第60話 黒柴犬と飛び立つつばめ

 

「確かに絆が結べているようだ……しかし、お前達の魂獣は結局何なんだ……?」

「ネロのわん……犬を知ってた研究官に聞いてみたんですけど、分からないそうです。何か……俺のつばめ改め白いカラスの方は散々観察した後、『サッカー日本代表のやつっす!!』って妙に興奮していましたが……結局縁起のいい霊鳥だという以外、詳細は知らないそうですが」

「あいつ……あいつか……あいつと同じ世界の落ち人はもう他にいなかったか……」

「残念ながらいないそうです。とりあえずネロのわんこと白い鴉はあの研究官の世界の同じ日本という国のものなので、落ち人会に知っている人がいないか聞いてみるとは言っていました」

「なら、そのうち分かるか」

 

 管制長は提出した書類に署名をし、任命権者印を書類にぽんぽんと押印していく。あの固くて押しづらい角印をこの早さできれいに押すの凄いなぁと思いながら眺めていると、書類が1枚、ずいっと目の前に差し出された。

 

「出来たぞ。これを持って役場に行けば婚姻届が出せる。任務に行っているネロの分も預けておくから、必ず本人に渡すように。あと婚姻届を出したらすぐ、人事に提出、結婚休暇も必ずすぐ取れ」

「分かってます……って何で3枚……? ――うげっ」

 

 管制長から渡されたのは訓告の文書だった。

 

「な、何で!? 俺仕事復帰したばっかじゃないですか!」

「命令違反に決まっている。休職に入る前の自分の行動を省みてから言え。私も部長もお前には小塔での待機を命じただろうが。お前とレオナルドは昔っから細々細々注意と厳重注意の貯金があるんだ。ここらで一度処分せんと示しがつかん……と言いたいところだが、今回は不問だ」

 

 そう言って管制長は訓告文書だけをひょいとロディネから奪って執務机横のシュレッダーにかけた。

 

「現場で権限のあったビアンカが一応は許可を出したと聞いている。だがお前は注意厳重注意の貯金がそこそこあるのは事実だからな。次何かあったら戒告処分だ。現に今回レオナルドは停職させたし」

「え!? 前も気になってましたけど、あいつ何やらかしたんですか」

「基本はお前と同じで注意厳重注意の貯金と命令違反、あとお前の欠片に関する報告義務違反、隠匿とネロに対するあれこれは職務上の注意懈怠としているし、まあ、これは私情も入っているがセイルに関することも報告義務違反と隠匿だな」

「しかし停職って重く……」

「まあ、それも建前で」

「建前」

「お前ほど休まない問題児ではないが、あいつも休まない上に、本当に物理的に休みづらいからな。だからグリーディオとの戦が本格化する前に、長期で休ませてクレアと話し合うよう言ってある」

「なるほど」

 

 レオナルドとクレアは一体どうなるんだろう。まあ、何かあったら当人か誰かから情報が来るか。

 そんな風に考えているといつもぴしりとしている管制長が頬杖をついて深い溜め息を吐いている。

 

「で、今日にも塔の部屋を完全に引き払うのだったか」

「はい」

「そうか……」

 

 そう。20年近く住んだ割には荷物も少ないしすぐ引き渡せると思ったんだけど、買い切りとかの備品じゃない大型家具の処分の日程が合わず、今日になってしまったのだ。

 

「……やっと……やっと、セイルの教え子が全部ここから巣立つ……本当に長かった……」

「うぐ……本当に申し訳ありません……」

「全くだ。お前達はセイルが見た子の中でも1番能力が高くて1番問題児で1番手が掛かって……」

 

 管制長が額を押さえて文句を言っている。教務の導き手は独り身なら何も問題はないが、恋人がいる人は時間のやりくりが大変だ。セイルも勤務時間外でロディネを含めた訓練生の対応で仕事していた事はしょっちゅうある。それはどれだけこの人との時間を削った事だろう。本当に申し訳ないとしか言いようがない。

 

「だが、1番セイルを慕ってくれていた」

 

 管制長は小さく微笑んでいた。

 

「私の中にもセイルはいるが、お前達の中にもセイルがいて、特にお前はセイルと似たところがあるから……お前がセイルの後を受けてくれて本当によかったと思っている。私はあいつを幸せにしてやれなかったから、その分というわけではないが、お前には幸せになって欲しい」

 

 管制長がそう言って頭を下げる。

 けれど、それは違うと思う。

 

「管制長、先生はきっと幸せでした。ただ、管制長を遺していくのが心残りだっただけだと思います。だって俺、レオナルドの愚痴言ってるのに、いつの間にか先生の惚気聞いてる事よくあったので」

 

