地にあった。
「ダレスが【全伐殲将】の権能を得てからは、破竹の勢いだったわ。あなたがよく知る勇者代行の……いいえ、勇者ダレスの物語よ」
「そう、だったんですね」
受け止めきれていない様子のマーガレットに、エメは「昔話はおしまい」と閑話休題する。
「最初の質問に立ち返って、『あの王城にいる第三王子は何なのか』だけれど」
「変身魔法、ってとこか?」
ぼやくダレスは、次の瞬間、幼女に変えられていた。
お仕着せられた服はフリルたっぷりで、エメの趣味が反映されている。
「ああっ! 何しやがんだ!?」
「全知モードのあたい以外に、使い手を見たことある? 変身魔法だって現代の人間が扱えるシロモノじゃないの」
それに、とエメは続ける。
「見たでしょう……天空へ立ち昇る光の柱を。【輝ら力】は、創生の女神に由来する、いわば人類の権能。おいそれと魔法で模倣できはしないのさ」
確かに、光魔法とは異質な煌めき――時おり七色に粒子がはじける様や、王威というべきプレッシャーのようなものが感じられた。
「ということは、サイネリアお姉様がわたくしのフリを?」
顔立ちのあどけなさは化粧で再現して、って線か。サイネリアの【輝ら力】は微弱と聞いているが、幼い頃は第一王子として期待されていた。再覚醒するケースも可能性としてありえなくはない。
(だが、そんな都合良くいくものか?)
「現状では判らないね。ただ……アレが第三王子として認知されている以上、ココにいるお姫様が『わたくしが本物!』って手を挙げても、もう後手よ」
「こちらも【輝ら力】を示せばっ!」
腰を浮かせるマオに対し、静かにエメは首を振る。
「相手にしてみれば、いの一番に想定しているはず。難癖をつけられてフェイク呼ばわり、逆に投獄されちゃうかな」
「そんな……」
落胆するマオの手を、マーガレットが掌でふうわり包む。
「マオ、ありがとう。わたくしは大丈夫よ」
ふたりの世界にイメージの花園が開園し、大輪を咲き乱れさせる。
心なしかフローラルな香りが漂ってくる気もする。
これこれ、こういうのでいいんだよ。
「なんでアンタ得意げなわけ」
「んんっ! それより、俺たちを武闘会にエントリーさせたのは、そういうことか」
「そっ! 三人とも新しい勇者パーティになっちゃえば、相手さんの目論見は丸つぶれ」
エントリーは
三人一組とする理由づけは、表向きは「付与術の仕様」が挙げられていた。他者への付与術は魔石を必要としないため、付与術士2を組み込んだパーティ編成例が、冒険者のテンプレートとして知られている。
「なるほど。要は勝てばよかろうなのだ、ってことですね!」
「そういうこと♡ 勇者っぽい答えでしょ」
「勇者というより蛮族じゃないか」
ダレスのツッコミに「ふふっ」マオがどこか明るい笑いを漏らす。
「あ、えっと……今のダレス氏、かわいい蛮族だなって」
「……」
そこでダレスは思い出す。エメにかけられた変身魔法によって、フリルたっぷり人形みたいな幼女となり果てた自分に。意識していなかったが、声もめちゃ高い。
「も、戻せっ! 麦酒を飲めないだろがっ!」
「あたいに横柄な態度とったペナルティさ。今夜はそれで過ごしな」
「今夜は、ってお前――」
「お姫様とマオちゃんは王城へ帰れない。アンタが借りてる部屋も安全じゃない。うちの店に泊まるしかないんだから、家主の言うことは聞くもんだ」
すっかり酔いが醒めてしまい、サーッと意識が遠のきかける。
ちょっと待て……お姫さんとマオが、俺をじっと見つめている。玩具屋の店頭で、気に入ったぬいぐるみへ向けるような……。
「ステイ! ステイだ! 君たちの間に挟まるのはダメ、ゼッタイ!」
「そのように愛らしい声で言われても困ります」
「今夜だけ例外でも、いいんじゃないですか」
「エ、エメ~~ッ!」
助けを求める声はスルーを決め込まれ、居酒屋センチピードでの夜が更けていく。
ダレスは思った。変身魔法は、現代にあってはならない禁術だ。
ウォールアンドリリィ 瀬戸内ジャクソン @setouchiJ
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