秋に鳴らす鍵盤―二人きりの音楽室―

愚者の鱗

二人きりの音楽室

 深夜の学校に忍び込む。それはきっと些細な冒険で、ちょっとばかりのイタズラで、ほんのわずかな反抗だった。

 誰も彼もが私たちの事を考えず、『いつかお嫁に行く生き物』として、手のひらの上で転がそうとする。私たちの真摯な想いを、いずれ劣化するモノだと決めつける。

 そんな日常への鬱憤を、晴らしたくて。せめて誤魔化したくて、私たちはココに来た。半世紀先でも笑って想起できる、大切な思い出にする為に、ココにいる。

 後で怒られるかも知れないけれど、それでも構わなかった。遥香はるかと二人でなら、なんだって怖くはなかったし、なんでも出来るような気がした。


「ねぇ千紗ちさ。『月光』って知ってる?」

「鬼束ちひろの歌だよね? 私、あれ好きだよ」


 まんまるな月を一瞥いちべつし、遥香に視線を戻す。月なんかより、ずっと惹かれる人は、呆れたような顔をしていた。


「違う違う、ピアノソナタの方の月光よ。この前の音楽の授業でも、先生がフル演奏してくれてたでしょ?」


 そういえば、そんな事も有ったような気がする。高松センセーが珍しく、あの日は笑っていたっけ。まぁそれは、どうでも良いんだけど。


「あー、あの時の曲か。興味なかったから、聞き流しちゃってたよ。で、その月光がどうしたの?」

「今日は月が綺麗でしょう?」

「死んでもいいわ」

「いや、そういう意味じゃなくて。というか、月光ソナタは知らないのに、その返しは覚えてるのね?」

「遥香と一緒なら、いつ死んだって良いからね、私は。だからかな、どこで聞いたかは忘れちゃったけど、コレは覚えてるんだよ」


 生まれた理由わけが分からなくて、ただ惰性で生きていた私を、救い出してくれた貴女となら。

 『私』が消える瞬間だって、きっと笑える筈だから。この想いが永遠になる事に、満たされたまま逝ける筈だから。


「……もう、千紗ったら。と、とにかく、今日は月が綺麗だから、月光を弾いてみようかなって話! ほら、ここに楽譜も有るし!」

「おー、確かにコレだね。でもさ、遥香ってピアノ弾けたっけ? 私は出来ないよ?」


 楽譜を見て、遥香を見る。楽譜を眺めて、遥香を見つめる。じーっと、その瞳の中に映った私と視線を合わせていたら、ふいっと反らされた。あ、ほっぺがちょっと赤い。


「ちゃんとは弾けないけど、楽譜を見ながらだったら、ちょっとは弾ける筈よ」

「なんだ。タンタラタン、って感じに弾けるのかと思ったのに」

「それは無理よ、ピアノ教室に通ってる訳じゃないし、音楽部でもないもの」

「二人とも帰宅部だもんねー」


 クスクスと笑うと、拗ねた眼差しを向けられた。可愛い。抱き寄せてぎゅーっとしながら、そっと耳元にささやいた。


「ありがとね、大好き!」

「っ! あ、あなたねぇ!!」

いヤツめ~ういうい~」


 熱い頬をしてジタバタする彼女を抱きしめながら、私の頬を擦り付ける。柔らかくて気持ちよくて、ここが音楽室じゃなかったら、耳をハムハムしたりしちゃってたかも知れない。

 別にそんな事しなくても、今日の事は、決して忘れたりなんかしないのに。慣れないピアノを弾いて、少しでも思い出に残そうとする姿が愛おしかった。


「ねぇ、二人で練習しようよ! いつか満月の夜に、完璧な月光を弾けるようにさ!」

「……じゃぁ、どちらが早く弾けるようになるか、競争しない?」

「いいね、それ。私も負けないからね!」


 それから少しして、『月光ソナタを弾く幽霊』の噂が学校中に広まった事に、私たちはコッソリ舌を出して笑いあったのだった。


【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秋に鳴らす鍵盤―二人きりの音楽室― 愚者の鱗 @gusyanouroko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