 いや本当にしょっちゅうあった。でもそれを話しているセイルは本当に幸せそうで、ロディネは聞いていて全然嫌じゃなかった。

 恐らくだが、「レオナルドとは何か違うな」と思い始めた1番最初のきっかけは、セイルのそれだとロディネは思っている。

 

「それは……ちょっと詳しく聞かせて貰おうか」

「また追々」

「ネロとセットで奢ってやるからなるべく早く。じゃないとお前も報告義務違反にしてやるからな」

「職権濫用が過ぎますよ! でも必ず。いっぱいネタはあるんで」

「よろしく頼む」

 

 わりと本気のトーンの管制長にロディネは笑い、管制長も笑う。

 では失礼しますと管制長室を出て、次に向かうのは20年間暮らした自分の部屋だ。

 

 立ち会いチェックが終わって、がらんどうになった部屋を改めて眺める。換気のために窓が開けられていて、遮るもののない陽射しが部屋に落ち、白いカーテンがはたはたと風になびいている。そんな部屋の中を、つばめがすいっと落ち着きなく、飛び回っていた。


(この部屋、こんなに広かったのか)


 でも確かに最初に塔に連れてこられてこの部屋に押し込まれた時は、とても広く感じた。

 

「――すごい……荷物がないと印象が全然違いますね。」

「ネロ! もう仕事終わった?」

「はい、終わりました。俺、入り浸りで自分の部屋よりこっちの部屋の方が思い出がいっぱいあるから何だか凄く変な感じがします」

「……そうだな」

 

 セイルとお茶をしたり、レオナルドに怒ったり、小さかったネロが勉強したり絵を描いたりおやつを食べていた机もないし、一緒に寝てたベッドも、もうない。

 

「ロディ」

「あれ」

 

 気づけばロディネは泣いていた。ネロが涙をハンカチで拭いてくれていて、わんこもいつの間にか床に降りたつばめをぺしょぺしょと舐めている。

 

「ごめん。変だな……」

「俺ですら感傷的になるくらいです。ずっとここにいた先生は寂しいと思って当たり前じゃないでしょうか」

「寂しい……そっか」


 これは、育った巣がなくなった感覚か。

 いいこともたくさんあったし、嫌なこともたくさんあった。それでもそれは全部ロディネを構成する思い出と経験が詰まっていた。

 

 寂しい。でも――それと同じでネロとの新しい生活は楽しみしかなくて、だから落差で余計感傷的になっているのかもしれない。

 ロディネは涙をぐいっと拭って、背筋を伸ばした。

 

「長い間お世話になりました。ありがとうございました!」

 

 深く頭を下げてそう言った。この部屋に言ったのか、セイルに言ったのか、それともこの塔自体に言ったのか、ロディネにはよく分からない。でもそう言わずにはいられなかった。

 ロディネはしばらくの間頭を下げて、また姿勢を正す。顔を上げた時にはもう、感傷は鳴りを潜め、いつものロディネに戻っていた。

 

「――よし! 管制長に証明も書いて貰ったし、ほら。そろそろ行こう」

「えっ、もういただけたんですか? ……ということは、これで本当にいつでも結婚出来るって事ですか……?」

「そうなるな。今からの帰りでも出せるぞ。出してくか?」

「えっ……や、ちょ……塔を出るまで考えさせてください」 

「はは、了解」

 

 ロディネは笑って、もう一度空っぽの部屋に軽く頭を下げ、ネロも同じように頭を下げた。

 

「よし、じゃあ今度こそ、行きましょうか」

「うん」

 

 ロディネはネロが差し出した手を取った。


(大きくなったなぁ)


 初めて会った時は痩せっぽっちで、軽々抱っこしていた小さな番人。担当になれば年単位のバタバタになるなと、あの時わくわくしていた。けどまさか大事なパートナーとなって、一緒に塔を出ていく事になるとは思ってもみなかった。

 

「あれロディ、つばめは?」

「あれ? あいつどこ行った――ってえぇ!?」

 

 見れば待ちきれないというように、つばめは光差す窓からすうっと舞い降りて、ネロのわんこはそれを追い掛けるために、慌てて部屋を出ていく。

 

「……置いて行かないでくださいね」

「行かないって」

 

 一足先に飛び立ってしまったつばめと、それを追い掛けるわんこ。それを更に追うロディネ達という構図に可笑しくなって、ロディネもネロも笑った。

 

 これからも戦いの中には入っていかなければならない。また危ない目に合う可能性は高い。大丈夫だという楽観視は一切出来ない。

 でも、それでも――ここで経験し学んだことや、互いの想いが、暗い海路を照らす灯台のように巣立った後も2人の導となってくれる。

 

 俺達の前に広がる道は、きっと光溢れるものだ。

 

 ロディネはそう、ずっとずっと信じている。

 

 

 

 

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黒柴犬と飛べないつばめ metta @metta2328

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