1,386.3kmの凶器

「なあ、さつまいもがあったらどうやって食う?」


 生っちろいを腹をむき出しにして、彼が言った。


 事が終わればすぐに服を着て、その余韻を浚うようにわたしの家から出ていく彼にしてはあまりにのんびりとした口調だったので、わたしは口に含んでいた水を吹き出しそうになった。あわてて飲み込み、全身でむせる。


「え、なに、どした? だいじょぶか? 水、変なとこ入ったか?」


 わたしの背中をたたく彼の手があたたかくて、目尻に甘じょっぱい涙がたまる。ごめん、平気、だから。肩で息を整えながら謝ると、今度は頭を撫でられた。もっとそうされたくて、わたしはすこし大袈裟に肩を震わせた。


「えっと……さっきなんの話してたっけ?」


「ああ、そうそう。おまえ、さつまいもってどうやって食う?」


 さつまいも。さつまいもなんて一度も食べたことありません。これから先もきっとありません。みたいな容姿をした彼がそんなことを訊くのは意外で、耳を疑った。


 空になった避妊具の箱を潰しながら、彼は焦れるように繰り返す。


「いもだよ、いも。さつまいも」


「それはわかるけど」


 彼はベッドから上半身だけ起こすと、ゴミ箱に視線を定めて空箱を投げた。はじめてのホールインワン。今日で何度目の挑戦だっただろう。


「さつまいもって、蒸す以外になにかある?」


 満足げに目を細めていた横顔に訊いた。裸でさつまいもの話をする男女なんて、きっとこの世界でわたしたちだけだろう。


「蒸すだけ? 蒸してそのまま食うの?」


「え、そうじゃない? 一般的には」


「うちの田舎だとさ、団子にすんだよ。さつまいもと粒あんを、なんかこう、白い生地で包んで」


 大きな手が、なにか丸いものを包むように宙で遊ぶ。その姿がやけに幼く見えて、彼も人の子なんだな、と当たり前のことを思った。


「田舎どこなの?」


「熊本」


「うそ」


「うそってなんだよ、熊本だよ」


「うそだ」


「だからなんでだよ」


 熊本って顔じゃないよと反論すると、どんなのが熊本顔なんだよと彼は笑って、『熊本出身』『芸能人』とスマホでググりはじめた。


 スワイプしながら、パッとしねえな……と毒づく。そこにはかつてわたしが夢中になっていたアイドルの画像も混ざっていたけれど、いまのわたしには色褪せて見えた。過去よりもいま、目のまえの現実のほうがずっと輝いて見えるのは人間のさがだろう。


 もしかしたら、今日はもう少し居てくれるのかもしれない。泊まってくれるのかもしれない。わたしは彼の脚にできるだけ自然に脚を絡ませた。あくまでも、偶然そうなったかのように。感情を消して絡ませた。


「なんだっけ、団子の名前」


 つぶやいた彼は『熊本出身』『芸能人』をデリートして、『熊本』『団子』『さつまいも』とタップした。軽くストレッチしている振りをしたわたしの肘が、彼の胸の先端に触れていることにはすこしも気づいていないようだった。


「あーそうだ、いきなり団子だ、いきなり団子」


「あ、なんかそれ聞いたことあるかも」


「まじ?」


 スマホには、すぱっと切断された団子の断面画像が神経衰弱のように並んでいた。粒あんらしき赤茶色と、さつまいもらしき黄金色が層になって、白くむちっとした薄い生地で包まれている。


 おいしそう。だけどいったいどうして「いきなり」なんだろう。謎のネーミング。それになんだかこれは……


「似てる」


 つい小声で洩らすと、彼の睫毛がくっきり上下して、似てるって? とわたしに訊ねた。 


「なんかこれ、うちのおばあちゃんが昔つくってくれたおやつに似てるな、と思って」


「え、ばあちゃん鹿児島の人?」


「ううん。埼玉」


「埼玉? あ、そういや埼玉って、いもが有名なんだっけ。てかおまえ、埼玉出身なの?」


「うん。埼玉って顔じゃないでしょ」


「なんだよ埼玉顔って」


 知らないけどさと笑うと、彼の足の裏がわたしの爪先をくすぐって、太腿がじわりと触れた。埼玉の奴って池袋が埼玉の一部だとか思ってんだろ? と鼻で嗤いながらも、その眼差しはいつもよりやわらかい。これと引き換えなら、わたしはいくらだって埼玉ディスを聞いていられるし、このまま彼とふたりベッドで暮らすことになってもかまわないし、むしろそうしたい。


「なんかひさしぶりに食べたくなっちゃったな、おばあちゃんのおやつ。ていうかその、いきなり団子ってやつと食べ比べてみたいかも」


 はしゃぎ過ぎないように声のトーンを落として言うと、彼のほうがトーンを上げて


「なにそれ、ちょうたのしそう! いいなそれ! 何個食えるだろ。てかどんだけかかるんだろ、鹿児島と埼玉って」


『鹿児島』『埼玉』『距離』。彼がすぐさまググると、『16時間5分 (1,386.3 km)』とすぐさま現実を突きつけられた。


「きっつ! むり! てか埼玉行ったところでなんも見るもんねえな」


「あるよ! いろいろ!」


「いろいろってなんだよ! 説明雑だろ!」


 白い腹がよじれて、肩も腕も指先も、すべてが絡まった。くすくす笑う彼からこぼれる生ぬるい息が、肌をなぞる。


 もうひと箱あるよ。新品の歯ブラシもあるよ。そんなふうに申告したい気持ちを抑えて


「ていうか、なんで急にさつまいも?」


「あーなんかさ」


「うん」


「なんか、近所からいっぱいさつまいも貰って団子つくったから、こっちに持ってくるって言ってて。はじめてつくったから自信ないみたいだけど」


「えー、なにそれ、ちょういいね! いいねそれ! やさしい子だね!」


 ついさっきの彼の口調で言うと、彼の首が傾いて、口元がだらりとゆるんだ。腐った向日葵みたいに。


「でもおれんち汚いから、片付けにちょう時間かかってさ。G見つけちゃったよ、G」


「げ、さいあく。バルサン焚きなよ、バルサン」


「いま焚いてるところ」


「あ、そうなんだ。こんな時間に?」


「Gが夜行性だから、夜に焚いたほうがいいんだって」


 そう言って彼は硬くなりはじめた下半身をわたしにぎゅっと押しつけた。強く伸し掛かるそれは義務のようだった。


「あんたも夜行性?」


「おまえは違うの?」


 くちびるが重なり、隙間なく絡まっている身体が遠くなった。喉が渇いた。水が欲しい。水を飲んで、むせて、背中をとんとん叩かれて――を永遠に繰り返したい。そしたらわたしと彼とのことはずっとずっと損なわれないまま、きれいなままいてくれる。そうでなきゃおかしいし、そうあるべきだ。だって彼はうちのゴミ箱にホールインワンできるまでになったのだから。


「おまえにもやるよ、団子。あまったら」


「あまるの?」


「さあ?」


 どっかの芋女がつくった団子なんていらねえよ。そう吐き捨てたらますます喉が渇いた。それはさつまいもを食べたときによく似ていて、さつまいもはえらい凶器なのかもしれないとわたしは思った。







 ――了――

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