第9話

思考停止に陥った私の傍まで、彼は自分すらまだ困惑したような表情を抱えて距離を縮める。



うーんと唸るように目を瞑って、指先を、私の指へ。



伸ばして触れられれば反射的に肩が跳ねた。




「……ごめん」




騙した。




そう聞こえた時には、申し訳なさそうに自分へ寄り掛からせる彼の腕の内側。



聞こえてくるちいさな戸惑う声は、初めて感じる彼の幼さを教えてくれた。



「俺、優しいひとがタイプなんですけど…。泣きながら笑ったりされるの、ドンピシャなんですよね」




「ど、どんぴしゃ?」




把握しきれない、けれど確実に前に進んでいる時間をどうにかしようと彼の胸を押して上げた顔。



「あー…涙の跡…」



「ちょ、ちょ、近い近い近い」



薄く開いた唇が近付いてくるのに仰け反るも、寄せられたままだから背中が痛いだけ。



「取り敢えず、お互いのこともう少し知ることから一緒に始めてくれませんか。騙して、傷付けてごめん。あと、酷いことも言った…ごめん。ごめんなさい。許して」





調子いいなこいつと思いつつ、そうでなければ人を騙そうとは思わないか、と妙にそこだけ納得。





「お互いのこと知るとは、どういう」



「…。そのままの意味ですが」



今沈黙なかった?なに?



「あ、ちょ、ちょっと待って。その前に背中と腰痛いから体勢戻してもらっていいかな」


「えー」


「いや、えーじゃなくて。君本当に初対面の時作りこんでたんだね、ペット想いはいいと思うよ、だからこれからはその思い遣りを是非私目にも」


「え、これから?これからって言った?いいの?まじ?」


「……。樫月って本名?」



話逸らしてしまった。



「今話逸らしたよな?」


「……」


「本名だよ樫月。下の名前はクルミー」


「くる、み?」




変わった名前だと思ったら、彼は何故か得意げな笑みを広げてこう言った。




「来るに未来の未で『来未』。そういえば未来と逆だから初めに目に留まったんだよなー。ミクー、可哀想に。その所為で俺に目付けられたね」



「え!だ、だから初めての時私の名前呼」





樫月くんはそれ以上何も言わず、ただ無言で一番初めに褒めてくれた髪を撫で、「バイト戻らないとだった」と思い出したように口にして。







「あ――――。あと、本物の結婚はもう少し待ってねミクさん。





本当は俺18歳で、まだ高校通ってるから」













そう付け加えて、過去には偽物だった前髪をくしゃりと払ったのだ。




















Fin.

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